『はじめに』
タイトルだけで売り上げが左右されてしまうほど、世の中は甘くない。とはいえ、昔あった「部屋とワイシャツと私」を凌駕する並び系(〜と〜と・・・)なネーミングだけでなく、13という一般的に不吉とされる数字を3つも並べたインパクトあるタイトルには、流石に惹きつけられた。実際手に取って読んでみると、主人公カーリーが言うように「話があちこちにとっ散らかっている」ものの、いかにも10代の女の子らしい口調で語られていることに、不思議な魅力を感じた。『巧妙な罠』
それにしても、前半で仕掛けられた巧妙な罠にはまんまと騙された。なんていうか「人を信じる心」を巧みに利用して視野を狭めてしまうことで、別のトリックに気がつかせまいとする高等な話術にまんまと嵌められた感じだ。大枠は事実であるが、要所で嘘を混ぜることで、話に真実味を持たせる鮮やかな詐欺の手口というのは、見事としかいいようがない。これでは主人公のカーリーでなくても、大半の人は騙されてしまうのではないだろうか。『全体の印象』
全体的な印象としては「哲学的な思想」というか「物事の捉え方」というのがあったと思う。例えば「元々幸せだったことに気がついた」なんてところは「幸せの青い鳥」の「元々青色の鳥(幸せ)だったことに気がついた」ことと合い通じるところがある。もちろん、こういうことは自分から幸せである場所から離れてみて初めて判ることなので、その場にいる間はそう簡単には実感し辛いであろう。『少しでも子供の気持ちを・・・』
最後まで諦めずに知恵と勇気と行動力を駆使した結果、なんとか自力で危機を脱出したからいいようなものの、もし誰も気づかないまま時間が過ぎ去ってしまったらと考えると、とても恐ろしくてならない。何故ならば、「子供の身に起こった悲劇は、子供自身で解決するより他に術がない」と言われているような気がしたからだ。普通の子供はカーリーのように機転が利くわけでもないし、ましてや小説のように都合よく事が運ぶなんてこともない。かといって、人の考え方を一気に変えようとするのは難しいということも承知している。だから、少しでも子供の気持ちというものを、この作品を通して考えてもらえればいいかなと思っている。タイトル | 作者(訳者) | 出版社 | 出版年度 |
13ヶ月と13週と 13日と満月の夜 |
アレックス・シアラー (金原瑞人) |
求龍堂 | 2003年 |