巻一

巻一解説

 有名な「祇園精舎の鐘の声…」で始まる平家物語の巻一は、天承2年(1132)の忠盛の昇殿から、安元3年(1177)の大火による内裏の焼亡までが描かれています。前半は清盛の急速な昇進と一門の繁栄が中心です。平家の栄華は、清盛の正妻時子の異母妹、建春門院滋子の生んだ皇子(高倉天皇)が天皇の位についたことで絶頂を迎えます。清盛の娘徳子も、高倉帝のもとへ入内します。平家はその権勢に驕り、摂関家をもないがしろにするほどでした。平家への反発は徐々に高まっていきます。  後半になると、いよいよ平家打倒の謀議が行われるようになります。法勝寺の執行俊寛の鹿ヶ谷の別荘において行われた平家討滅の謀議には、後白河院をはじめ、院の近臣である新大納言成親、平判官康頼、西光法師などが加わっていました。しかし計画は、西光の息子達と延暦寺との紛争により一時休止の形になります。延暦寺による強訴、大火による内裏の焼亡など、平家の繁栄とともに世の中は騒然となっていきます。

祇園精舎(ぎおんしようじゃ)

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり
 娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす
 奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし
 たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ
 勢威を誇った人物が滅びた例は、国の内外に数多いが、平清盛の場合は格別であった。

殿上闇討(てんじようのやみうち)

 清盛の父忠盛は、得長寿院の造進の功により内裏への昇殿を許されたが、殿上で闇討ちにされかかる。忠実な部下の行動と忠盛自身の機知により巧みに危機をかわし、上皇の賛嘆を得る。

平家物語絵巻「殿上闇討」

鱸(すずき)

 忠盛の死後は、嫡男の清盛がその跡を継いだ。清盛は急速な昇進を遂げ、太政大臣にまで登り詰めたが、それは熊野権現の利生によるものだった。

禿髪(かぶろ)

 清盛は病により出家する。しかし、平家の威勢はつのる一方で、そればかりか、禿髪と称する密偵を放ったため、平家の悪口を言う者はいなくなった。「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」。

吾身栄花(わがみのえいが)

 清盛自身だけではなく、一門の公達はことごとく高位の官職に就いた。娘も天皇の母となった徳子を始め、それぞれに栄えた。また、平家の知行国は全国の半分にも及んだ。

平家物語絵巻「吾身栄花」

祇王(ぎおう)

 清盛の寵愛を得ていた白拍子の祇王は、若い仏御前の出現でたちまち捨てられる。世をはかなんだ伎王はいったんは自殺まで考えたが、母や妹とともに出家して嵯峨にこもってしまう。そこへ無常を悟り出家した仏がやってきた。いったんは仏を恨んだ伎王も喜んでこれを迎え、四人とも往生の素懐を遂げた。

二代后(にだいのきさき)

 鳥羽院崩御後、世は乱れ、後白河院と二条帝との対立は隠れないものとなっていた。そんな中、二条帝は故近衛院の后多子を后として迎える。このような例は、かつて日本にはなかった。

額打論(がくうちろん)

 二条帝が崩御し二歳の六条帝が即位した。葬送の夜、墓所の周囲にかける額の件で、延暦寺と興福寺が紛争を起こした。東大寺の次は興福寺が額をかけるべきところを、延暦寺がかけてしまったのだ。怒った興福寺の悪僧は、延暦寺の額を打ち壊した。

清水寺炎上(きよみずでらえんしよう)

 山門の大衆が興福寺への報復のため下洛したため、後白河院による平家追討の動きだという流言が飛ぶ。延暦寺の大衆は六波羅へは向かわず、興福寺の末寺である清水寺を焼いた。しかし、清盛は院への不信をもらし、重盛に諫められる。

東宮立(とうぐうだち)

 清盛の正妻時子の異母妹、建春門院の産んだ皇子が東宮に立ち、二年後に高倉帝となる。女院の兄平時忠は絶大な権力を持つようになり、“平関白”と呼ばれた。

殿下乗合(てんがののりあい)

 院は平氏への反感を覚え始める。その頃、重盛の次男資盛が、鷹狩りの帰途、摂政基房の一行に礼を失して乱暴される事件が起きた。激怒した清盛は重盛の諫めをも聞き入れず、参内する基房を武士に襲わせた。平家悪行の初めである。

鹿谷(ししのたに)

 高倉帝のもとに徳子が入内した。院の近臣藤原成親は、欠員となった左大将の職を熱望したが、清盛の子息に超えられ、平家討滅を決意する。鹿の谷の俊寛の山荘で計画が練られ、時折、院も同席して酒宴が催された。

平家物語絵巻「鹿谷」

俊寛沙汰 鵜川軍(しゅんかんのさた うかわいくさ)

 成親は多田蔵人行綱を平家討滅の大将として頼み、白布五十端を与える。その頃、西光の子息師高・師経が、任国の加賀で白山社の末寺鵜川寺と紛争を起こす。白山の衆徒は神輿を奉じ、本寺延暦寺に訴えた。

願立(がんだて)

 山門の大衆は師高兄弟の断罪を朝廷に要請するが、裁許は遅々とした。昔、山門強訴の時、関白師通が日吉山王の神罰で寿命を縮めた例もあり、事の結果が憂慮された。

御輿振(みこしぶり)

 山門の大衆は神輿を奉じて内裏への乱入をはかる。大内守護の源三位頼政は小勢であったが恭順を示し衝突を避けた。平氏軍はこれを迎え討ち、神輿には無数の矢が刺さり、神人・宮仕が射殺され、衆徒も多く傷を負った。

内裏炎上(だいりえんしよう)

 大衆が再入洛の動きを示す。使者にたった時忠は機知をもって大衆の怒りを静め、衝突を未然に防いだ。師高兄弟の罪科は決定され、神輿を射た武士達も罰せられた。間もなく大火が起きて、多くの公卿の邸ばかりか大内裏をも焼き尽くした。日吉山王の神罰であると夢に見る者もいたという。

参考文献

山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(一)』(岩波文庫)/ 梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)