YOMODA YASHIKI




【ゆく年くる年】






冴え冴えとした空気の中、夜道を歩きながらふと見上げると、空に丸い月が浮かんでいる。
あ、星も見えるな。夜だというのに雲の形までくっきりとわかる。
こんな月明かりと星明りの夜はいい。
隣に歩いてる人の横顔がはっきりと見えるから。

「カカシ先生、すみません。大晦日だっていうのにこんな時間までつきあわせてしまって…」
顔に横一文字の傷のある人が、申し訳なさそうな顔をしてそんなことを言う。
「いえいえ、手伝うって言ったのはオレなんですから気にしないでください。
でもこんな日まで残業なんて、イルカ先生も大変ですねぇ」
「そんなことはないですよ。デスクワークなんて任務に比べれば簡単な仕事ですから…」
イルカ先生はそう言って笑うが、あれだけの量を一人でこなすなんてそう簡単なことだとは思えない。
しかもどうやらこの人は、年末だからと家族もちや恋人が待っている人間の仕事まで引き受けて、一人で残業していたようなのだ。
「オレは一人身で家族もいないから」なんて言ってたけど、あなたの帰りを待ってる人間だってここにいるんだけど。
何度か身体を合わせたくらいじゃ、まだ恋人だとは認めてもらえないのかな?
少し寂しく思いながら、オレがまっすぐに前を向いて歩いているイルカ先生の横顔をじっと見つめていると、だんだん恥ずかしくなったのか、顔を赤くしてうつむいた。
今時こんな可愛らしい反応をするなんて、アカデミーの女の子だっていないだろう。
くすくす笑っていると、照れ隠しでこんなことを言い出した。
「カ、カカシ先生、除夜の鐘ですよ」
とっくに半分くらいつき終わってるんだけど…今頃気づいたのかな?
「そうですね〜。あの音聞くと今年も終わりなんだなぁって気がしますね〜」
嘘だけど。
そんなこと、今の今まで思ったことなかったけど。
除夜の鐘をしみじみ聞くことなんて、これまで一度もなかったから。
そうだ、除夜の鐘ってたしか…。
「あれって百八つの煩悩を取り去るためにつくんですよねぇ〜。イルカ先生に煩悩なんてあります?」
「え?何言ってんですか、ありますよ。オレは平凡な人間ですから」
へえ、平凡?
平凡な人間は里長にあれだけ親しくできないし、上忍にもくってかからないし、九尾が封印された子供をあれほど大事にはできないと思うけど。
そしてオレみたいな半分化物に愛されちゃったりもしないだろう。
この人は自分のことは全然わかってないみたいだなぁ、あいかわらず。
「イルカ先生の煩悩っての聞きたいな〜。
あなたを悩ます欲望って何です?」
「そ…そんなこといきなり言われても困ります」
「んじゃイルカ先生の家に着くまでの間、考えててください。家で答えを聞きますから♪」
「ちょっ…そんな大層なことじゃ…。
えーと、今のオレの願望を言えばいいんですよね?
まず一番に、ナルトに強くなってもらって、あいつの理想の忍者に育ってもらいたいです。
あとサスケに復讐なんて忘れてもらいたい。
日向一族のネジやヒナタにも幸せになってもらいたい。
それから今アカデミーで教えてる子たちなんですが、辛い境遇の子がいましてね…」
延々と人のことばかり話している。
これがイルカ先生じゃなかったら、何良い人ぶってるんだと唾棄しているとこだが、この人の場合本心だから怖い。
オレもたちの悪い人に惚れたもんだ。
いったいオレという存在は、あなたの心の何分の一を占めているんだろう?

「イルカ先生、それって煩悩って言いませんよ〜」
「あ、そ、そうですね。願望じゃなくて煩悩でしたね。
とりあえず美味いもの食べたいですね、蟹とか。あ、制服もくたびれてきたから新しいの欲しいなぁ。
あとストーブが壊れたから買い換えたいんですけど、買いに行く時間がないから…」
…それも煩悩っていえばそうだけど、聞きたいこととちょっと違う。
だいたいそれくらいの望みなら、オレがすぐにかなえてあげられるんだけど。
「イルカ先生、煩悩ってのはね、人の心を悩まし迷わせ、支配するものです。
たとえばオレの煩悩だったらね。
ひとつ、イルカ先生を今すぐ押し倒したい。
ふたつ、イルカ先生と今度あの体位を試したい。
みっつ、イルカ先生にアレをやって欲しい。
よっつ、イルカ先生を泣かせたい。
いつつ、イルカ先生をよがらせたい…」
「わーわーわーっ!!
ななななななに言ってんですか、往来でっ!」
真っ赤な顔したイルカ先生が慌ててオレの口をふさぐ。
「ん〜、オレたち以外誰も歩いてませんよ〜?」
「あ、あなたはそんなことしか考えてないんですか?!」
「ハイ、考えてません」
はぁと大きくため息をつかれた。
「まだまだ先があるのに…百八つ、全部イルカ先生のことなんだけどな〜」
「馬鹿なこと言わないでください。オレのこと以外にもいろいろあるでしょう?」
「ないですよ〜。オレ、今までこんなに誰かに執着したことってないですもん。
イルカ先生がオレの初恋だってこと、言いましたっけ?」
「またそんなこと…」
あれれ、信じてくれないのか。本当なのに。
ま、いいけどね。
「オレの一番の煩悩は、『イルカ先生を独占したい』ってことなんですけど」
横を歩くイルカ先生の手をそっと握る。
一瞬びくりと手が震え、払いのけられるかと思ったら、そのままにしてくれた。
こんなことがひどく嬉しい。
今日が大晦日で、誰もいない夜で良かった。
恥ずかしがり屋のこの人が、手をつないで歩いてくれるなんてこの先そうあることじゃないだろうから。
「イルカ先生の煩悩の中に、ひとつくらいオレのことってないですか?」
軽い調子でオレの本音を聞いてみる。
あ、うつむいた。
イルカ先生はそれきり黙りこんだまま、ずっと下を向いて歩いている。
難しいこと聞いちゃったかな?
握った手は離さないでいてくれたけど。





イルカ先生の家に着いた時、ちょうど12時をまわった。
「あけましておめでとうございます、カカシ先生」
「おめでとうございます。今年もヨロシク〜」

ちゃっかり家の中に入り込んだオレに、まずは暖かいものをと熱いお茶を入れてくれた。
「少し待っててください。今何かつくりますから。
あ、年越しそば買ってたんですけど…年は越しちゃいましたけど、食べます?」
「お、そばですか、いいですね!」
実は年越しそばなんてものも食べたことはない。
オレはこうやってイルカ先生のところで教わる『普通のこと』が嬉しくてたまらないのだ。
コトコト包丁の音も気持ちいい。
オレのために食事を用意してくれているイルカ先生の後姿を見ているだけで、温かい気持ちになってくる。
いいなぁ、この家は。
この時間は。
…さっきオレがイルカ先生に言ったことは、ちょっと違ったな。
たしかにイルカ先生を独占したい気持ちは強いけど、一番のオレの煩悩は、ずっとこうやってイルカ先生と、こんな時間を過ごしていきたいと思っていることだ。
そのためならどんな犠牲も厭わない。
少しでも長く、少しでもあなたと一緒に生きていたい。
忍びにとって不必要なその感情は、煩悩以外の何物でもないだろう。


「お待たせしました。味の保証はしませんよ」
「いただきまーす!
うん、美味いですよ、これ!
オレ、こんな美味いそば食べたことないです♪」
「ただの年越しそばですよ」
照れながらも、まんざらでもなさそうなその顔が可愛い。
あれ?
疑問に思ったことを聞いてみる。
「…ねぇ、イルカ先生。一人暮らしなのに、なんでそばが二人分あるんです?」
「え?
あ、そ、それは…ちょっと余分に買ってしまったんで…」
赤い顔して焦ってるってことは、これはオレの分も最初から用意してくれてたってことだな。
今日会うことなんて約束してなかったのに。
ナルトのためや、ただの買い置きならそんなに照れたりしないでしょ?
ああ、顔がゆるむ。
あんまりオレがにやけていたせいか、イルカ先生はきまりが悪そうにして言った。

「さっきの…煩悩の話なんですけどね」
「はい?」
「煩悩じゃなくて願望なら、オレもカカシ先生のこと考えてますよ」
「…」
「また来年もこうやって年越しそば、一緒に食べたいと思ってます」



――――オレ達の新しい年に祝福を――――



<終>