白河の伝承芸能
安珍歌念仏踊
平成20年3月27日安珍忌
平成20年4月28日更新

歌舞伎「娘道成寺」で知られる「安珍清姫」の恋物語に登場する安珍は、奥州白河の修験僧である。延長6年(928年)19歳の春、修業のため紀州の熊野権現に参詣の旅にあった折一夜の宿を頼んだ紀州真名子の庄司家の13歳になる娘「清姫」に恋慕されたが、安珍は幼女の気まぐれと考えて後に立ち寄るとその場を繕って立ち去った。後にこれが偽りと知った「清姫」は激しい怒りのあまり「大蛇」に身を変えて安珍を追いかけて、道成寺(和歌山県日高川町)の鐘の中に逃げ込んだ安珍を恨みの火焔で責め殺してしまったといわれている。この安珍歌念仏踊は、彼の冥福を祈るため根田(現白河市根田)の里人が始めたもので、「娘道成寺」の物語を美しく歌い込んだ念仏踊として知られている。毎年3月27日の安珍忌に供養として「白河根田安珍歌念歌仏保存会」の皆さんにより踊られている。(安珍像の由来説明より要約)
 今から千年余の昔此の地から1千qもの遠路の紀州へ修業とは言いながら19歳の思いを駆り立てたものは何だったのだろうか,若い清姫の恋心を自らの戒律を楯に断ったが故に清姫に焼き殺されるという結末は仏の教えとして何を語っているのだろうか?

舞台左手に控えた歌い手は5人、それぞれ鉦を持って叩き、一人が太鼓を打つ拍子に合わせて安珍供養の歌を斉唱する。その旋律は古来の伝統的な節まわしを伝承しているという。 今年は安珍没後1080年に当たり、道成寺の地元日高川町からは「ミス清姫」と共に関係者が訪れて現在につながる供養祭と交流を深めていた。

安珍歌念仏踊踊り手は清姫を中央にして、右手に安珍左手に船頭両脇に二人ずつの踊り手で計7人の構成で踊る。鉦や太鼓に合わせて、
なんまいだぁ
″と唱えながら、ときに静かにときに激しく扇もおどる


安珍堂に安置されている安珍像、道成寺に所蔵されていたが地元有志のご好意により生誕の地に里帰りし納められたと記されている。


安珍の墓、安珍堂から西方に入った集落のはずれ。1050後の昭和53年清姫が押し掛けて参上し道成寺僧の媒酌でめでたく成婚したと。傍らに記されている

歌念仏踊徳川時代より毎年安珍忌に供養のため行われるようになり、踊はおやぶし、しへん(くずし)、ながし(歓喜の乱舞)と3段階に展開される。おやぶしは、しもさの踊り、そそりの踊りとその踊りの形も2種類に変化するという。
全体では、28種類の踊りから成る長い踊りであるが、そのうち今日は4種類を披露すると紹介された
。また地元中学校生徒による念仏踊りも行われて後継者も育ちつつあるようだ。
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