YOMODA YASHIKI




【綺麗】



「…ハァ、…ハッ、ハァ……」
濃厚な空気が部屋の中を充満している。
何度も重なり合い、繋げあった身体は、互いの意識の中ですでに境界線を失い、まるでどろどろに融け合わさったかのようだった。たとえようもない深い充足感と、逃げ出したくなるような恍惚感。次にやってくるのは、甘やかな死だ。
「…―――はぁっ…!」
二人、ほぼ同時にそれを迎え、蘇生――覚醒する。
現実に引き戻される瞬間だ。
整わない二人分の息と、自らの鼓動が耳に響き、肌をつたう汗とそれとは違う熱い体液、身体を離した途端に急速に冷えていく体温を感じる。
目を開けるとそこには見慣れたラブホテル――こういう横文字には未だに慣れないため、自分には『出会茶屋』という方がしっくりとくるのだが――の安普請の天井があり、足元には薄っぺらい掛け布団が投げ出されているのが見えた。
隣には自分とほとんど変わらない上背の男が、自分と同じように呼吸を整えながら、しっかりとした体躯に何も纏わぬまま、敷き布団の上にだらりと横になっている。
内側の熱も外側の熱も共有したその男の体温を、どこかでまだ名残惜しいと思っている気持ちを切り替えるため、土方は重い身体を起こし、そばにあった着物を肩に軽く羽織って壁にもたれ、煙草を一本咥えて火をつけた。
肺に思いっきり煙を吸い込むと、窓の方に向かって煙を吐き出す。心地よい疲労のせいか、情事の後の一服は格別に美味く感じる。
また肺に深く煙を入れて、しばらくためて、少しずつ吐き出す。そうやってしばらくの間、じっくりと煙草の味を堪能していたが、ふと傍にいる人間のことが気になった。
いつもならこんなSEXの後ですら、五月蝿いほどああだ、こうだと話しかけてくるお喋りな男が、今日に限って何も喋らないのだ。気になっても不思議ではない。
なんだ、もしかして風邪でもひいてたのか?そのわりにはさっきまでアレはえらく元気だったけどな、などと下世話なことを思いながら、土方は布団の上に寝っころがったままの銀髪の男をしげしげと見つめる。
銀髪の男―――坂田銀時は、なぜだかほうけたような顔をしてこちらを見ていた。気のせいか心持ち耳元が赤くなっているような気がする。
「なんだ…?
俺の顔に何かついてるのか?」
怪訝な顔をして問いかける土方に、呆けたままの銀時は、とんでもない言葉で返答した。
「…お前、本当に綺麗な顔してんだなぁ…」

最初土方には、銀時が何を言っているのかわからなかった。
そのつぶやきはおそらく土方に返したものではなく、無意識に口からこぼれたものだったらしい。
その証拠に、土方が不審げに銀時の顔をじっと見つめると、その時はじめて己の言葉の意味に気づいたようにはっとしたかと思うと、バツが悪そうに顔をそむけ、そ知らぬ顔を決めこんだからだ。
その顔が、らしくなく少し赤くなっているような気がしたが、土方はあえてその言葉は流すことにした。たわごとなど相手をするのも馬鹿らしい。
だが、笑うわけでもバカにするでもない土方のその態度は、銀時のお気に召すものではなかったらしく、
「あーっ、もう!
なんでテメーはそうしれっとした顔して無視するかなぁ?
俺の言葉、しっかり聞こえてたよね?
聞いてて無視するわけ?
俺がお前の顔が綺麗だと言ったことが、そんな嫌なことなのかよ?
綺麗な顔を綺麗と言って、何が悪いんだぁっ!」
と、振り向いて逆ギレしたようにわめきだした。
こいつは本当にバカだ、きっとこいつの天パの頭の中にはオガクズでも詰まってるに違いない。土方はそう思った。
自分がせっかく突っ込まないでやったのに、なぜ自ら墓穴を掘ろうとするのだろう。それがそんな真っ赤な顔をしてまで言うことか?
「なんだ?睦言のつもりかよ。馬鹿じゃねえのか?
男が男に『綺麗』なんて言葉使っても、気色悪いだけだろうが…」
土方は銜えていた煙草を吸い込んで、布団の上に寝転んだままの銀髪男のバカ面に顔を近づけ、思いっきり煙を吹きかけた。
「そういうのは、可愛い女にでも言ってやれ」
ついと離れて馬鹿にしたように笑っていると、銀色頭が揺れて、面白いように咳き込んだ。
「うえっ!ゴホッ!ゴホゴホッ!
なんつーことするんだ、てめーは!」
銀時はこんな風なふいうちに弱い。腕の方はめっぽう強くて隙がないくせに、こういうところだけは抜けている。
土方は笑いながら、さらに煙を吹きかけてやろうとニヤニヤ笑いながら近づくと、思わぬ真剣な顔をした銀時に、口元を押さえられた。
「やめろって。それ以上挑発すんな。
…もう帰んないといけないんだろ?」
銀時の目がわずかに情欲に染まっているのに気がついて、思わず己の身体もそれに反応しそうになったが、たしかにこいつの言う通り、もう時間がない。これからすぐにでもシャワーを浴びてここを出ないと、門番の担当の隊士に朝帰りだとばれてしまう。
「…そうだな。じゃ、先に風呂使って出るぞ。
金は置いとくから、好きなだけ寝てろ」
土方は、羽織っていた銀時の着物をするりと肩から落とし、この部屋に入った途端銀時が性急に脱がしてばら撒いた自分の服を一つずつ拾い上げ、風呂場に向かった。
その様子を黙って見ていた銀時が、今度は照れもごまかしもせず、まっすぐに土方に向かってこう言った。

「やっぱりお前は綺麗だよ…」

その言葉は、土方を複雑な気分にさせただけだった。





言葉通り銀時をホテルに残したまま、土方は屯所へと急いだ。辺りはまだ薄暗く、これなら日が昇る前に屯所に着くだろう。
だが、さっきの銀時の言葉を思い出した途端、土方の歩みは遅くなり、ついには立ち止まってしまった。
なぜ奴に「綺麗」と言われたくらいで、こんなに気にしてしまうのか、自分でもわからない。
だが、なぜだか胸が重い。
あいつだって、他意はなかったはずだ。
べつに土方のことをバカにするつもりも、今更誉めてくどくつもりもなかったろう。(男に綺麗という言葉を使うことが、くどくことになるかどうかはわからないが)単に感じたことを言っただけなのだ。
だが、土方は銀時に綺麗などという言葉は使ってほしくなかった。
もし他の男が自分のことを綺麗などと言えば、次の瞬間、そいつの首の横には土方の刀が煌いて、「命が惜しくないようだな」と、地獄の底から響くような声でささやかれたに違いない。
それほどに土方は、自分の顔を綺麗だとか美形だとか人に言われることを嫌がっていた。そんなふうに過剰に嫌がるほど、人に言われ続けた言葉だったからだ。



土方は、「綺麗な子」だと、ものごころついた頃から周囲の者に言われていた。
母が「武州一の美人」と噂される人で、そんな天女のような母を娶った父は三国一の果報者だと、皆が口をそろえて言っていた。その母にそっくりな顔をして産まれたのが、上の二人の姉達ではなく、末っ子の十四郎だったのだ。
父も爽やかな、なかなかにいい顔をした男だったので、その父に似た十四郎とはだいぶ年の離れた長男も、
父と母にそれぞれ部分的に似た面を持つその下の姉達も、土方家の人間は皆男前で美人ぞろいだったのだが、それでも母とそっくりな自分の方が、小さな頃から人目をひいた。
道を歩けば、「驚くほど可愛い」、「お人形みたい」、「綺麗な子」と、誰かに指をさされて言われた。
まだ土方が五つか六つかの頃、一度姉達がふざけて十四郎に自分達のお下がりの真っ赤な振袖を着せ、一番綺麗な髪飾りを刺し、唇に紅をひいて歩かせていると、通りがかったさる大名の息子が、その人形のように可愛いらしい十四郎に一目惚れして、「ぜひ嫁に」と家にまで押しかけてきて騒動になったことがあった。
「十四郎は男だから」と土方の両親がどんなに断ってもひかないため、やむなく父が十四郎の着物のすそをまくりあげて男である証明をした。
自分の股間のものを見て、「ああ…」と、この世が終わったかのように肩をがっくりと落として帰った男のことを、失礼な奴だな、くらいにしか当時の幼い十四郎は思わなかったのだが。
しかし、その大名見初め事件の噂が噂を呼び、土方家の十四郎と言えば、誰もが知っている「武州一の美少年」と呼ばれるようになった。
男といえば強いことに価値があると思っていた土方本人にとっては、それは甚だ不名誉な話だった。
優しい母のことは大好きだったから、その母に似ていることは嫌なことじゃなかったが、ことあるごとに「女男」とか、「女みたいな顔した奴」とか言われ馬鹿にされることが、負けず嫌いの十四郎にとっては我慢ならないことだったのだ。
さらにその顔のせいで、好意を持った女の子に「自分より綺麗な顔の男の子は嫌い」と言われて傷ついたり、未遂には終わったが、変質者に攫われて悪戯されそうになったり、その後も碌な目に合わなかったため、土方は何度自分の顔が兄のように父似だったら良かったのに、と思ったかしれない。
土方にとって「綺麗」や「美少年」とか言われることは、男である自分に対しての侮辱であり、喧嘩を売っているようにしか思えなかった。
そのため、売られた喧嘩は買わねばならぬとばかりに、自分よりはるかに大きな身体をした年長の相手にでも、木刀を持ってかかっていくようになった。
九つか十の頃には、毎日喧嘩にあけくれる生活をしていたような気がする。
そんな日々を送っていたから、「顔は綺麗なくせに手のつけられない乱暴者」、「顔に似合わず強い餓鬼」と呼ばれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
それが今の土方の基盤をつくったのだとすれば、土方がどれほど「綺麗」と呼ばれることを不快に思っているかわかるだろう。
母親譲りのこの顔は、今は亡き母のことを思うと大事なものではあるのだが、それでも自分は、こんな顔に生まれたくはなかったと、今でもそう思っている。
近藤や銀時のように粗野で男っぽい、そんな顔にずっと憧れ続けていたのだ。
今は可愛いと言われている総悟ですら、あと数年もたてばもっと男らしい精悍な顔つきになるだろう。
自分のように、どんなに鍛えて強くなっても、歳をとった分自分では充分男くさい顔つきになったと思っていても、未だに人に「人形のように整った顔」などと言われたりはしないはずだ。
そう、土方は、もう二十代も後半の男のくせに、未だに綺麗と言われてしまう自分の顔に、強いコンプレックスを持っているのだ。
だから、銀時に綺麗と言われて腹が立ったのかと言えば…実は、そうではない。
銀時だけは例外だった。
土方は、銀時に惚れているからだ。


いつの間にか二人は恋人同士、という関係になっていた。
いや、いつの間にかというのはおかしい。なぜなら、土方は坂田銀時という男に、おそらく初めて会った時から惹かれていたからだ。
土方の銀時への印象は、不審で得体のしれない、だが、えらく強い型破りの男から、時代錯誤ともとれる侍魂を持った芯のある男に変わり、会うごとに、その口と態度の軽さに反比例した真っ直ぐな心をみせつけられて、自然に惹かれていったのだ。
近藤以外にはじめて自分が「負けた」と思った男。負けても恥ずかしくないと思った男。
それが、坂田銀時だ。
だが、その鋼のように強靭な心と身体と腕を持つ男に、同じ男として、悔しさと強烈な憧れを感じ続けてはいたが、まさか自分がこんなふうに銀時に抱かれる立場になるとは、正直思っていなかった。
互いが泥酔した時に、なりゆきではじめて抱き合って――もしかすると自分が無意識に誘ったのかもしれないと、土方はそう思っているのだが――そのままなぜか何度もなりゆきで身体を重ねる関係になってしまったのだ。
セフレとも恋人とも判断できないそのあやふやな関係を、土方はどちらかが飽きるまで(飽きるのは一方的に銀時の方だと土方は思っていた)、ずっと続くものと信じていたのだが、意外にも銀時という男は、その曖昧さを断ち切った。
「俺はお前に惚れてる。お前は?」
単刀直入、そう土方の心に斬りかかってきたのだ。
言葉に詰まり、固まる土方を、銀時はさらに追い詰めた。
「『見てればわかるだろ』とか、そういうごまかしはなしだぜ?俺は、お前が好きだ。
土方、お前は――?」
その時自分がどう返事したのか覚えていない。
覚えているのは、全身が心臓そのものにでもなってしまったかのように、どくんどくんと鼓動が頭に鳴り響き、カラカラに乾いて震える口が、思うように動かせなかったことだけ。
ただ、それがちゃんと成功したことは、次の瞬間銀時に、身体が折れてしまいそうなほど抱きしめられたことでわかった。
「――じゃあ俺たちは、ちゃんと恋人同士だ」
ぎゅうと自分を抱きながら銀時が嬉しそうに言った言葉に、こいつも今までこいつなりに悩んでいたのかもしれないな…しかし、よく恋人なんて恥ずかしい言葉を平気で使えるものだな、こいつやっぱりタラシだな…と土方は思いながら、同じように嬉しい気持ちを、銀時を抱きしめることで返した。
以来二人は、「好き」などという言葉はほとんど口にしなかったが、互いに互いを求めていることだけは、何度も重ねる逢引でわかりあっていた。
土方は忙しい仕事をやりくりして銀時と会う時間をつくったし、銀時はなかなか会えない恋人を責めるでもなくじっと待った。
もちろん待ちきれない時は、市中見廻り中の土方をふいうちで路地裏に連れて行き、「俺、土方が切れると大変だから」というわけのわからない理由で、ちゃっかりと口付けたりもしていたが。



そんな銀時が、自分のことを「綺麗」だと言う。
正直、惚れた相手に自分の容姿を誉められるのは、土方であっても、本当は嬉しかった。
少々くすぐったいが、もしこの顔が銀時の好みなら、奴との関係も、もうしばらくの間は続くだろう。
土方は基本的に悲観的な考えを持つ方であったので、ややその考えは後ろ向きだが、それでもそのことは充分土方の気持ちを高揚させた。
銀時が自分を飽きる時が、少しでも後になるなら幸せなことだと思う。もちろん、どちらかが死ぬまでこの関係が続けば、それは願ってもないことだが、それはきっと叶わない。土方はそう思っていた。
だが、ならなぜ、こうも銀時の言ったことがひっかかるのか…。
他の男に綺麗などと言われれば腹を立てるくせに、恋する相手の銀時が言えば、女のように嬉しく感じてしまった己の浅ましい心を、男としての矜持が許せなかったのか……いや、違う。

―――俺は、綺麗なんかじゃない―――

そう思うからだ。
―――あいつが“綺麗な俺”が好きなら、自分はそうじゃない…。
 土方の気持ちを重くしていたのは、おそらくその思いだった。


銀時は、自分とこういう関係になる前から、土方が何人かの男に抱かれた経験があることを知っている。
だが、そんなことを銀時も自分も気にしたことはない。何人と肉体関係を持とうと、そんなことで身体が汚れるとは、土方は思えない。
むしろ、「男同士のSEXなんざ、犬の交尾と変わりねえ」くらいにしか土方は思ってなかった。
強姦されたことも、喧嘩で負けてリンチにあったようなもの…ただの暴力だ。弱かった自分が悪かっただけだとそう思っている。
だが、自分は汚れているのだ。
「真選組」という土方にとってかけがえのない組織ができた頃から、自分は徐々に汚れてしまった。
 江戸に出てきたばかりで、まだ自分達に何の力もなかった頃、まだ松平も今ほどの力を持たず、自分達を守りきれる立場にいなかった頃、できたばかりの真選組は、何度もつぶされそうな危機に直面した。
その度土方は、己の頭脳を駆使して策略をめぐらし、時には敵となる相手を罠にかけ、時には自らの身体を使って篭絡し、殺し、真選組を守ってきた。
もちろん、そのことは近藤や沖田は何も知らない。
いや、あの聡い沖田に限っては、何も言わなくても薄々感づいてはいたようだが、ほとんどの隊士も知らないことだ。
だが、土方は、そうしたことを後悔しているわけではない。
近藤や沖田に、汚いことや後ろ暗いことなどさせたくなかったからだ。どうせ誰かがやらねばならないことなら、汚れ役は一人でいい。
自分につき従い暗躍する監察方の山崎達にですら、本当は汚い仕事はさせたくないと、今でも土方はそう思っている。
そして、そんな近藤の知らない薄汚れた殺人を、土方はこれからも続けていくのだ。
真選組という組織が大きくなればなるほど、密偵が入り込み、内部から裏切り者が出やすくなるからだ。
仲間を疑い、その裏切りの証拠をつかみ、局長の知らないところで粛清する。それが副長である自分の役目だと土方は思っている。
近藤には、仲間に裏切り者が出たことすら、これからも知らせるつもりはない。
近藤を、真選組を守るためなら、自分は田舎道場時代の信頼できる仲間達ですら、もし彼らが近藤を裏切るようなことをすれば、迷うことなく斬るだろう。でなければ、あのお人好しの局長を護る剣にはなれない。
土方がなぜ人に「鬼」と呼ばれるようになったのか――それは、非情だからだ。
戦いの場で、命乞いする者の首を、その美貌を少しも崩さず、淡々と斬り捨てる。むしろ血の海の中、嬉々として刀を振るうその姿は、「美しい鬼」そのものだった。
土方は、相手がもしテロに加担するようなものであれば、子供であっても容赦なく斬り捨てることができる。そこには迷いが一つもない。
屈強の男達が思わず顔を背けたくなるような残酷な拷問ですら、土方は眉も動かさずやってのける。
「テロを行うような人間は、どんな目にあわせてもかまわねぇんだよ」と、拷問を受ける相手に笑いかける様は、その顔が整っているだけにそら恐ろしく、残酷なものに周りに映っただろう。
「武装警察・真選組」は、影ではただの「人斬り集団・真選組」だった。その、影の部分を担っているのが、鬼の副長、土方十四郎だ。
その身体には、土方に無残に切り殺された攘夷志士達の怨念や、裏切り者と処分された仲間達の血が、無念の涙が、染み付いているのだ。
銀時が、過去に白夜叉という異名をもつ、カリスマの攘夷志士の一人であったことを、土方は知っている。
だが土方は、戦場でおそらく自分以上に人を殺してきただろう銀時には、そんな汚れを感じることはない。
戦は、戦だ。
そこでいくら血を流しても、そこが戦場では、仕方のないことだからだ。殺らなければ、自分が殺られる。人を殺すことが目的の、非日常な世界。それが戦だ。
そこで流した血の量で罪を計ることなどできない。
しかも、もうその戦争もすでに過去のことだ。
かつて夜叉と呼ばれ、血に濡れた刀を振りかざしていた男も、今ではただの、平和を愛する木刀を持った一般人に過ぎない。
だが、自分は、戦も終わったこの日常で、さも当然のように刀を振るっている。
これからも、自分のつくる屍の山は減ることはなく、さらに増え続けていくだろう。
自分の身体は、血で汚れている。
いや、今では心さえ、薄汚れてしまったように思う。人を疑い、騙し、欺き…それが真選組を護るためとはいえ、自分はあまりに醜くなりすぎた。

―――こんな人間の、どこが綺麗だっていうんだ…。

 土方は、その人に美しいと称される顔を崩して、しばらくの間動くことができなかった。





「…あ〜、あの顔はー…、な〜んか、気にしちゃったんだろーなぁ…」
銀時は、土方のいなくなったホテルの布団の上で、ごろごろ寝転びながら一人ごちた。
自分はどうやら失敗してしまったらしい。
「やっぱりお前は綺麗だ」と言った時、一瞬、土方の表情が固まったような気がしたのだ。
その後なんでもないふりをしてさっさと風呂に入って、こちらの顔も見ないで帰ってしまったが、あの様子では、おそらく何か気にしてしまったに違いない。
土方は、普段わりとさばさばしているくせに、意外とデリケートで複雑な面倒な面をもつことを、銀時は知っている。
たしかに「綺麗」なんて言葉は、男に言う言葉じゃなかった。それを侮辱と捉えたのかもしれない。
だが、それならもっとはっきりと、いつものように抜刀して怒りを表したはずだ。
もしかすると銀時がそんな恥ずかしい言葉を使うとは思わなくて、面食らってどう対応したらいいのかわからなくなって、さっさと逃げ帰ってしまったのかもしれない。
自分だって今までつきあったどんな美人の彼女にだって、綺麗だなんて言ったことはなかったのだ。
「可愛い」という言葉は、そりゃあいろんな娘に連呼した覚えあるが、さすがに「綺麗」という言葉は、そうそう口から出るものじゃない。土方が気持ち悪がってもおかしくない。およそ自分が使うには、らしくない言葉だと思う。
なのに、思わず口をついてしまった。
あの時、土方が銀時の着物をふわりと羽織って立ち上がり、壁にもたれて煙草を取り出す一連の動作が、まるで流れるようで、銀時は息を飲んだ。
窓からの月明かりに映し出されたその顔を見て、銀時の心臓は止まるかと思った。
気だるい雰囲気を纏い、そのうっすらと赤く色づいた白い肌に、汗で乱れた黒髪がはりつく様が艶かしい。
だが、その顔は情事の後とは思えないほど、不思議な清廉な美しさが漂っていて、まるで触れれば汚してしまいそうな、侵しがたいものがあった。
その整った白い横顔が、月明かりに輝く漆黒の髪が、煙草を持ち上げる綺麗な筋肉のついた腕が、剣を持つ男にしては細い指が、煙草を咥える薄い唇が、伏せた蒼みがかった灰色の瞳が――吸い込まれそうなほど“綺麗”だった。
さっきまで自分の下であられもない声を出していた相手だというのに、銀時は気後れしてしまったように、言葉をかけることもできず、ただ見惚れるしかできなかった。美人は三日で飽きるというが、これほど綺麗な生き物なら、一生傍にいても飽きることなどないだろう。
恋している相手に恋をした――そんな瞬間だったのかもしれない。
その後、人の顔に煙草の煙をふきかけるなどというとんでもないことをしてくれたが、そんなまるで悪女か女王様のような態度も、その容姿に似合ってしまうのだからたちが悪い。
しかも、さらりと「そういうのは、可愛い女にでも言ってやれ」などと、ひどい言葉を軽く口にするのだ。
銀時が自分以外の女をくどいても平気だなんて、銀時がどれほど土方に惚れているのか知っていて言っているのだとすれば、とんでもなく性悪な奴だと思う。
だが、おそらく土方はそんなことを計算してやっているわけではないだろう。
いつだって無意識にふるまって、無意識に挑発し、無意識に人の心を揺さぶるのだ。土方は、そんな男だ。
それが人によっては恋になり、敵意になり、憧れになり、殺意になる。
土方とよくつるんでいる沖田が、「死ねィ、土方」と、ことあるごとに言っているくせに、その傍から離れようとしないのも、土方を疎みつつも惹かれている複雑な心境からではないかと銀時は思っている。
普段はなるべく目立たぬよう、あまり激さぬようクールにふるまっているにもかかわらず、誰かの心に強い印象を残す男――それが土方十四郎という男だ。
その類まれな美貌や、印象的な声のせいだけではなく、何か人の心をひきつけるものがあるのだ。
真選組や近藤という、護るべきものの為なら、どれほど己が傷つこうとかえりみず、一人で何もかも背負って行こうとする…そんな不器用な生き方が、男には力を貸したいと思わせ、女には安らぎを与えたいと思わせるのかもしれない。
だが、それだけではないと銀時は思う。
―――綺麗――だからだ、何もかもが。
その顔も表情も、声も、話し方も、鍛えあげた無駄のない身体も、立ち上がり歩く姿も、刀を振るう姿も…いや、何より、その――心が。
抜き身の刀の美しさに似ている。
すらりとしていて、清廉で、蒼い光を放っている。
たとえその身がどれほど血に染まろうと、刀そのものは少しも穢れはしない。
その、己に厳しい孤高の魂を持つ男は、誰よりも純粋でまっすぐで、そして強く、美しい。
人は、綺麗なものには無条件に惹きつけられ、手に入れたくなったり、壊したくなったりする。
だからこそ土方は、人にあれほど求められ、疎まれ、愛され、憎まれてしまうのだ。
土方に見惚れ、土方の美しさを再認識した銀時は、あえてそれを言葉にしてみた。
言ってどうなると思ったわけではないが、ただ、その自分の想いを率直に伝えたいと思ったのだ。
綺麗なお前に惚れている、と。
しかし、どうやらそれは土方には上手く伝わらなかったらしい。
あ〜、どうしてあの後、も少しフォローできなかったかなぁ、好きなコを前にすると思うように話せないなんて、俺って意外とシャイなのかもなぁ、などと埒もあかないことを思いながら、とりあえず今晩にでも屯所を訪れて様子を見に行こうと、銀時は心に決めた。
――あんな状態のあいつを放っておけば、碌なことにならねぇからな…。
今までの経験上、銀時はそう確信していた。



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