その4-水島合戦

合戦データ

大将軍 平家軍:平重衡・通盛(平家物語では知盛・教経) 源氏軍:(木曾義仲)・矢田判官代義清
戦力 平家軍:1000余艘 源氏軍:7000騎

都落ち以来の雪辱を果たした一戦

 木曽義仲の源氏軍の入京によって西海落ちを余儀なくされた平家であったが、京で義仲が停滞している隙に、屋島を根拠地として内海一帯に勢力を回復していった。平家物語によると、平家は屋島にあって山陽道8か国、南海道6か国、都合14か国をおさえ、着実に勢力を盛り返しつつあった。そこで義仲は矢田判官代義清を大将軍に、海野弥平四郎行広(清和源氏の滋野氏。本名は幸広)を侍大将として、7000余騎を屋島に差し向けた。
 軍勢が備中国水島の港から、すでに屋島に押し寄せようとするとき、大手は新中納言知盛、搦め手は能登守教経を大将軍として1000余艘の平軍が押し寄せてきた。合戦が始まると、平氏軍は千余艘の船をことごとくつなぎ合わせて、船から船へ行き来できるようにしたという。
 侍大将の海野は討たれ、義清も主従7騎で小舟に取り乗って逃れようとするが、船が転覆してあえなく落命する。結局、源氏の軍勢は総崩れとなり、ここに平家は都落ち以来の雪辱を果たしたのである。
 ただ、史実では平家の大将軍は重衡と通盛である。この後の一ノ谷、屋島、壇ノ浦における知盛・教経の活躍を踏まえたうえでの虚構であろうか。

参考文献

山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(三)』(岩波文庫)/ 安田元久著『平家の群像』(塙新書)/ 上横手雅敬著『平家物語の虚構と真実(下)』(塙新書)/ 梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)