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現代自動車「1998 真夏の陣」
2002.1.
農学の鉦の音には、
他のいかなる音も排斥する
暴力的な力がある。 キム・ヨンウン(金容雲)
はじめに
韓国の労働運動の激烈さは、半端ではない。
代表的な事例を、ひとつ、紹介しよう。
1997年末、国家破産の危機をIMFからの緊急融資で回避し、
経済が大混乱に陥っていた98年夏の出来事である。
第15代大統領に就任したばかりだったキム・デジュン大統領は、
強力な指導力を発揮し、大規模な「構造改革」を推進していた。
「整理解雇制」が法制化され、はじめて適用された時だった。
舞台は、現代自動車ウルサン(蔚山)工場。
一連の流れを、東亜日報の報道をもとに抽出・再構成する。
1) 労働関係法の改正
IMFショックの1年前、キム・ヨンサム(金泳三)政権が
8割がた任期を終えた頃。
1996年12月26日午前6時。
真冬の早朝だ。
総勢150人あまりの壮年の男たちが貸し切りバスに乗って
ひそかに国会に集結した。与党・新韓国党の国会議員たちだった。
彼らは単独で国会を開き、ある重大法案を通過させ、7分で散会した。
韓国では、こういう方法を「奇襲処理」とか
「ナルチギ(かっぱらい)処理」という。
96年4月の第15回国会議員選挙で与党の新韓国党は、
「よもや」の過半数割れをしていた。
新韓国党/139議席、
国民会議(金大中総裁)/79議席、
自民連(金鍾泌総裁)/50議席、
民主党/15議席、
無所属/16議席。
以後、新韓国党は、165議席を目標に猛烈な議席獲得作戦を展開。
12月24日、25日に、バタバタと、自民連、無所属の議員をとりこんで、
157議席までこぎつけ、過半数を確保したのだった。
さて、この日決まったこの重大法案の目玉は、
労働関係法の改正案。
その柱はふたつ。
(1)複数労組の許容
「労使協調路線」の韓国労総(韓国労働組合総連盟)以外の
上部団体、民主労総(全国民主労働組合総連盟、これまで未公認)を
認める。民主労総は、韓国労総とともに全国的な2大労働組合だが、
おとなしい韓国労総とは対照的に、きわめて激しい労働運動を
展開している。
(2)整理解雇制の導入
労働力の流動性を高め、経営者が企業経営をしやすい環境を
つくるため、「企業は、一定の条件下で、従業員を解雇できる」とする。
26日の「強行採決」の際、財界の強い圧力を受けて、
民主労総許容の部分を「3年延期」に修正した。
整理解雇制というのは、それまで当然とされていた
「自意による退職」などという企業にとっては
まどろっこしい手続きをとり去って、
企業が従業員を解雇しやすくするものだ。
労働関係法改正は、キム・ヨンサム政権「最後の改革」だった。
96年4月、キム・ヨンサム大統領が「新労使関係」構想に着手。
諮問機関をつくって進めてきた。
96年末のOECD(経済開発協力機構)加盟にともない、OECDとの
あいだで「年内の法案成立」という約束があったという説もある。
OECD加盟で、韓国は労使関係においても先進国並のルールを
要求されるようになった。
法案が可決されるや、労働界はただちに猛反発。
民主労総系の現代グループ労組は、同日午後1時から
無期限ストに入り、全国の労組が抗議行動。
韓国史上最大のストに発展した。
翌97年1月23日、パリで開かれたOECD理事会では、
この新労働法は「不十分」と判断された。
国内の反発とOECDの判断を考慮し、韓国政府は再改正、
97年3月10日、与野党3党は臨時国会で再改正法案を可決した。
「再改正法案」では労組の意見を一部入れ、民主労総許容の部分を
「3年延期」から「即時」とし、整理解雇は2年後(99年)から認める、
労組専従者への給与支給は段階的に縮小し5年後に禁止する、
という内容が盛りこまれた。
労組は「改悪だ」と反発、抵抗した。
企業のリストラを容易にする整理解雇制を撤回させようとしたが、
それはならなかった。
その後、韓国経済は悪化の一途をたどり、この年(97年)の末、
ついにIMFの緊急融資を受けるに至った。
2) 整理解雇制の導入
韓国は、IMF支援の条件に、不良金融機関の整理、財閥改革、
余剰人員の解雇など、きびしい構造改革と、
急激な市場開放を迫られた。
IMFの融資条件には整理解雇制の早期導入がふくまれていた。
IMF支援とほぼ同時期に次期大統領に決まったキム・デジュン氏は、
99年3月から実施される予定だった整理解雇制の導入を前倒しして、
できるだけ早く、実施する意向を固め、12月27日、民主労総の
幹部たちに会い、整理解雇制の早期導入に理解をもとめた。
民主労総側は、「キム・デジュン氏は大統領選挙期間中は
整理解雇制の早期導入を認めないと言明していた。
だから労働者たちはキム・デジュン氏を支持した。
なのに、当選したとたん、整理解雇制の早期導入をいいだす
なんて、ひどいじゃないか」と批判。
以後、各地で反対集会を開いて抵抗した。
1月4日、キム・デジュン次期大統領は、アメリカの投資家、
ジョージ・ソロス氏を招いて自宅で晩餐会を開き、危機に陥った
韓国経済のための支援を要請した。
東南アジアの金融市場は、国際投機筋に狙われて大打撃を受けた。
前日、来韓したソロス氏は「国際金融界の巨物」として
韓国人の期待と恐怖感を一身に集めた。
1月12日、労組員たちが整理解雇制案の廃止をもとめソウル市内で
デモをくりひろげるなか、IMFのカムドシュ専務理事が韓国を訪問。
キム・デジュン次期大統領は、カムドシュ専務に整理解雇制を
めぐる国内事情を説明し、カムドシュ専務自ら労働界を
説得してくれるよう要請した。
これを受けて、翌13日、カムドシュ専務が記者会見。
整理解雇制をふくめ、IMFの融資条件である経済改革を断行する
よう訴えた。
同日、政界、財界、労働界の代表による「労使政委員会」が発足。
企業の従業員解雇を容易にする整理解雇制の導入問題が
最大のテーマとなった。
話しあいは難航。
以降、政府主導で財閥や金融機関の構造改革が進むなか、3者の
緊張関係、ぎりぎりの交渉が続いたが、ついに2月6日、
「労使政委員会」は整理解雇制の即時実施で合意した。
市場は大歓迎。
投資家たちは、外国企業による韓国企業の買収が本格化すると
見て株価は高騰した。外国企業は、従業員のリストラが容易に
なるので、安心して、買収に乗りだせる。
市場は整理解雇制の実施を待っていたのだった。
3月3日、年初来最高値591・70ポイントまで上昇した。
株価は、97年12月24日、G7が韓国支援を表明してから上昇。
98年1月中旬には500ポイントを回復。1月23日、民間債務問題で、
韓国政府と国際銀行団が大筋合意。以降、株価は550ポイント
前後まで回復し、3月2日、574・35ポイントまでもどしていた。
だが、韓国の経済は一気に暗転してしまった。
98年第1四半期(1月から3月まで)のGDP(実質国内総生産)は
前年同期比マイナス3・8%。GDPがマイナスになったのは、
80年第4四半期以来。
98年は、前年の第2次石油危機、朴大統領暗殺、光州事件などで
国内が混乱、農作物も大不作だった1980年以来、18年ぶりの
マイナス成長となった。
整理解雇制に反対してきた労働組合も、
(1)整理解雇制の導入がIMFの融資条件となっていて、すでに政府がIMFと合意し、融資も受けている韓国の状況。
(2)倒産か大規模なリストラかのぎりぎりのところに追いこまれている
企業経営の現実。
(3)挙国一致で経済危機を克服しようという社会の雰囲気。
(4)「整理解雇やむなし」という世論。
(5)世論のキム・デジュン次期大統領への高い支持。
これらの理由に包囲されるようになって、
さすがに、抗しきれなくなった。
5月1日、メーデー。民主労総は1万人集会を開いた。
集会後、街頭行進に出たデモ隊の一部が警官隊と激しくぶつり、
その様が、全世界に報道された。
影響はてきめん。投資家たちはおそれをなした。
株価は暴落。
言葉だけで進まない構造調整、労働界の強硬路線、インドネシアの
流血事態と東南アジア危機再現の兆候、円の弱勢。
悪い材料が重なって、株価は下げどまらず、心理的抵抗線と
いわれた300ポイントも崩壊、6月16日、280・00ポイントまで下落した。
87年1月12日の276・61以来、11年5カ月ぶりの最低値である。
わずか3カ月で半減という急降下だった。
3) いざ、整理解雇
たくさんの企業や銀行の整理を決めて発表した「6・29ビックバン」と
おなじく98年6月29日、韓国最大の自動車メーカー現代自動車
(従業員約4万3000人)が、工場稼働率の低下などを理由に、
全従業員の1割に当たる4830人を整理解雇する計画を
政府に提出した。
翌30日、政府はこれを受理した。
これにより、2月の法制化以来、はじめて本格的な整理解雇が
実施されることになった。
現代自動車は、韓国自動車業界最大手であると同時に、
もっとも先鋭的な労使対立の現場だった。
現代自動車労組(民主労総主導)は、即時、撤回を要求、
全面時限ストに入る。
7月12日、韓国の2大労組、韓国労総と民主労総が、ソウル市内で
10万人規模の大集会を開く。政府の進める改革は一方的だと批判し、
「構造改革は労働者の生存権を保障しながら推進されなければ
ならない」と決議。
14日、民主労総傘下27労組5万7000人がストに突入。
20日、現代自動車労使交渉決裂。
労組は解雇だけは避けようと、賃金カットや労働時間短縮を
提案したが、会社側は方針を変えず、整理解雇を断行する構え。
会社側は21日から3日間の操業停止を決定。
労組は工場の敷地内にテントを張って「出勤闘争」をくりひろげた。
労組の抵抗にキム・デジュン大統領は「暴力や不法行為には
厳重に対処する」と表明。大統領は「外国資本の導入には
労働市場の安定が不可欠」と考えていた。
労使交渉で、会社側は、規模を約1500人に圧縮すると
もちかけたが、労組は受けつけず。
労働者たちは工場を占拠、家族とともに籠城して
「生存権」を訴えた。
デモの模様は、連日、テレビで放映された。
壇上で決意文を読上げるリーダー。
コブシをつき上げてスローガンを叫び、歌をうたう労働者の群。
赤いハチマキ、白ヌキのハングルで額に刻印された
「団結」「闘争」「決死」「反対」…。
壇上で丸坊主になる儀式。バリカンで額から頭頂にかけてガーッと
一気に刈る。男たちに迷いはない。ファナティックな婦人部隊が、
男たちのスクラムに彩りをそえる。
絶叫。連呼。けたたましく打ち鳴らされる農楽の鉦・太鼓。
デモの現場は、ある種、祝祭的な状況と化していた。
一方、機動隊は工場敷地をとり囲、周辺の要所を固め、
鎮圧態勢を整えた。警察力投入は避けられそうもなかった。
8月16日、警察は労組幹部64人の逮捕令状を確保した。
現場にはすでに機動隊(韓国では「戦闘警察」、縮めて
「戦警」という)28個中隊が配置されていた。18日までに全国から
67個中隊を集結させ、95個中隊1万余の態勢をとる。
「環境は清潔に。製品は完璧に」なる標語のかかった工場正門前
道路。鉄格子が窓をおおいつくした警察バスが縦列駐車。
2列構成の機動隊員がズラリと並ぶ。1列目は、ジュラルミンの楯を
前に立てて直立。2列目は、警棒と面つきヘルメットを所定の位置に
おいて待機。交代で休む。
警察は、「図上訓練」で綿密な作戦計画を立てた。
労組側は総動員令をかけ、食料、懐中電灯の準備など、
非常事態に備え、天幕籠城場(本陣)に通じる道の要所で
「死守隊」による警戒を強化した。
民主労総傘下の金属連盟は「17日から現場に臨時状況室を
設置する。現代自動車に警察力を投入したなら、連帯ストを
起こして対応する」と表明。
会社側は、労組員たちの本館占拠に備え、機密書類などを会社の
外に移す。
労働部(労働省)では、次官が労使の代表と会って事態解決を
促した。労働部は、17日までに労使双方が譲歩案を提示しない
場合は、警察投入以外には事態解決の方法がない
という判断を固める。
17日午前9時半、会社側は、現地の運動場で、会長、社長に、
組長、班長など管理職社員1万6000余人が参加し
「操業正常化のための任職員決起大会」開催。
市内あちこちで広報物を配って警察力投入の不可避性を訴える。
労使どちらからも譲歩案は出ない。
午後、労働部長官が現地へ。労使の代表と面談、土壇場での
妥協を説得し、「政府の仲裁を必要とするのか、18日午前までに
通報してくれ」と要請。現地を離れる前に記者会見、「労使が
政府の助けをもとめてきたら、合理的な妥協案を土台に積極的に
仲裁に入る。継続して説得作業をするが、不法行為に対しては
厳重に対処する」といい残して去る。
工場上空を偵察ヘリコプターが旋回するなか、
会社側は警察力投入を正式要請。
午後5時、警察は指揮官作戦会議を開く。投入時間が決まれば、
催涙弾搭載車両17台を先頭に工場の各出入口から侵入、
天幕周辺に200から300人いる婦女子・子どもと一般労組員を
分離させ、幹部64人を連行する…。
籠城は3000人余。労組側は、工場内1・5キロ区間に
ちらばっていた100余個の籠城用テントを労組事務室周辺に
集結させる。現執行部の拘束に備え後任執行部構成も終える。
民主労総の委員長は明洞聖堂で記者会見、「現代自動車に
政府が警察力を投入したなら、『労使政委』脱退はもちろん、
全面的な反キム・デジュン政権闘争にうってでる」と
強硬姿勢を示した。
労使は「政府の仲裁」を拒否。
警察力投入はいよいよ秒読み段階に入る。
4) 「整理解雇の最小化」という仲裁案
18日。警察は、午前4時から2時間半かけて機動隊100個中隊、
1万2000余人と放水機、催涙弾搭載車両を動かし、工場の
全出入口を完全封鎖。
この間、籠城中の労組員と家族など2500余人は鉄パイプなどで
武装したまま出入口で機動隊とにらみあう。
午後になると
「最後に警告します。
みなさん自身はもちろん家族のためにも
いますぐ退去しなければなりません。
もう時間がありません」
という「最後通牒」の記されたビラが
上空のヘリコプターからばらまかれ、工場敷地内を舞った。
警察は、各出入口に機動隊を4から5個中隊500人ずつを配置。
一般労組員の工場内籠城合流をせきとめ、工場に通じる
主要幹線道路で検問検索を強化、大学生などの籠城合流を遮断する。
正門前には、婦女子・子どもを隔離させる女性警察機動隊
1個中隊100余人を配置。
会社側は、構内にあった状況室を外に出す。
休業以後も継続して勤務していた非常要員も、電算室と塗装工場
管理要員30余人だけ残してほかの270人は外に撤収。
注油所の石油を空にし、ガスバルブをしめる。
労組は、天幕籠城場にもっとも近い本館正門に出庫直前の
完成車両と鉄構造物などでバリケードを築いた。
ついに警察力投入!という瞬間まできた・・。
と、そのとき、遠く、中央から状況を見守っていた
キム・ジョンピル(金鍾泌)国務総理が口を開いた。
「警察投入は留保するのがいいだろう・・」
この、総理の発言を受け、与党から7人の国会議員が
仲裁団として現場に急派されることになった。
仲裁団は労使双方と接触。
が、労組は「整理解雇全面撤回」、会社は「整理解雇貫徹」、
ともに頑として譲らなかった。
仲裁案は「整理解雇の最小化」。
会社側がまず折れて整理解雇の規模を615人にまで縮小すると
いう最終案を示す。仲裁団は「部分受容」で労組を説得した。
財界は、「『労使政』合意でなされた整理解雇原則が、労組の反発で
貫徹できなければ大変な副作用を招く」と、現代自動車の
整理解雇を全幅的に支持。
ウォールストリートジャーナル紙は「韓国が再び成長しようとするなら、
外国人の投資が切実だ。だが、剰余労働人力の整理が
先行しなければ、外国人たちは韓国に投資しないだろう」と展望。
19日、外では会社が、一般職員たちの籠城参加を阻むため
15個事業部別に1万5000余人の職員たちを対象に「団合大会」を
開くなか、午前10時頃、仲裁団の団長が工場を訪れると、
籠城中の労組員たちが、一斉に、
「よろしくお願いします!!」
と連呼し、大声援を送る。
金属労組所属の委員長40余人も労組を訪問。
「政府が警察力を投入したら、街頭闘争と総ストで対抗する」と
共闘を再確認。
「解決の糸口が見えれば、期限に関係なく仲裁を続ける」と
仲裁団が弱腰な面をのぞかせ、妥協の可能性が見えた。
警察は、いったん示威鎮圧装置を近所の学校の運動場などに移す。
20日、意見が接近し、労使交渉再開。
午後6時から午前0時まで最後の交渉。
会社は最終案からさらに100人へらして515人まで譲歩。
労組も「整理解雇を原則的に受け入れる」と譲歩。
「ただし数はもっと縮小しろ」と踏んばる。
ここで仲裁団が、515人からさらに100、200へらす案を
労使双方にもちかける。
午後8時半頃、交渉の行われている本館1階大会議室。
強硬労組員150余人が押しかけ、「整理解雇反対!」
「雇用安定争取!」と叫びながら、
「執行部は、ひとりたりとも整理解雇を
受け入れてはならない!!」
と主張、交渉中の指導部を圧迫する。
「執行部が最小人員の整理解雇を受け入れる」という噂が
流れると、労組員たちのあいだに組織間の葛藤が発生。
あちこちで高声、口論。
一部労組員は意見対立から暴力沙汰に。
労組員たちは交渉場付近をうろつきながら交渉の雰囲気を
つかもうとする一方、鉄パイプで武装したまま構内を巡察、
苛立ちを抑えながら交渉終了を待つ。
午後9時半頃、「労使政」の各代表が交渉場に登場。
土壇場での労使自律交渉を励ました。労使交渉が再開すると、
警察は、必須要員だけ工場周辺に残し、大部分の兵力を近くの
学校の運動場などに撤収させた。
ある検察関係者は「ストの続いたひと月間、腕を組んで
見物だけしてきたが、警察力を投入しなければならない時期に
来て、仲裁を買ってでるなどと騒ぎたてるのは政治ショー
みたいだ」と不満を吐露した。
こうして、兵力投入直前に政府が動き、物理的衝突は回避され、
国会議員たちの仲裁団が労使のあいだに割って入って調整、
8月24日、妥結した。
解雇規模は277人まで縮小した。
(会社側の当初の計画は4830人だったから、
じつに、なんと、5.7%まで縮小したことになる)
解雇者には慰労金(給料の7カ月から9カ月分)支給。
残りの解雇対象者は1年半の無給休暇、うち最後の6カ月に
職業訓練を受ける。
操業再開後、労組員に対して会社は、告訴・告発・懲戒をしない…。
36日間におよぶ現代自動車「真夏の陣」は終わった。
この結果をどう見るか。
朝日新聞(98/8/25)は「痛み分け」と表現したが、
韓国の世論は労働側にきびしく、「ゴネ得」という見方が強かった。
5) 「踏んばれば得るものがある」
東亜日報(98/8/25)の見解を抜粋して紹介しよう。
今回の整理解雇は、国際通貨基金(IMF)体制克服という非常な
状況で推進された構造調整という点で、過去の賃金交渉とは
次元がちがった。しかし、進行手続きが過去とまったく変わらず、
政府や政治圏の介入形態、労使問題をあつかう方式も、
6共(第6共和国、ノ・テウ(廬泰愚)政権時代)や
文民政府(キム・ヨンサム(金泳三)政権時代)のときとまったく
変わらなかったのを克明に見せてくれた。
とくに今回の事態に対する政府の微温的な姿勢に非難が
集中している。整理解雇は労使政合意で誕生し、立法まで経た
制度だ。労働法上、争議対象になり得ないようになっている。
したがって、今回の罷業ははじめから不法だった。
しかし、罷業が過激化しながら、むしろ生存権闘争という名分が
俯角する奇現象が醸しだされ、政府は終始一貫労組に
ひきずりまわされる姿を見せた。
けっきょく政府は公正な仲裁者としての役割を当たり前に
することができないまま、仲介過程で政治的な解決策を好み、
法執行の厳正性を自ら毀損させたという批判を
避けられなくなった。
法的権利条項のひとつである整理解雇が、あいかわらず
現代自動車という個別の事業場の労使間の交渉テーブルに
上がった現実は、整理解雇が労働市場の柔軟化に寄与する
ためには、これからもたくさんの時日と各経済主体の
認識変化が必須的であることを見せてくれたという評価だ。
(略)
Aグループ関係者は
「紛糾期間中に提起された損害賠償と財産仮差し押さえ
措置などを会社側が撤回することにしたのは、今後、発生する
かもしれない集団利己主義にあらかじめ免罪符を与えた恰好」
と主張し、
「殺企業的な経営環境で存廃の危機に立った企業たちが、
どうして大変な負担を押して整理解雇をするであろうか」
と反問した。
(略)
韓国労働研究院のある研究委員は
「外国の投資家たちは整理解雇が不可能になったという
点よりも、ルールが守られないわれわれの経済の旧態に
いっそう失望するだろう」
とし、
「ルールが崩れ、踏んばれば得るものがあるという
悪前例を残した以上、今後、ほかの企業の整理解雇は
もちろん賃金削減交渉も跛行を免れないだろう」
と展望した。
現代自動車が、事実上、整理解雇に失敗した結果、
企業の構造調整戦略は、整理解雇より希望退職のほうに重きが
おかれるようになった。
希望退職以外にも様々な方法がある。
「自然減少効果」をもたらす分社、分社と類似した「創業支援退職」、
雇用ひきつぎ条件つき事業売却、給料凍結、福祉費縮小による
実質賃金削減、給料削減、無給休暇などなど。
会社だって、やられてばかり、ではない・・。
TOP 山本あつし
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