PMF2004応援日記! その2


7月18日 朝 Massa−’s Home

朝は出発が早いと思ったらチケットを見ると1:00PM開演。
今日はミニ・トークひとつだけ。なんと贅沢な時間の使い方の一日である。


7月18日 
札幌芸術の森 ミニ・トーク コンサート

我が家からたいした渋滞もなく、ちょっと速めのスピードでちょうど1時間で到着。まだ駐車場はガラガラ。

野外ステージではPMFOがリハーサルを終わったところか、アカデミーたちがぞろぞろと降りてくる。
少し山を下ってアート・ホールへ、アーティスト・エントランスではヘーグナーが一服中だ。
ホールに入ると、開演1時間近く前というのに10人ほどの列が出来ている。

驚いたのがプログラム。大練習室のほうは、「兵士の物語」の前にシュミードルが「街の歌」をやるらしい。
彼はアリーナでも1曲やるはずなので、1時間の間にふたつの部屋で吹くというハード・スケジュールだ。
最前列少し右側に陣取りながらも、なお大練習室が気にかかる。

ヒンク登場、バッハの作品について最近のこのシリーズとしては少し長めに語る。
演奏は重音のなど音程が不安定な部分が多くて、さすがにおさらい不足の感を否めない。
とはいえもともとの彼の美音は随所で楽しめたのも確か。

ついではヘーグナーとピアノが加わってブラームスのトリオから。
演奏は最初は曲、演奏ともに所在のない感じの音楽だったが、
尻上がりの好調で、第1楽章だけではもったいない気がした。

最後にシュレーカーの「風」という舞踏を意識して書かれたという描写的な作品。
シュミードル、ドレツァルが加わった豪華な五重奏である。
失礼な言い方だが、モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスよりも、
こういうあまりポピュラーではない曲を真剣に取り組む?時の彼らの演奏って凄いと思うことが多い。
互いに目を合わせて入りをあわせるにもその目つきが違うのである。
こちらの方は席からシュミードルの譜面がおおまかに読み取れる近さになったおかげで、
音楽そのものよりも、思わず譜面を除きながらシュミードルの演奏を追いかけるのに気がまわってしまう。

例によって45分のセッティングのコンサートは30分近くオーバー。
今日のように次のコンサートを気にしない時は大歓迎の延長である。

ホールを出て駐車場に向うと、野外ステージに向けて長い列が出来ていた。
新しい野外ステージを見るのは明日のお楽しみである。


7月19日 11:00〜 
札幌芸術の森 ミニ・トーク コンサート

土曜、日曜は早起きの息子、今朝は一段と早くに起こされた。そこで「ファンタジア2000」でデュカスの予習。

車は昨日を上回るスピード、1時間足らずで芸森入り、駐車場は入り口前の特等席。

アート・ホール内、昨日よりはさすがに人は少ない。
缶コーヒーを飲んで一休みしてから列に加わる。
会場まで1時間近く、息子は当然じっとできないので、適当に放し飼いにしておく。
列の後ろの紳士に愛想を振りまいたり、報告によれば2階ではアカデミー?と国際親善??を図っていたらしい。

いざ入場、残念ながら最前列はとれずに2列目、しかし中央だ。
「一番前は緊張するからよかった」らしい。こちらは残念。
最前列で聴くハープの演奏はきっとカルチャーショックに近いものを受けたのじゃないかと・・・。

ミニトークの最初はシュルツとメストレである。
まずはハイドン。豊かなフルートと、ピアノに劣らないハープの響きを堪能。
しかしここに意外な「壊し屋」がいた。
メストレに付いた譜めくり嬢、足を組んで退屈そうなそぶりが気になったのだが、
終盤で見事にやってくれた。めくりをトチり、メストレの指がもたつく事態を招いた。
その後はさすがに膝をそろえて神妙に役割を務めていた。これもよい経験となろう。

後半はシュミードルをメインにしたアンサンブル。
特にブルッフで登場したオクセンホーファーの深い響きに強く惹かれた。
いつも思うのだけれど、このあたりの珍しいレパートリーを、
真剣に弾くその表情には彼らのプライドの高さを感じるのだった。


7月19日 14:00〜 
札幌芸術の森 青少年のための音楽会

アートホールから山を登って、野外ホール前へ。 2、3グループの敷物が場所取りをしているだけで行列はなし。
多くの人は木陰で休んでいる。自分たちも先頭に近い木陰に敷物を用意する。
3軒出ているでている屋台から焼きそばとたこ焼きを買い込んで昼食にする。
先の憲坊法師さんを迎えたオフ回で好評だったビールを見つけ2杯賞味する。
野外でのビールの味は格別である。
ゲネプロはけっこうぎりぎりまで行われたようで、 屋台で昼食を調達する札響メンバーの姿も見かけた。

椅子席最前列ど真ん中の特等席に陣取る。
目の前にはテレビのモニターが置かれている。 さらにステージ脇にはかなり大きなスクリーンが設置されている。

コンサートはいきなり?「ラデッキー行進曲」で開幕。ゆったりとしたテンポで拍手はなし。
司会が登場して、「フンパーディンク」の曲紹介をする。
その間、一瞬パイプ椅子にそっくりかえっている息子の姿がモニターに大映しになっていた。
演奏されたのは序曲から母親の登場前まで。実は自分はこの曲が目当て。
序曲の終盤で客席後方からステージに向かって歌い手が降りてくるあたり、ウルウルしながら聴いていたりする。
札幌では年末に小編成のアンサンブルで上演されているが、 ぜひフルオーケストラがピットに入ってやってほしいもの。
今回は良質な(おそらく新調された)PMの音で楽しく聴くことができた。
続いてはデュカスの「魔法使いの弟子」。 描写性よりもフランス音楽としての味わいを重視したのか?
意外と上品で、時折もっとデフォルメがほしいと思わせる部分も少なくなかった。

ここでクラシック系はおしまい。
先の二人の歌い手をくわえて、SMAP(槇原敬之)やドレミの歌で「一緒に歌おう」という趣向。
テレビモニターにも歌詞が映しだされる。
息子は親に似て小心か?歌っている様子はない。
最後に司会者(作曲家だったのかしら?)が作った幻想曲「通りゃんせ」。
外山雄三の「ラプソディ」に手拍子や膝うちを交えた聴衆参加の要素を加えた趣向の音楽。
ステージ上では指揮者の山下さんが手拍子と膝うちに苦戦していた。

アンコールにもう一度「ラデッキー行進曲」、今度はもちろん拍手付き。
最初の時もそうだったけれど、トリオの後のマーチをはしょってしまったのは残念。

山下一史指揮の札響は総じて好演。
新しい野外ステージはテント張りではなく、きちんとした箱になっていて、
音は横や後ろにもれることなく、聴衆の方へと伝わるようになった。
今日は最前列なので直接音も結構あり、おそらく新調されただろう良質なPMの音とのブレンドを楽しく聴くことができた。
歌手の二人も上出来。フンパーディンクでもキャラに合っていて、
彼女たち二人を舞台に、フルオケでの上演を見てみたいと思わせた。


7月19日 15:30 In Massa−’s Car

帰路の車中、息子がリクエスト。
「なんとか行進曲が聴きたい!」
ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルによる「ラデッキー行進曲」が何度も繰り返される。

「最初はつまらなかったけれど、外の方は知っている曲があって楽しかった」
「何で歌わなかったの?」
「小さい声で歌ってたヨ」
「本当かね・・・」

そういえば椅子席に座ったから、新しい野外ステージの様子をあまり観察できなかった。


7月25日 朝 Massa−’s Home

寝坊した!開演は10:00。出発は8:50。芸森へ急げ!


7月25日 10:00〜 
札幌芸術の森 ミニ・トーク コンサート

がんばって?コンドラシンの「1905年」が終わらないうちに芸森到着。
思ったより行列は短くて、2列目センターに座ることができた。
隣にはアカデミーの女の子。開演までショスタコーヴィチのスコアとパート譜のチェックに没頭している。

まずはバルトロメイのマレ。ひそかに期待のプログラム。
ガンバからチェロへの編曲はバルトロメイ自らが行ったという。
音質はやや固めでダイナミック、好みとしてはもう少しやわらかい温かみがほしいところ。

続いては初登場のフルトークとシュミードルによるボッテジーニ。
たぶんボッテジーニはオリジナルはクラではなく、ヴァイオリンのはず。
驚いたのはシュミードルの前説。
「ボッテジーニに優れた指揮者でもありました。最近ではバレンボイム、マゼール。
もっと昔ではトスカニーニは優れたチェロ奏者でした。」万歳!シュミードル!!

さらに驚いたのは今日はマーラー愛用の眼鏡をつけて演奏すると言う。
御大と交友のあった祖父(これまたVPOのクラリネット奏者)が譲り受けたもので、
シュミードルは初めて取り上げる曲の演奏の時によくこれを身に着けるとか。

演奏を聴いてさらにびっくり。
フルトークのみごとな技巧に支えられた輝きと柔軟性のある響きは、この楽器ではそう望めるものではないだろう。
となりのお嬢さんものめりこむように見入って(聴き入って?)いた。


7月25日 11:15〜 
札幌芸術の森 ミニ・トーク コンサート

1列下がって3列目ながらセンターをキープ。
まずはモーツァルトの「ケーゲルシュタット・トリオ」。ミニ・トークでは久々に聴く。
今年のPMFでの新たな発見?オクセンホーファー、お馴染みシュミードルのクラにコックスのピアノ。
平凡であるかもしれないが、美しいモーツァルトだ。
ちなみにシュミードルの第1声、「今度はマーラーの眼鏡ではありません!」

続いてはマリンスキーのオケから急遽参加?のツェスのホルン。
英語が苦手なので、助手?が英語でメッセージを読む。
スラブ系らしい?輝かしさはない響きだが、圧倒的な音量と技巧で聴き手を魅了した。
曲はロッシーニ。それこそオペラのアリアのように尻上がりに盛り上がる。
ホルンって、こんなに簡単に吹けるのかしら?と思うほどである。
モーツァルトや、R=シュトラウスの聴きなれた協奏曲が彼の手でどう聴こえるか興味深い。

最後にクロイザマーのドヴォルザーク。
このところ、ヒンクに変わってアンサンブルでトップを取ることが多いのだけれど、
今回はソロということもあって?より積極的なパフォーマンス。
やや張り切りすぎかもしれないが、その勢いはドヴォルザークの音楽にマッチしている。
終演後振り返ると、客席最後尾でシュミードルやオクセンホーファーが笑顔で拍手を送っていた。

3曲とも「ブラヴォー」が聴かれる充実のミニ・トークコンサートであった。


7月25日 12:30〜 
札幌芸術の森 ミニ・トーク コンサート

当初は予定にはなかったコンサート。おそらく3時開演の野外ステージまでの「場つなぎ」ではと勘ぐる。
ここで今回のアリーナでのミニ・トークで初めてアカデミーの登場である。
線が細いが、ヴァイオリンの女の子の美しく輝く音は素晴らしい。さすがはPMFのピックアップ・メンバーである。

後半はまたまた!シュミードルとコックスが登場して、グリンカの「悲愴」三重奏曲。
全般的にマツカワの押しの弱さが気になって、」曲想のわりに盛り上がりに欠ける演奏だったのが残念。


7月25日 13:15 
札幌芸術の森 野外ステージ前

クーラーの効いたアート・ホールに比べ外は暑い!今日も真夏日か?!
かすかに曇っているのが救いと思っていたら、雲も切れてきた。
ビール&焼きそばも捨てがたいが、帽子もかぶってないし今日は帰ろう。
ごめんなさいBプロパスです・・・。


7月30日 04:45 ・・・

おはよう!じゃないよ、ご苦労さん!!ただいま退社です。(-_-;)


7月30日 10:30 札幌市豊平川河畔道路

へー、今日は花火大会かい。?!おいおい、今日ののKitaraの開演は何時だ?!


7月30日 12:50 Massa−’s Home

開演18:00!知らんかったー!!遅刻するところだった!

*解説 7月下旬、札幌では大きな花火大会がいくつか開催されます。
 会場はKitaraから程近い豊平川河畔。大会中にはなんと花火の音が大ホール内に響いてくるのです。
 Kitara開場当時大変これが問題になりまして、花火大会にぶつかったコンサートは、 
 開演を早める措置がとられています。


7月30日 
PMFO演奏会 ゲルギエフ指揮

結局ぎりぎりにKitara入り。サンドイッチは売り切れ、カップケーキで腹ごしらえ。
ぼろぼろとカステラをこぼしているところをブラックモアさんに目撃されてしまう。

NHKの予告どおりカメラが入っている、なんとセンター・カメラは女性が担当しているではないか!
しかし、やがてアシだったらしく、「それらしい」男性の手にカメラは委ねられる。

ヴァイオリンはズナイダー。ロンドン響の来日公演で感心した記憶がある。
聴衆の拍手がいつもと違って熱っぽい、ソロへの期待か?指揮者への期待か?

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
オケは粗いがそれなりに鳴り、チャイコフスキーらしいいのだけれど、
いかんせんソロが弱い。少なくとも自分の席ではオケに埋もれがち。
しかも音程というか、音色が今ひとつで、この曲に自分が求める丁々発止の感が弱い。
映画「カーネギー・ホール」でのハイフェッツ&ライナーなんぞに比べると実にショボイのである。
「美しいが、スケール感はいまひとつ」。前回からの進歩は感じられない。

ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」
正直に言って初めて聴く曲。
コンドラシンの切れ味鋭い演奏で、予習はばっちりである。
革命のワイルドな部分をリアルに描いていて、ちょっとぞっとするほどの音楽である。

カリスマ指揮者率いる若者のオケは、若さにまかせた大音量で音楽を聴かせてくれたが、
曲の持つメッセージを伝えきれたかには疑問が残る。
たとえば時折、訪れる静けさでの緊張感を 十分に表出できたとは言えないだろう。
カリスマを以ってしても学生相手では限界があるか?
ソロはトランペットを始め優秀だが、今回特別耳が吸い寄せられるような個人技はなかった。
打楽器陣はティンパニを始めもう少しシャープな切れ味が欲しい。
ラストでの鐘が埋もれがちだったのも残念。そういえばマーラーのハンマーも地味だった・・・。
弦楽器は響きはなかなかショスタコーヴィチらしい音色を出していたし、
チャイコフスキーで目だった低弦のアインザッツの遅れも改善されていた。

例によって?フライング・ブラボーが一人。
この曲で即拍手がたたけるやつなんて、絶対にこの曲をわかってない。
音楽が終わることにのみ注意をむけている輩なのだろう。  

文句をいってもこの曲の持つエネルギーに自分も含め満場の喝采。
熱心な聴衆はオケが退場しても、もう一度指揮者をステージに引っ張り出した。

終演7:50 フィナーレ途中から聞えていた花火は、外に出るとクライマックスへと向かいつつあった。


8月12日 23:00 Massa−’s Home

当地地方紙にゲルギエフPMFOの絶賛の批評が掲載される。
一週間以上も経って賛辞ばかりの文章はやや作文めいていてうさんくさい。


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