PMF2006応援日記! その7
2006年8月某日
さて、PMF2006もとうに終わった。
その後に見聞きし、思ったことを書きとめておこう
PMFOのCプロのチャイコフスキーで起きた事故について、
いまさらながら確認。
フィナーレの主部直前、ティンパニが大きくフライングしてクレシェンドをやってしまったのだ。
それもおそらく2回。
くわしくはyoneyonさんのBlogの記述にまかせよう。
無断リンクご容赦!→ http://blogs.yahoo.co.jp/yoneyon99/14629047.html
これについて、2ちゃんねるのPMFスレッドにゲルギエフの振り違いという書きこみがあったが、
翌日のピクニック・コンサートでも同様の振り方で弦楽器に抑揚を求めていたから、
このポーズを見誤ったティンパニ君のボーンヘッドと思われる。
そもそもゲルギエフの指示=解釈はどうあれ、楽譜上は主部の入りはティンパニには他のパートより一段弱いメゾフォルテの指示であることは覚えといてよいだろう。
このティンパニの彼、ストラヴィンスキーでも別の打楽器で入りをトチッていたように思う。
2006年8月16日
いまさらの私的総括(その1)?
オーケストラ部門では管、打楽器のレベルダウンが感じられたのは残念。
四重奏部門は今回ピクニック・コンサートで初めてアカデミー達の演奏に接したが、個性豊かなグループが揃い、充実した音楽が聴かれた。来年は日程が合えば彼らのコンサートをのぞいて見たいと思う。
ご贔屓のPMFウィーン。今年はアニバーサリーにちなんで沢山のモーツァルトを聴かせた。
中でも大通公園コンサートでの協奏曲集は堂々たる内容で目を引いた。
今回はベートーヴェンを取り上げた札響との共演もオープニングの顔として忘れてはいけないし、
今後もPMF前半の柱として活躍を期待したい。
ただしアカデミーを交えたコンサートでは練習不足が感じられたのは残念。
札響はオープニング、タケミツ・トリビュート、ピクニック・コンサートへ登場、
また一部メンバーがミニトーク・コンサートのナビゲーションとして参加した。
定期がないとはいえ他の予定を考えると7月はなかなかハード・スケジュールとなったと思われるが、
地元の顔として活躍してくれたのはうれしいことだ。
今回のMVPはファゴットのマツカワに決定!
会期中通しての参加はおそらく彼一人だろう。
ちょっと真面目過ぎる感はあるけれど、モエレ沼公園でのコンサートからは、
年齢の近いアカデミー達といい雰囲気を作っているように思われた。
後半はソリストとしても卓越したところを聴かせた。
モーツァルトの協奏曲のカデンツァでの機転は今までのイメージを覆させてくれた。
なんといってもPMFの卒業生である。今後も札幌の夏での活躍を期待したい。
去年と変わらなかったとはいえ、ミニトークコンサートの縮小は個人的にさびしい限り。
一方で札響メンバーのナビゲーションという新しい企画が加わった。
賛否もあろうが若干のスキルの向上があればコンサートを楽しむにはプラスになるだろう。
スケジュールについて、無料コンサートが増えたのは結構だがホールで落ち着いて聴きたいと思う部分もある。
リーチインコンサートのハードスケジュールと直後のPMFウィーンとの共演などの様子からは、
アカデミー達に無理がかからないよう特に序盤のスケジュールにゆとりを持たせるべきではないか?
もうひとつスケジュールで気になったのは「海の日」前後のコンサートスケジュールの空白、
スタッフもアカデミーも終盤に向け疲れがピークになるころかもしれないし、
序盤のスケジュールのゆとりをという思いとは逆になるが、
平日開催のコンサートをここに持って来たり、Kitaraでのミニトークの開催などで集客率を高めることは考えられないだろうか?
2006年8月16日
「首席指揮者」ゲルギエフについて。
ピクニックコンサートの翌日の地元紙にCプロ大絶賛の評が登場。
「女性演奏者の力引き出す」というわけのわからない見出し。
モーツァルトのファゴット協奏曲の演奏だけでホルン奏者を「即上位プロオケで通用」と持ち上げたあげくに、
ロストロポーヴィチ&LSOに比肩する演奏との文章にはあまり具体的なことばは見当たらない。
翌3日の地元紙にはゲルギエフのインタビュー記事が掲載。
ごもっともな社交辞令というか美辞麗句が並ぶ。
それとも一昨年の"AERA"の記事が誤りだったのか?
ただし最後のアカデミー選考への意見は注目されてよいだろう。
曰く「同じ人を何度も呼ぶのは正しくない、70〜80%は新しい人をいれるべきだ」
確かに3年連続呼べる現在のシステムには問題なしとは言えないかもしれない。
再選枠の設定なども考慮されてよいかもしれない。
8月10日になって、公式HPに「ゲルギエフのリハーサル」というトピックスがあがっている。
ゲルギエフの札幌入りは土曜日のコンサートの2日前でリハーサルは金曜日からというから、突貫工事もいいところである。最近はどこの客演でもそうだといわれるから、仕事の質が下がってきているという悪い評判も少なくない。いつぞや視聴したロッテルダムでの「マーラーの「千人」なんかもすわりのよくない演奏だった。
確かに指揮台を使わず、フロアにたって広い場所を使っての指揮は、
譜面台に近づくことで、近場にいる奏者にそれなりのプレッシャーをかけられるだろうが、
弦の後方や管、打楽器にははたしてどうだろうか?
ひな壇に乗っているとはいえ、弦楽器の1プルトの姿に重なってその棒は視やすいものではなかったろう。
素人考えだが、その悪影響が今回の走る弦、ついて行けない管という縮図の演奏を生んだように思われる。
現場で聴いていて、なんといってもエキサイティングな演奏であったが、
崩壊寸前というよりは一部では破綻していただけに、醒めた感覚で受け取ると評価は辛いものになろう。
特にトラブルは2回ともコンサートの大詰めで起きたものだから、気にする側としてはタイミングが悪い。
ピクニック・コンサートでも、フィナーレでの再現部前のトラブルは忘れてコーダを楽しみにしていたところ、
コーダでトランペットの吹き損じに弦がつまずくシーンがあったものだから、絶賛の輪に入る気持ちになれなかった。
こうした点が修正されたであろう本州公演はおそらく大成功に終わったと思われる、といいたいところだが、本州公演もどうやら同程度の乱れがあったというのだから首を傾げざるを得ない。
そもそもPMFにとって「首席指揮者」という肩書はなんなのだろう?
約1ケ月の会期の最後の1週間、それも演奏会の2日前に現地入りして、強引な力でドライブするだけで終わりよければすべて良しみたいな丁半博打のような演奏を5日間続けた(らしい)くたびれかかった「振り逃げ」カリスマ指揮者でよいのかどうか?
あまりにも頼りない若いふたりの「あんちゃん」とあわせて今年のPMFの指揮者の選択は、自ら「国際教育音楽祭」を名乗るPMFにふさわしいものか、今さらながら疑問に思えてくる。
せめて3年、贅沢を言えば5年、夏の一月を札幌に落ち着いてくれる(そこそこでいいから立派な)音楽監督の登場を期待したいのだが、今の組織委員会にはそれだけの力は期待出来なさそうだ。