その3 医療砂漠


 大村の長崎空港から対馬空港までYS-11のプロペラ飛行機に乗ったのは、昭和53年のことであった。国立長崎中央病院の外科医長と研修医である私は、胆石の手術の介助に厳原病院(現対馬いづはら病院)へ向かったのだ。私は麻酔を担当した。学生の頃まる一日かかっていた対馬までの距離はほんの45分の時間で終わってしまった。この変化は劇的だった。飛行機から見える浅茅湾の景色はまた格別であった。初めて見る厳原病院。老朽化した建物。そして、医師は院長と年老いた内科の先生と今年3年目の長崎県離島医師修学生の新進気鋭の外科医の3人だけ。島の医療の現実はすぐわかった。医師がいない。そして、患者さんは溢れている。大半の患者さんは島の医療に信頼が持てず、福岡に出かけているのだ。空港ができたことで、ますます流出は広がっているという。これから、私がやらなければならないことは何かが痛いほどわかった。しかし、この埋められない広い医療砂漠をどうやって埋めたらいいのか。高まる不安をぬぐい去ることはできなかった。


浅茅湾 あそうわん

上島と下島を分かつリアス式の入江。タイ、イシダイ、イサキ、シロギスなどの宝庫。真珠の養殖も有名。