その5-室山合戦

合戦データ

大将軍 平家軍:平知盛・重衡 源氏軍:源行家
戦力 平家軍:2万騎 源氏軍:500騎

巧妙な包囲作戦が功を奏す!

 破竹の勢いを以て入洛し平家を西海へ追い落とした義仲であったが、貴族との葛藤や関東の頼朝勢の脅威により停滞を余儀なくされていた。その間、平家軍は備中水島で義仲の代官矢田判官代義清の軍を破るなど、着々と勢力を盛り返していた。
『平家物語』によると、備中国万寿の庄で勢揃えし、今にも屋島へ攻め寄せようとしている義仲のもとへ、京に残っていた樋口次郎兼光からの使者がやって来た。義仲が留守の間に、行家が義仲のことを院に讒奏しているというのである。摂津国を経由して急ぎ京へとって返す義仲だが、一方の行家は義仲と顔を合わせないよう、入れ違いで丹波路を経由して播磨国に下った。この間に平家は義仲を討つため、知盛、重衡を大将軍に、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清を侍大将として、都合2万余騎で播磨国室山に陣を取った。行家は500余騎をもって室山に押し寄せた。
 平家は陣を5つに張り、一陣を盛嗣、二陣を伊賀平内左衛門家長、三陣を忠光・景清、四陣を重衡、五陣を知盛として、四陣まで行家軍を引き入れてこれを討つという作戦をとった。この作戦にまんまと引っかった行家の軍勢は、大軍に取り込められてさんざんに打ち負かされたのである。行家は命からがら播磨国高砂から和泉国へ逃げ延び、河内を越えて長野城へ引きこもってしまった。こうして水島、室山両度の合戦に勝利を治め、義仲との和議の交渉も平家有利に進められるほど勢力を回復するとともに、福原に進出し一ノ谷に陣を構えることとなったのである。
 この合戦は平家物語によると義仲による法住寺焼き討ち以前の出来事となっているが、史実ではその後の事件である。また、行家は京において義仲と仲違いし、平家を討つため西下したという。この頃、義仲は義経軍の来襲に備えて京に居残っていたのである。

参考文献

上横手雅敬著『平家物語の虚構と真実(下)』(塙新書)/ 梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)/ AERAMook『平家物語がわかる。』(朝日新聞社)