「一番の注目すべき人物は」
それは誰かと尋ねられれば、やはり「ギルバート デュランダル」プラント最高評議会議長を置いて他におるまい。デュランダルの意図する策略が見えるようになると、作品に対する評価はもちろん、彼に対する印象も大きく変わってくるはずだ。極端な話「デュランダル1人に、周りがいい様に振り回された物語」といっても過言ではない。最後まで地味で目立たなかった「シン アスカ」を前面に出すくらいなら、デュランダルの出番をもっと増ふやすべきだったとさえ思っている。デュランダルが影でどのように暗躍していたのか、その辺の描写が個人的には見てみたかった。確かに、やたらとバンクを多用し過ぎていたし、巷で言われている多くの指摘(話の矛盾など)は至極尤もではあるが、それを差し引いても今回の作品では、デュランダルの言葉と行動に、いろいろと考えさせられたのも確かである。「改めて一話から視聴し直す」
いきなり「アビス」「ガイア」「カオス」があっさりと強奪されてしまったことも、その事象だけ見れば確かに、摩訶不思議で有り得ない展開ではある。しかし、そこにデュランダルが一枚噛んでいたならばどうだろう。お宝(新型ガンダム)の在り処を、彼の差し金がわざと漏らしたとすれば、例の三機は不注意で「盗まれた」のではなく、わざと「盗ませた」と考えるのが妥当である。それらをミネルバでなく、どこぞの格納庫に保管させていたのも、強奪をより確実にさせる為であろう。それもこれも、「デスティニープラン」を発動させたいが為の、恐るべき計画の第一歩だったのかと思うと、非常に感慨深いものがある。「デュランダルが仕組んだ計略」
デュランダルは、己の理想を実現する為に、コーディネーターにとって絶大な人気の「ラクス クライン」はどうしても必要だった。理想は本物が居てくれればそれに越したことはないのだが、ラクスとデュランダルの思惑が一致しないことは、最初から心得ていた節がある。本物は行方不明だったことも、その替え玉として「ミーア キャンベル」を用立てられたことも、彼にとって好都合だった「どうでもいいこと」
敢えて言わせて貰うと、49話でデュランダルが最後の決戦前に「問題は・・・」と呟いていたことに関して。今にして思えば、それは「問題は・・・パイロットとしての資質」だったのではないか。彼はアスランとキラよりも、レイとシンの腕を信じていた、というより信じるより他になかったといった方が適切か。結局アスランとキラの方が圧倒的に勝っていたことが発覚した今となっては、本当にどうでもいいことではあるかな。「終わってみれば・・・」
シンは最後まで主役になりきれなかったが、それはもちろんどうでもいい。個人的には表の主役はアスランで、裏の主役はデュランダルだったように思っている。先に述べたように、影で糸を操っていたのは間違いなくデュランダルである。そうでないと話の辻褄が合わないし、そうでなければ単に白けた作品ということになりかねない。でなければ、怪しい仕草を何度も見せたことも、最後は自分が首謀者であるかもしれない重要な秘密を、自らカミングアウトしたことも無に帰してしまう。だからこそ、自分はデュランダルが真犯人だったと、今でも信じて止まない。「なんにせよ・・・」
今回は「デュランダルの、デュランダルによる、デュランダルの為に用意された物語」という印象が強い。誰が何と言おうと、デュランダルが自作自演で創り上げた壮大な物語に、周りがいいように踊らされたのだと。それは「そうであってほしい」から「そうに違いない」と思い込む程である。それくらいデュランダルは興味深いキャラであったし、彼がいたからこそ、最後まで呆れずに見続けることが出来たのだと思っている。タイトル | メーカー | 発売年度 |
機動戦士ガンダムSEED デスティニー VOL.1〜7 |
バンダイビジュアル | 2005年 |