その3-火燧城合戦

合戦データ

大将軍 平家軍:平維盛・知度・行盛・経正・通盛 源氏軍:(木曾義仲)・斎明威儀師・稲津新介・林六郎光明・富樫入道仏誓など
戦力 平家軍:4万騎 源氏軍:6000騎

平家の大軍、義仲の前進基地を粉砕!

 城四郎長茂率いる6万余騎の大軍を横田河原において撃破し、いよいよ勢いに乗る木曽義仲の軍勢を討つべく、寿永2年4月、平家は維盛を大将軍として4万余騎(平家物語では10万騎)の軍兵を北陸道に派遣する。追討軍は4月末に越前国へ進出、今庄の火燧城(ひうちがじょう)に攻め寄せる。
 「平家物語」によると、城には平泉寺の長吏斎明威儀師をはじめ、藤原則光の子孫稲津新介、藤原利仁の子孫富樫入道仏誓など在地の武士勢力が籠もっていたという。 城郭は山に囲まれているうえ、前には2つの川が流れており、その川の水がせき止められて湖のようになっていたため、城は堅固な要塞となっていた。船がないので渡ることもできず、湖に浮かぶ城郭を前にいたずらに日数を送る平家軍。
 だが、源氏方の斎明威儀師は平家に寝返って、城を攻略する方法を平家軍に漏らしてしまった。かさにかかって攻めよせる平家軍に蹴散らされ、源氏軍は総崩れとなり、とうとう城を捨てて砺波山まで退却したのである。こうして平家一門の総力を結集した北陸道遠征は、緒戦をみごと勝利で飾ることができたのである。
 もっとも、この勝利はあくまで敵方の内通によってもたらされたものであり、この後、勝ちに乗じて越中まで攻め入った平家軍は砺波山で義仲の軍と衝突、倶利伽羅峠において致命的な大敗北を喫するのである。

参考文献

山下宏明・梶原正昭校注『平家物語(三)』(岩波文庫)/ 安田元久著『平家の群像』(塙新書)/ AERAMook『平家物語がわかる。』(朝日新聞社)/ 梶原正昭編『平家物語必携』(學燈社)