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経盛・教盛の一族

平経正(たいらのつねまさ)

 生年未詳(久安年間か?)、寿永3年(1184)没。経盛の長男。正四位下、左兵衛佐、皇太皇后宮亮、但馬守。幼い頃、仁和寺第5代御室覚性法親王に仕えた。人柄は温厚・風雅で、琵琶の演奏に長じていた。平家物語によると義仲追討のために北陸道に遠征する途上、琵琶湖の竹生島に参詣した経正が神前で琵琶の秘曲を弾ずると、明神が白龍と化して経正の袖に現じたという。また、都落ちの際は覚性法親王との最後の別れを惜しみ、法親王から拝領した琵琶の名器「青山」を返上した話が見える。歌人としても有名で、『新勅撰集』『新拾遺集』にも入集している。一ノ谷の合戦で討死。

平経俊(たいらのつねとし)

 生年未詳、寿永3年(1184)没。経盛の子。治承2年(1178)、従五位下・伊賀守、翌年若狭守。一ノ谷の合戦では、知盛・重衡を大将軍とする生田の森の陣を守った。平家物語によると、淡路守清房・尾張守清定とともに三騎で敵中に駆け入り、さんざんに戦った後、討ち死にしたという。

平敦盛(たいらのあつもり)

平敦盛

 嘉応元年(1169)生、寿永3年(1184)没。経盛の子。従五位下で無官であることから“無官大夫”と呼ばれた。一ノ谷の合戦における熊谷直実とのエピソードはあまりにも有名。何としても敵の大将軍を討ち取ろうと功を焦る直実が、大将軍と見て組み敷いた武将は「容顔まことに美麗」な若武者であった。我が子と同い年ほどの敦盛に同情した直実は命を助けようと考えたが、振り向くと見方の軍勢が迫ってくる。そこで泣く泣く敦盛の首を取ったという。笛の名手で、直実に討たれた際も錦の小袋に入れた笛を携えていたと、平家物語は伝えている。その笛は「小枝」といわれる名器で、鳥羽上皇の秘蔵だったものを、やはり笛の名人であった忠盛が拝領し、それを子の経盛に伝え、それが敦盛に与えられた。

平通盛(たいらのみちもり)

 生年未詳、寿永3年(1184)没。教盛の嫡男で、母は皇后宮大進藤原資憲の娘。中宮亮・建礼門院別当・非参議従三位。越前三位と呼ばれた。多くの戦闘において大将軍、副将軍として出征、任国である越前方面への追討などで活躍した。その後、倶利伽羅峠の戦いで惨敗。一ノ谷の合戦では山の手の大将軍として、弟の教経・業盛、侍大将の越中前司盛俊らとともに防備に尽くしたが、乱戦の最中に弟たちとはぐれ、自害しようとしたところを佐々木三郎盛綱、玉井四郎資景らに取り囲まれて討たれた。通盛の死を悲しんだ妻の小宰相が、一ノ谷から屋島に向かう途上、海に身を投げた話は、平家物語の恋愛潭の中での白眉といえる。

平教経(たいらののりつね)

平教経

 永暦元年(1160)生、元暦2年(1185)没。清盛の弟、教盛の次男。治承3年(1179)従五位下・能登守。平家随一の猛将として名高く、数々の合戦において武勇をあげているが、残念ながらそのほとんどは史実として実証できない。ただ、平家物語によると、水島の合戦において義仲の代官足利義清を破り、「六ヶ度軍(ろつかどのいくさ)」をことごとく勝利して中国・四国の叛乱を平定、屋島では「矢さきにまはる者、射とほされずといふ事なし」という活躍を見せる。また、壇ノ浦では義経を“八艘とび”させるほどに追いつめ、その最期は敵方の猛者を両脇に抱え込み海中に身を投じるという壮絶なものであった。

平業盛(たいらのなりもり)

 生年未詳、寿永3年(1184)没。教盛の三男、通盛・教経の弟。蔵人、従五位下。通盛の弟ではあるが年齢はかなり隔たっており、かつ一ノ谷の合戦以前に従軍した形跡もないことから、従兄弟の敦盛などと同世代と思われる。一ノ谷の合戦において、兄たちとともに一万余騎をもって山の手の城戸口の防備にあたった。平家物語によると、業盛は常陸国の住人・土屋五郎重行と組んで討たれたという。とくに、八坂本の記述は詳しく、ひぢや(土屋か?)の五郎と組んで井戸に落ちて討たれたという。生年も16歳ということになっている。

忠快(ちゅうかい)

 応保2年(1162)生、安貞元年(1227)没。教盛の子。天台宗山門派の僧で、天台密教の一派・小川流の祖。出家後、覚快法親王の門下に入り、慈円や玄理に師事。養和元年(1181)、権律師になる。寿永2年(1183)7月、平家一門とともに西走、壇ノ浦の合戦で捕らえられ、伊豆国に流罪。その間、源頼朝をはじめ鎌倉の有力者の帰依を受けるようになる。ことに、将軍・実朝の尊崇は絶大で、帰洛し洛東の小川に住房と持仏堂を営んだ後も、実朝の招きによりたびたび鎌倉に下向した。建仁3年(1203)、前権僧正である慈円の譲りにより権少僧都に復任。承元年間中には、法眼、権大僧都に叙任。さらに建暦年間には、法印に昇叙。晩年は、比叡山・横川の長吏に補された。