その21 永住か島を出るか


 

 島内眼科医ひとりの苦労は続いた。しかし、それなりに充実感はあった。自己満足かもしれない。住民と一体感のある生活に酔っていたのかもしれない。外の見えない世界に浸っていたのかもしれない。
 義務年限はとっくに過ぎていった。義務年限後の受け皿はない。自分で就職先を探すか、そのまま対馬に永住してしまうか。私は悩んだ。後輩がやってくる。眼科2人体制では仕事は楽になるが病院にはそれだけの余裕はない。島内には2人必要だが、病院には1人で充分といった見方がある。それをいづはら病院だけに押しつけるわけにはいかない。
 もうひとつは、家族の問題である。一刻も早く島を脱出したいといった家族の願いを毎日毎日聞かされるとノイローゼ状態になってくる。島への永住は難しい。学校教育、文化、娯楽施設、医療設備などどれをとっても日本本土にはかなわない。島出身のものでさえ島から離れていく時代に島外からの永住は非常に困難を伴うことは明らかだった。島への思いを断ち切らなければいけない。葛藤は続いた。
 勤務医で続けることも許されない状態となった私にとっては、身の振り方はどこで開業するかということだった。対馬での開業は何度も考えた。しかし、家族とともに生活できない開業が果たして成功するのかを思うときその考えは何度も挫折感に変わるのだった。11年間苦楽を伴にしてきた患者さんたちを思うときその挫折感は悔しさに変わってくる。しかし、私はついに決断を迫られてしまった。



対馬いづはら病院