こどものおもちゃ
2003年3月18日作成
最終更新日 2003年9月24日


『改めて思ったこと』

 アニメをきっかけに原作を手にとって読んでみると、改めて小さな子供向けの漫画にしては(否、仮に大人向けであったとして)シビアな実情を深く抉る作品ではないかと思った。もちろん、そういう内容だったからこそ最後まで興味深く読み進めることが出来たのだとも思っている。それにしても、倉田紗南と羽山秋人が悩み苦しみ、そして成長していくまでの過程に焦点を当てる内容はもちろん、きちんと筋を通して話を収束させる展開を最後(10巻)まで貫き通した姿勢の素晴らしさはさながら神憑り的だったといえよう。
 紗南が抱える心の問題について細かな伏線を張りつつ、親子丼馬鹿な秋人とその家族や彼女の友人達が織り成す悲喜こもごもは、今読んでみてもやはり身震いしてしまう。いろいろと辛い状況に立たされてもがきのた打ち回りながらも、紗南と秋人が支えあって頑張っていこうとする姿には、何度となく感動させられた。これには、脇役のキャラに対して少なからずスポットを当てるばかりか、事の顛末までをきちんと描ききっていたことも少なからず影響している。

『気になったこと』

 だだ、一つだけ気になったのは、紗南に降りかかる事件によって脅かされる生命の危機感が後を追う毎に強まっていったことだ。そりゃ、目の前の困難に立ち向かっていく彼女のひたむきな姿は、見ていて励ましたくなるけど、紗南が心の病を煩ったり秋人が大怪我を負わされて死線を彷徨う件に至ってはかなり複雑な心境になった。「もし取り返しのつかないことになってしまったら」という心配を抱く一方で「極限にまで追い込まれたことで、紗南と秋人の絆がより深まった」ことに感動したのも事実である。とはいえ、正直これ以上厳しい展開となると、それこそ紗南か秋人が死ぬくらいしかなかっただろうから、これで終わってくれたことにホッとしている気持ちもあったりする。

『もし』

 そう考えると、もし、紗南と秋人がぶつかり合うことのないまま、彼の反抗的な態度だけ酷くなっていたとしたら、なんて考えると背筋がゾッとする。秋人の精神が安定するまでの間に、一度でも紗南が全てを投げ出してしまうようなことがあったとしたら、きっと彼は人生を棒に振っていたかもしれない。羽山の行っていた悪行をそのまま野放しにしていたら、本人のみならず、紗南や周りの人間も多かれ少なかれ不幸の渦に巻き込まれていたかもしれない。その後も、いろいろとトラブルに遭遇するが、そのいずれの瀬戸際も、一歩間違えればとんでもない事態になっていたかもしれない。まるで危険な綱渡りをギリギリのところで乗り越えたからいいようなものの、どこかで一度でも挫折して間違った道に進んでしまったらと考えると、未だに恐ろしくて仕方がない。

『「こどものおもちゃ」最大の面白さ』

 「こどものおもちゃ」最大の面白さはなんだろうと考えると、意外と難しいことに気がついた。かなり悩んだ挙句見出した結論は「こどちゃという作品には大小様々なアイデアが随所に散りばめられていたこと」ではないかだろうか。これは「踊る大走査線 THE MOVIE」の解説に耳を傾け、それを土台に「松浦 シングル M クリップス@」を観ていてそのように感じたからだ。踊るにしろ松浦にしろ、大勢のクリエイター達が作品のイメージに相応しいアイデアを出し合ってその都度反映させていくという積み重ねをした結果、エンターテイメントとして存分に楽しめる内容に仕上げている。
 これはこどちゃにも当てはまる事で、紗南を始めとした人物設定や、面白さを引き出すアイデアを随所に投入することで、読者に大きな感銘を与える奇跡的な作品にまで昇華させている。一つ一つのエピソードをこどちゃらしい表現で丹念に描写し続けていたからこそ、登場するキャラや話の内容に共感することが出来たのだと思うし、それこそが、こどちゃ最大の面白さではないかとこの頃になって痛感するようになった。

『最後に』

 いろいろと込み入った内容が詰め込まれていたにも関わらず、話が破綻することなく、それでいて興味を失わせることのないまま、最後まで駆け抜けていったことは本当に素晴らしい。今まで読んだ中でもっとも心に残るコミックに相応しい極上の内容だったといえよう。アニメも含め、「こどものおもちゃ」という類まれな作品に出会えて心から感謝している。



【今回読んだコミック】
タイトル作者 出版社第1巻 出版年度
こどものおもちゃ
1〜10巻
小花美穂 集英社1995年


【参考資料】
『DVD』
タイトル メーカー発売年度
踊る大走査線 THE MOVIE フジテレビ2000年
松浦 シングルMクリップス@ ゼティマ2002年