「美鞍、ちょっといいか。」 神妙な顔をした折原に有無を言わせない気迫で手招きをされ、戸惑いながらも近寄れば大きな手が肩に乗せられた。 「?なんすか?」 「いやーなぁ…」 疑問を投げ掛ければ、しかしなぁ、お前がなぁ、等と唸るように呟いているばかりで一向に話が見えない。 「…用がないんなら俺帰りたいんだけど…」 今日は久しぶりにあの人と会う約束をしているのだ。 こんなところで時間を無駄にしている場合じゃない。 そう思い、おずおずと切り出せば、漸く観念したように折原が顔を上げた。 「…お前が、その…年上の、しかも成人した女性と付き合ってる、というのは本当か?」 「え!?」 恐らくこの間の中間の散々たる結果についての説教だろうと踏んでいたのに、読みが外れたことに驚く。併せて、真実に当たらずとも遠からずなことを言われたものだから、口から溢れたそれは予想以上に大きなものになってしまった。 (しま…っ) 思わず開いた口を片手で塞ぐ。 「…その反応、本当、みたいだな。」 「………っ。」 (…あーもう、ちくしょう!) 思い、強く拳を握る。 どうしてもっと早く気が付かなかったんだ。ただの説教ならいつものように直ぐに怒鳴り声が聞こえるはずじゃないか。目の前のこの男が神妙な顔つきで手招いた時点で逃げていれば良かった。否、今だって馬鹿正直に反応しさえしなければ誤魔化すことだって可能だった筈だ。つくづく嘘つきに向いていない性格を心の中で叱咤した。上目に教師を見やればその口から、「あー」と困ったような声が漏れる。 「…まぁ若いからな。年上に憧れるのも分かるが…お前はまだ中学生だろう。そのーなんだ…もう少し節度ってもんをだな…」 「…何がいいたいんスか?」 何か煮えきらないその態度に、まだ何かあるのかと問えば、先ずは溜め息がひとつ降りてきた。それから、 「…悪いことは言わないから、そんな交際は止めておけ。」 お前のためにならない。 言葉と共に、大きな掌が肩から外れて白いニット帽の上に乗る。 きっと、きっとこの人に悪気はないのだ。ただいち教師として、生徒を心配してるだけなのだろう。両親が海外赴任中の葛馬なら尚のこと、親の目が届かないことで危ない道を走ったりしないようにと。心配してくれている。それだけのことだ。…だけど、 「っあんたに何が分かんだよ!」 パシリと、頭に乗せられた掌を、その腕ごと払い除ける。怒りで頭が爆発しそうなのを必死で抑えた。 知らないくせに。知らないくせに。あの人がどんなに優しいか。あの人がどんなに悩んだか。あの人がどんなに俺を好きか。俺が、 「俺がどんだけ、あの人が好きか…!!」 知らないくせに。分からないくせに。 若さゆえなどと、知ったようなことを、言わないでよ。 「おい!?待て、美鞍…っ!!」 踵を帰し駆け出す。追い付かれないだけの自信も、実力もあった。長い廊下を走って、階段を四段抜かしで飛び降りる。ジンとした痛みがふくらはぎに走るがそれを無視してそのまま生徒玄関まで走り抜けた。 靴箱を乱暴に開けて上靴を放り込む。肩に掛けていたショルダーバックからATを取り出して履き替え、素早く両足両輪のストッパーを外した。 踵に力を込めて一歩踏み出す。ギアが回転して風のようにその体を押し出した。 空を切って駆ける。頬に当たる冷たい風と、照らす陽の橙色が夕暮れを告げていた。 「……っはぁ、は、」 がむしゃらに目的地まで走って、漸く足を止め肩で息をしながら見上げれば、見慣れたマンションがいつものようにそこにあった。 合鍵は貰っていたし、暗証番号も教わっていたのでエントランスはいつでも通ることが可能だった。 ホールに座っている管理人に軽く会釈をしてエレベーターのボタンを押す。 小さな箱の中で携帯を見れば、約束の時間よりも随分前に着いてしまったことを知った。 (…全速力、出しちまったからな。) ふ、と思考回路がまともに働き出すようになり、先ほどの自分の行動がフラッシュバックする。 (…あー…やべぇーよなぁ…) 勢いに任せて怒鳴り散らしたはいいものの、明日学校でまた会った時どうしよう。 教師と生徒だ。会わずに済むわけがないことは火を見るより明らかだ。 被っていたニット帽を脱ぎ、わしゃわしゃと頭を掻く。 まさに後悔先に立たず、だ。 (でもさー仕方ねーよな…) 本当に、他人にどうこう言われたくなかったのだ。折原はまだ子供である自分が相手に逆上せ上がってると勘違いしているようだったが、先ず前提が間違っている。 そもそも、付き合っている相手は女性じゃない。 (って、そこから否定すんのも変な話だけどさー…) でもだからこそ、お互いに真面目なのだ。少なくとも葛馬自身は本気で真剣に考えて、”彼”を恋人として選んだつもりだ。勿論、何で同性同士で、と思わなかったといえば嘘になる。だけど彼の優しい声や、瞳や、自分を撫でる暖かな掌、ひとつひとつを思い出すだけで胸が締め付けられるように苦しくなる自分が居たのもまた事実で。 要は、男同士とかそんな垣根を取っ払えてしまえる程に、 (…好き なんだ。) 心の中で、呟くだけでも何故だか嬉しくて、切なかった。早く会いたい、と鼓動が高鳴る。チン、とどこか懐かしいような音がして扉が開いた。ローラーを緩く転がして彼の部屋の玄関扉の前に立つ。 『ピン ポーン』 チャイムを一度だけ押して、扉から少し離れて待つ。その間に、先ほど乱してしまった髪の毛を、せめても、と思い撫で付けた。 「カズくん?」 ゆっくりと扉が開かれ、紅い髪の長身が姿を見せる。 「いらっしゃい。早かったね?」 「…うん。」 「入って。今丁度片付けが終わったんだ。」 「片付ける程、あんたンちモノ置いてないじゃん。」 「こーいうのは気分だから、いいんだよ。」 言って髪を撫でられる。今日はニット帽被って来なかったの?と聞かれたので、走って汗掻いたから脱いだんだ、と答えれば、ああ、そんなに早く僕に会いたかったの、等と嬉しそうに笑うものだから 「そ、そんなんじゃねーよ!」 途端恥ずかしくなってその背を追い越してずかずかと乱暴に上がった。真っ白なソファにぼすんと勢いよく座る。後ろでくすくすと静かに笑う声には、聞こえないフリを決め込んだ。 「何飲む?」 「…ウーロン」 「はいはい。」 二つ返事の直ぐ後に、冷蔵庫が静かに開けられる音が聞こえた。 他には、広い室内にただ静かにクラシックが響いてる。 (…G線上のアリア…だ。) フルートバージョンが最高なんだ、と彼が以前言っていた気がする。 (確か、モーツァルト?ちがう…バッ…ハ…?) 心地よい音楽に身を任せていると一緒にどっと疲れが出たのか徐々に眠気に襲われてきた。 「はい、お待たせ…カズくん?」 眠いの?と訊かれ、素直に頷けば、「そう」と優しい声が降りてきた。キシリとスプリングが軋む音が聞こえて、彼が隣に座ったのだと悟る。長い指先が伸びてきて、前髪を優しく払った。 「…じゃあ、寝ていいよ。」 じんわりと、彼の指先から、彼と自分の体温とが混ざる。 (あ、) 「!?わ、カズくん!?」 優しい声色と、額から伝わる暖かさに、引き寄せられるように彼に抱きついた。 戸惑いを乗せた声が、こんなに近くに居るのに、どこか遠くで聞こえる。 (…いい匂い…) これは、彼の香りだ。いい匂いだな、と言ったら、小瓶に入れて分けてくれたことを覚えている。 (足んねー…) もっと近くで香りを嗅ぎたくて、強く縋りつくように抱きつく。肩口に鼻を寄せて、首に腕を回した。布越しに伝わる体温が心地よい。きっとこういうのを、”幸せ”だと言うのだろう。漠然とそんなことを思った。 (…なんかもー…これだけでいーかも) 明日のことも、折原のことも、どう言い訳するかも。 今、この幸せに比べたら些事に思えた。 くん、と犬のように鼻を鳴らす。 「カズくん?」 「…スピ、ファイア…」 「ん?」 「…すき…」 告げれば、葛馬の突飛な行動に戸惑いながらも、葛馬を寝かし付けるためにその薄い背中を撫でていたスピットファイアの掌が、これまた突飛な言動によってピタリと止まった。 「ちょーすき…」 今も、明日も明後日も、あんたが傍に居てくれるといーなぁ…。 独り言のように呟く度に、スピットファイアの身体が固まっていく。 (あ、もー限界ねみぃ…) 言いたいことは全部言ったし、もう意識を手放そう。そう思った時、固まっていたスピットファイアの口が漸く動いた。 「……ごめんカズくん。」 寝かせてあげたいんだけど!寝かせてあげたいんだけどね!? 「キスしたいから、もう30秒だけ起きててくれない?」 yes or no ? − END −
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七瀬様 「お題がお題なだけにちょっと苦労しました; の、割りにスピがまったくと言っていいほど出てこなくて申し訳ないです。愛情の比率が丸分かり・・・!ごごごめんなさ・・・! この企画を通してもっとスピカズが好きになりました! 最後にこの企画を考案、かつ、サイト内にスペースまで用意してくださった結城さんに最大の感謝を!! ありがとうございました!!」 |