フルーツバスケット
2005年1月25日作成
最終更新日 2005年4月25日

『全てを受け入れ、認めてくれる話に救われた』

 辛い時、悲しい時に、言ってくれると安心する言葉は確かにある。どうやら自分は、人の心の弱さを浮き彫りにするような話に弱いようだ。自分も似たような経験をしてきたからこそ、フルバに登場するキャラと同じような気持ちにしばしばなるのだと思う。透や十二支の面々が抱える悩みが掘り下げられる度に、何度となく深く共感してしまうのもその為である。日一日をもがき苦悩しながらも、どうにかこうにか生きている自分にとって、フルバは一種の救いになっている。自分の力では救いの言葉一つも生み出せないとあっては、全てを受け入れ、認めてくれるような話にどれだけ救われたことか。
 そもそも、本田透のような女性なんているはずがない。そんなことは判ってても、そういう人がいたらいいのにな、と思わずにはいられない。由希や依鈴がそうであったように、自分もまた、透のようなお母さんを求めていたのかもしれない。無償の愛を当たり前のように与えられる人間が、さも当然のような顔で生きているのが妬ましい時が、時折顔を覗かせることがある。「どうせ判る訳がない」と思いながらも、「恵まれない人の気持ちを理解する想像力」を働かせられる人間が1人でも増えればいいのに、なんて考えてしまう。

『最も印象に残るエピソード』

 それは何かと尋ねられれば、やはり「世界で一番馬鹿な旅人」ということになる。相手の言葉をなんでも簡単に信じては、律儀に「ありがとうございます」と感謝する旅人の人の良さを利用して、回りの人間や魔物達が食い物にする、といった内容である。これが一般的にどう思われるのか知らんが、自分は紅葉と同じく、常に相手の事を考えている旅人のことが、この上なく愛しくてならない。それと、お人好しであることを知ってて、あの手この手で騙していく人間や魔物の愚かしさには、怒りすら感じる。アニメから入った自分としては、淡々と語られる紅葉のナレーションも良かったし、原作の挿絵を温かみのあるライト系の淡い色彩での再現っぷりが素晴らしかった。

『改めて読み返してみて』

 単行本12〜16巻では、切なさと癒しで絶妙に混在する話に、自然と涙腺が刺激することが多かった。登場するキャラ達は抗えない状況に縛られ、苦しめられている。そのせいで、傷つけられて絶望に追い込まれることもある。そういった状況に下手な夢を見させるのではなく、あくまでも、微かな希望を抱かせているところがいい。どん底まで落ち込ませても、最後にはちょっとだけ持ち上げて、一時の安堵に浸らせる手法は上手いなと思う。
 そうして改めて読み返してみると、フルバに登場するキャラと自分の気持ちが、かなりの部分で重なっていることに気づかされる。燈路のように自分の気持ちを素直に出せず、ついつい憎まれ口を叩いてしまうところがそう。自分が虚ろで空気のような存在であることを自覚する真知のエピソードなんかでは、かなり共鳴するものがあった。生きている実感が希薄なまま、ただなんとなく日々を過ごしているように思うことがしばしばある。自分なんか居ない方がいいだろうと思いながらも、結局は未練がましくこの世に残っている。死の選択がありながらも、そうせずに生きながらえている自分は、一体なんなんだろう。そんな答えの出ない自問自答を未だに続けながらも、今はギリギリの線でなんとか踏ん張っている。



【現在読んでいるコミック】
タイトル作者 出版社1巻発売年度
フルーツバスケット
1巻〜16巻
高屋奈月 白泉社1999年

【参考資料】
『DVD』
タイトルメーカー @発売年度
フルーツバスケット@〜Hキングレコード 2001年