パソ通とインターネット



Macと私その3




 しかし、その強力なPOWER MACの優位性を示せたのは半年くらいでした。新しいMac参入者が次々とより最速のPower Macを買い始めたのです。すぐにPCI搭載Macが出現し、アッと言う間に私の7100/80AVは中古品になってしまいました。医局のCentrisなんてだれも見向きもしなくなりました。
 新製品情報と新しいソフトの情報にみんな飢えていたのです。Windows3.1の時代からWindows派は少数で医局の1割くらいでした。9割がMacなのです。Mac全盛期でした。しかし、Windows95の登場とともに少しづつWindowsも増えていったのです。
 そして、パソコンの世界をさらに私に引き寄せたのは言うまでもなく通信の世界でした。福岡のジークス天神に28.8kbpsのモデムを買いに行ったのは1996年3月のことです。とりあえず、Nifty-ServeとAsahi-Netに入会しパソコン通信を始めました。これが噂に聞くパソ通かと身震いしました。それまではFaxとどう違うのかなと思っていたのです。パソ通はもうその5年くらい前から勧められていたのですがなかなか手が出せなかったのです。飛行機の予約や切符などが24時間オンラインでできるのが嬉しかったです。フォーラムを覗くといろんなコーナーがあって目移りするほどです。とにかく面白かった。しかし、通信費が高くて(回線の問題もあって)、ちょっとしかできなかったのが不満でした。
 インターネットの世界はNetscapeNavigator1.0の入手から始まりました。Mosaicというブラウザのことしか頭になかった私でしたが、このNNで見たホームページは素晴らしい世界でした。どうしたらこのようなHPができるんだろうとただただ驚嘆するばかりでした。
 そうこうしている間に、対馬を去る日がやってきました。福岡での開業です。もちろん院長室にはISDNをひきました。これからはインターネットの時代であることを確信したのです。長い長い対馬での生活にピリオドを打ち、5月から福岡での生活が始まったのでした。 
 

OKI PCLINK TA2A/DSU
EGYPTIAN