仙台城址(青葉城)



仙台といえば、やっぱり青葉城を思い浮かべる人が一番多いのではないでしょうか。さとう宗幸のあのヒットナンバーの影響が大きいのだと思います。あとは“杜の都”という称号でしょう。

青葉城というのは俗称で、正式には仙台城址です。私が住んでいた頃は市内の道路案内には仙台城址としか書いてなかったので、「青葉城はどこですか?」とよく聞かれたものです。今はたしか青葉城とわかるようになっていたと思いますが。

そして青葉城といえば伊達正宗。幼い頃の病気で隻眼になったことから、独眼竜正宗とも呼ばれています。城址には騎馬像があり、観光ガイドでもよく紹介されています。ただし、この正宗像は両眼が開いています。もちろん遥か後代に作られたものですが、自分の絵姿を隻眼にさせることがなかったという逸話に沿って作られたというわけです。


この正宗騎馬像の近くには、「昭忠塔」が立っています。
維新後、後の帝国陸軍第二師団の前身となる鎮台が置かれました。強かったからか、奥羽列藩同盟で幕府派についたからか、西南戦争や日清戦争などで前線に配置されることも多く、数多くの犠牲が出た、と聞いたことがあります。その犠牲者を悼むために作られたのがこの昭忠塔です。


塔の上には猛禽類の像がのっています。
私はてっきり鷲か鷹だと思っていたのですが、今回いわれを書いた掲示板をちゃんと読んでみたら、鵄(トビ)なのだそうです。知らなかった(汗)

この鵄、首をぐいっと曲げているのですが、高校時代に先生から「あれは日露戦争のころに作られたから、ロシアを睨んでるんだ」と聞きました。掲示板には「大陸を睨んでいると言われます」と書いてありました。まんざら嘘でもなかったようです(笑)





他にもいろんな像や碑が城内に立っています。


こちらは土井晩翠像。
「荒城の月」の作詞者として知られる彼は、仙台の出身です。旧制二高を卒業したそうで、ってことは先輩だ(笑)

胸像と「荒城の月」の詩を刻んだ碑が置かれています。






青葉城址は、仙台市中心部を見渡せる絶景ポイントでもあります。木々の間から写真を撮ってみましたが、この大きさでも住んだことのある人ならどちら方面を見ているか分かると思います。


 なんだか付属品ばかりで肝心の城はどうしたとつっこまれそうな気が(汗)
じつは、城の建物は残っていません。もともと天守のない城でしたが、数少ない建物は壊されたり焼失したりしてしまいました。現在ある建物は、後で再建されたももだそうです。

本丸址には、護国神社と土産物屋(いちおう資料館つき)が建っています。写真の赤絨毯はなにかのイベント用ですので、常にあるわけではありません。


今も残るのは石垣です。
しかし、すぐそばを交通量の多い道路が通っているところもあり、風化と車両による振動でどんどん緩んでしまっています。場所によっては危険な状態となり、私が住んでいた頃には崩壊を検知するセンサーと警報装置が設置されていたほどです。


そのもっとも危険だった個所は、現在大掛かりな修復工事が行われています。一旦石垣を取り除き、基礎を固めてから積みなおします。来年には完成するようです。ただし、この工事にあわせて艮隅櫓を再建するのですが、当時のままにするのか観光用に見栄えのいいものにするのか、論争になっているそうです。ええい、つまらんことでもめるんじゃない(汗)






上の工事現場を横に見ながら山を下ると、隅櫓があります。その昔、大手門があったあたりです。この櫓も後に再建されたものです。大手門は比較的後代(大正だったか昭和だったか)まで残っていたそうですが、残念ながら失われてしまいました。当時の写真で見るとなかなか立派そうなだけに、もったいない……。


この隅櫓のすぐ近くには、支倉常長像が立っています。
支倉常長は正宗がヨーロッパに派遣した人物で、ドン=フィリッポ・フランシスコ常長という名前も伝えられています。ときの法王だったか国王だったかにもらったはずです。仙台では誰もが知っている人物で、支倉焼きなんていうお菓子もあります。もちろん、縁も所縁もない名前だけの繋がりですけど(汗)



青葉城への足は、バスがおすすめです。
仙台駅から「青葉城址循環」に乗ります。青葉通り経由と愛宕大橋経由がありますが、循環ですからどっちに乗っても大丈夫です。