その28 上対馬送別会


 

 上対馬の病院には昭和58年から月1回の診療を続けた。時にはそれが月2回になることもあった。厳原から90kmの2時間の道のりであった。
 上対馬町に入るとまずハングル文字のハンニョン(歓迎)という看板が目につく。あちこちでハングル文字が目に入るのは国境の町を感じさせる。韓国の遠映が、国境の町の淡い思いを伝えてくる。
 毎月、上対馬の町で食事をするのが月1回の楽しみであった。生きのいい対馬の海の幸の中でも上対馬の夜の楽しみはまた格別であった。食事をしながら、上対馬病院のDr.達や職員の人達と話をする。地域医療の熱い思いが伝わってくる。無医地区と叫ばれ悲惨な状態だった昔の医療はもうほとんどその面影はなくなってきていた。上対馬町比田勝の狭かった道路も拡張工事が進み近代的になった。おそらく今度対馬を訪れるとき、がらっと違う別の世界が訪れるであろうことは容易に想像できた。
 その中で私の送別会が行われた。私の送別会のために上対馬病院のDr.たちが駆けつけてくれた。内科、外科、小児科、整形外科の対馬の医療の情熱に溢れたDr.達との会話。この上対馬のひとときは生涯忘れることはできないだろう。私はその夜、最後の上対馬の夜に思いを馳せながら、明日の診療のために酩酊状態ながらも早く床についたのだった。

 
上対馬からの韓国遠望
手前に海栗島を望む