その1 長崎県対馬


 私が対馬の土を初めて踏んだのは昭和48年(1973年)夏のことだった。まだ学生だったあの頃対馬には空港ができていなかった。諌早から急行”稲佐”にて3時間。博多港から船で6時間。朝出発したのに厳原港に着いたときにはもう夜の8時半だった。同じ長崎県内なのにこの距離は凄いと思った。そして、荒れ狂う玄界灘の激流にフェリーは縦揺れ横揺れの連続で船内はまともに歩けない。気分が悪くなって甲板に出たとたん波をざばーとかぶってびしょぬれになった。少し悪酔いがおさまった。おー島影が見えてきたぞやっと着くぞと思ったらそこは壱岐の島だった。あと3時間の悪夢をさらに経験するのだった。暗闇の中ようやく対馬が見えてきた。そして、船から下りようやく対馬に上陸した。しかし、地面はまだ揺れている。どうも、三半規管をやられたらしい。その日、陸に住むことのありがたさが嫌と言うほどわかったのだ。



万松院