「はい、それは私です」−050209日朝サッカー決戦に際して−
2005.2.
いやあ、みなさん。ものすごい試合でしたね。
9日夜の06ドイツW杯アジア最終予選の緒戦、
日本での北朝鮮との一戦。
とにかく、この試合の一カ月くらい前、北朝鮮チームが中国の海南島で
合宿訓練に入ったころから、日本のマスコミはこの試合をとりまく
話題でもちきりでした。
北朝鮮のサッカーの強さは、日本の中高年にはよく知られたもので、1966年のイギリスW杯でイタリアを破ってベスト8に入った実績をもつ。
当時、世界水準に遠く及ばなかったアジアのチームとしては、
大変な快挙であった。
そういう北朝鮮チームであるが、この国をとりまく情勢の変化や
経済難などにより弱化してしまい、93年にドーハで行われた
94アメリカW杯最終予選で日本と韓国に大敗(ともに0−3)、
これに激怒した金正日国防委員長が、「これから石をよく磨いて、
彗星のように、国際試合の舞台に再登場しろ」と以後10年間の
国際試合停止を命令、国際舞台からいったん姿を消した。
というわけで、98フランスW杯、02日韓W杯は参加せず、今回、
12年ぶりに再登場し、見事に一次予選を突破して、最終予選に
出てきたのである。
折りしも、拉致・核・ミサイルといったぶっそうな問題などで、日朝間は
こじれにこじれ、政治的緊張が高まっている、いまこの時であった。
試合会場となった埼玉スタジアム(さいたま市)は、約6万人の大観衆で
埋まった。そのうち約5000人は在日朝鮮人たちであった。応援席は、
完全に区分けされ、日本側は青、北朝鮮側は赤の布を身にまとい、
熱烈な応援合戦がくりひろげられるなか、白熱した好ゲームが
展開した。
試合開始まもない前半4分、MF小笠原満男(鹿島)がFKを直接決めて
日本が先制したとき、楽勝を予感した日本人は少なくなかっただろう。
試合前の専門家たちの予想でも、実力差は歴然としていて、
3−0くらいで日本が勝つというものが多かった。
わたしも仲間内でいろいろ話しながら予想を立てていたのだが、
おおむね、わたしはこのように読んでいた。
「もし、日本がはやい時間に先取点をとれれば、3−0くらいで大勝する
かもしれない。プレッシャーが軽くなるから、技術的に上の日本が
有利になるだろう。しかし、0−0のまま後半に入ったら危ない。
体力に勝る北朝鮮が、交通事故的なロングシュートを一本決めて
そのまま力で押して逃げ切る可能性がある。思い出してくれたまえ。
この前のオリンピック(04アテネ)の野球という先例を。
準決勝(040824)で日本はオーストラリアに負けた。
松坂大輔投手(西武)が好投したものの、点がとれないまま試合が
進み、6回表、松坂投手がオーストラリアの5番キングマンに一発
(ソロホームラン)くらってしまった。これは交通事故みたいなもんで、
何回も振ってれば一回くらいは当たる。あの野球のオーストラリア戦と
今回のサッカーの北朝鮮戦は似ている点がある。それは選手構成と
情報面だ。野球のオーストラリアチームには日本のプロでプレイした
選手がふたり入っていた。ウイリアムス(阪神)とディンゴ(元中日)
である。オリンピックの野球では、日本は7回裏にオーストラリア
守備陣の乱れから2死1、3塁のチャンスを迎えた。
が、そこでオーストラリアはウイリアムス投手を救援に出した。
打席には同じ阪神の藤本、同僚対決となったが、結果はウィリアムスの
勝ち、日本は同点のチャンスを逸し、そのまま負けてしまった。
今回も北朝鮮には日本のプロでプレイしている選手がふたり
入っている。MFリ・ハンジェ(李漢宰、広島)とMFアン・ヨンハッ
(安英学、名古屋)である。この在日の選手たちは日本のサッカーを
よく知っている。それに対し、こちらには相手の情報がほとんどない。
こういう2国間の戦いでは、技術とか世界ランキングとかというのは
あまり意味をなさない。精神力と体力に優れ、相手をよく研究して
臨んでいるほうが有利だ」
わたしの読みは、半分当たり、半分はずれたといったところではないか
と思う。
そう簡単には勝てないと思っていたが、先行すればわりと楽な展開に
なると踏んでいたのであるが、逆だったのだ。
先制されてから、北朝鮮の猛攻が始まった。なにがなんでも同点に
追いつくんだという闘志は大変なものであった。日本が押される状勢で
前半が終わり、そして後半16分、ついにDFナム・ソンチョル(南成哲)
に同点弾を決められた。
ホームでのこの試合、引き分けでは非常にまずい日本としては、
なんとか勝ち越そうとがんばったが、北朝鮮のがんばりもそうとうな
もので、向こうがやや優勢なまま、時間が刻々と過ぎていった。
そして後半40分、ゴールまで約40メートル、中央やや右よりの位置で
フリーキックを得た北朝鮮、キム・ヨンジュン(金永峻)が強烈な
シュートを放った。カメラの角度の関係で、このシュートが入った
かに見え、日本中が肝を冷やした。わずかに外にはずれてくれた
おかげで、日本は命拾いした。
こういうぎりぎりのクロスゲームでは、選手たちの微妙な心の揺れが
勝負を決める。
なんとしても勝たなければならない日本と引き分けでじゅうぶんの
北朝鮮の立場の違いが最後の最後に明暗を分けた。
結果、後半46分、つまりロスタイム、途中出場のFW大黒将志
(G大阪)が決勝点を決め、日本が2−1で、辛くも勝利した。
いや、すごい試合でした。
と、ここまで専門外のことを記してきたが、ここからちょっとわたしの
近況になるんですがね、この試合の視聴率は、なんと平均47.2%、
瞬間57.7%を記録しました。これは中継したテレビ朝日では
開局以来の最高記録とのこと。大変な注目を浴びていたわけですが、
この大騒ぎに、韓国・朝鮮語を専門とするわたしも、ちょこっと
関係していたんです。
じつは、わたしは、この頃、テレビ局の仕事で忙殺されており、
今日(11日)は久々の休日なんです。
それで、今日はゆっくり起き、11時ごろ、遅めの朝食をとった
んですがね、行きつけの食堂の女子従業員たち(20代)に
尋ねられたんです。
「あのう、テレビに出てませんでしたか?」
そうなんですよ。じつは某局の夕方のニュース番組で、9日と10日、
つまり試合当日と翌日なんですが、北朝鮮の市民たちの様子を
さぐるために、ピョンヤンに電話をしてみようということになって、
んで、ディレクターが「山本さん、ちょっと頼むよ」とか言って、
「んでは、いってみますか」と、わたしが電話したんですけど、
その模様が全国放送されたんです。
受話器を耳にあてた自分の顔がテレビ画面に、どアップで出てきた
時は、ちょっと恥ずかしかったですな。
あれ、北朝鮮通の宮塚教授じゃないか、って一瞬思ったりした
んだけど、ぼくなんだよね。なんかこう、巨大なヒキガエルみたいな
おっさんが、妙に、にやけた顔で、北朝鮮の人と朝鮮語で話していて、
日本語の字幕がついている。
「はい、それは私です。よく分かりましたね」
こう答えたところ、その女子従業員は、お祈りをするみたいに
胸で手を、左右の指をそれぞれ交差させて組み、体全体を
ややそらせるように伸びながら、ぱっと明るい顔になって、
「ああ、やっぱり、そうだったんだ!
いや、似ているなあ、って、みんなで話してたんですよ」
これで、わたしたちはすっかり打ち解け、友達になった
(ような気がする)。それまで、わたしたちは私的な会話を交わす
こともなく、わたしは、ただ、新聞よみながら飯を注文して食って
いたのであるが、ま、なんというか、プラスアルファが加わった
みたいだわな。
少なくとも、彼女たちのなかでは、わたしはそれまでのただの客から、
少しばかり「特別な人」になったといっても、完全なまちがいではない
というくらいのことはできるかもしれない。
つうわけでね、わたくしは元気に忙しい毎日を送っております。
それにしても、北朝鮮状勢は緊迫しているよね。
試合翌日の10日、北朝鮮は外務省声明を通じ、「自衛のために
核兵器を製造した」と表明、核保有を公式に宣言した。
6月8日に行われる予定のピョンヤンでの第2戦は無事に行うことが
できるだろうか。
今回のすばらしい試合も、日本人と在日と韓国人は観戦を
楽しめたが(韓国でも放映された)、北朝鮮の市民は見ることが
できなかった(その事実は、わたしがテレビでピョンヤンに電話して
確認したのでご覧になった方はご承知と思う)。
一日もはやく、いや、一刻もはやく、北の友達もみんなで、
サッカーを楽しめる日がくるといいがなあ・・。
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