問題のない私たち
2002年11月13日作成
最終更新日 2002年12月4日

『きっかけ』

 いつかの週間文春にあった書評に衝撃を受け、いつか購入しようと思っていたところようやく手に入れることに成功した。

『第一印象』

 「問題提起作品集」とはまた違った衝撃を受けた。陰湿な虐めの手口の数々には空恐ろしさを感じたし、虐める側、虐められる側の気持ちというものも痛烈に伝わってきた。



『集団虐めの恐ろしさ(1巻)』

 集団で虐めることの恐ろしさというものを作者(正確には原作者)は的確に捉えているなと感じた。虐めの手法にしても肉体的、精神的に深く抉るえげつなさがあり、これを毎日のようにされたら誰だって自殺に追い込まれてしまうと思わせるのに十分なものばかりだった。

『責任の所在』

 集団虐めを仕切る首謀者が悪いのは当然なのだが、それに従う周りの人達だって同様に悪いと主人公笹岡澪が言い放ったことには感心させられた。いくらクラスの中で一番権力を持つ生徒に命令されたからといって、一人の生徒を集団で虐めていいなんてことにはならない。
 とはいえ、虐めのターゲットがめまぐるしく変わる現実を目の当たりにするとそうもいってられないのかもしれない。短い期間でこんなにもコロコロと変更されては「いつ自分の身に降りかかるか判らない」という恐怖心で一杯になってしまう。そんな精神状態で一人刃向かうなんて愚かなことを出来る道理がない。そうなると今回のように首謀者自らが指摘してあげない限り、虐めに終止符を打つことはなかなか難しいのかもしれない。



『辞めることが必ずしも責任を取ることになるとは限らない(2巻)』

 加藤(教師)がコンビニで万引きしているところを澪(生徒)に見られたばかりか、その場を無言で走り去られたら、誰だっていいようのない不安に駆られてしまうと思う。いくら澪自身が誰にも言わないと思っていても直接本人に話さなければ全くもって意味がない。そうやって見て見ぬ振りを続けてしまうと「いつか本当のことを学校で喋られて免職になるくらいなら、それを知る唯一の生徒を排除してしまえばいい」という風に考えるようになるのも無理ないと思う。
 確かに万引きをしたばかりか、澪を退学に追い込む為に偽装工作をした加藤の行いは許されるものではない。しかし、万引きの現場に出くわしたのに黙って逃げてしまった澪にも責任の一旦はある。その場できちんと注意して罪を認めさせていれば加藤だって澪を退学に追い込もうと必死になることもなかったはずだ。
 とはいえ、紆余曲折を経て加藤が全校生徒の前で罪を認めて教師を辞めようと決意する場面で「謝るところが違う」と澪が指摘したことには大いに感心した。
 罪の重さにもよるが、万引き程度のことなら辞職することが必ずしも責任を取ることにはならないと思う。それよりも、罪を認めて二度とこのようなことがないように反省してもらうことの方が大事ではないだろうか。そうすれば教師を辞めるなんてことをしなくても済むし、加藤の今後の人生を考えてもプラスに繋がるのではないかと思っている。



【現在読んでいるコミック】
タイトル作者 出版社発売年度
問題のない私たち@A 木村文
原作 牛田麻希
集英社2002年
(1巻)