『きっかけ』
『母親の異常さに度肝を抜かれる』
序章で登場する母親が演じる異常なまでのエキセントリックさに度肝を抜かれた。彼女の常軌を逸した言動を見ていると洗脳の怖さを感じずにはいられない。それにこの章の最期に繰り広げられる濃密なえげつなさで表現された切腹シーンでは文章のみとは思えないくらいの惨たらしさをひしひしと感じた。『本編について』
さて、両親を無惨な形で失ったことで「メシア」に復讐を誓ったはずの岡崎平八郎(以下平八郎)だが、気がつくとミイラ取りがミイラになったかの如く、自ら「神の郷」という新興宗教で「メシア」となり、名前も神郷宝仙(以下神郷)と変えて多くの人々を巻き込んでいた。『不安を抱える人々』
メシアを始め、この小説には不安を抱えて生きている人間が多数登場している。いつも何かの影に怯えながら家族や他人に己の弱みを悟られない為に虚勢を張り続けてはストレスをため込むという悪循環を繰り返すところなんかはいかにも日本人らしい発想という感じがした。『恐るべき洗脳のテクニック』
この小説に登場する新興宗教が実践する洗脳のテクニックは、実際に試しても成功してしまうのではないかというくらいのリアリティーを感じた。方法論もさることながら、洗脳しやすい環境に置かれている人に狙いを定めるという目の付け所の良さには感心してしまった。『意外な結末』
意外な人物がスパイをしていていただけでなく、真の首謀者だったということに少なからず驚いた。目的の為にはどんなに時間の掛かる苦労も厭わずに執念でやり遂げたととにただただ恐れ入った。
『時代設定の妙』
当時(1990年代後半)は一流大学に入学して一流の企業に就職することが一番の幸せなんだという傾向がまだ衰えてなかった。そのため、落ち零れたら幸せになれないという強迫観念も相当なものだった。また、多くの両親があらかじめ用意されたレールにのってある程度の成功を収めていることもそうした風潮に拍車を掛ける要因になっている。こうした空気が支配していると他の選択肢なんて見えるはずもなく、親達は勉強さえ出来ればいいという短絡的思考に陥ってしまう。『今回の事件の犠牲者達』
一番の犠牲者は神郷宝仙こと岡崎平八郎ではないだろうか。平八郎の所業だけを見れば罰せられて当然ではある。しかし、彼が被害者だった時はどうだったかというと、誰一人として彼の味方になってくれる人はいなかった。むしろ平八郎を煙たがり、側に近づこうとさえしなかった。両親を失ってからは自分しか信じられなくなった彼が最後まで欲していたのが母親佐代子の愛情だとすればこれほど悲しいことはない。『結論』
洗脳に対する目の付け所がよく、方法論にしても本当に出来てしまうのではないかと錯覚するほどのリアリティーを感じた。そうした新興宗教の実体を覗いてみたいという興味があるのならば一度手にとって読んでみることをお勧めする。タイトル | 作者 | 出版社 | 発売年度 |
カリスマ (上下巻) | 藤堂冬樹 | 徳間書店 | 2001年 |
タイトル | 作者 | 出版社 | 出版年度 |
現代を歩く | 斉藤茂男 | 共同通信社 | 2001年 |