弟は胆管がんで半年の命と昨年(18年)の夏に宣告されました。
今まで健康や体力にはたいへん自信がありましたから、そのショックはいかばかり
だったろうと、思います。
今までの仕事は取り上げられ、もはや病魔との戦いに明け暮れる日々。
哀れ、というほかありませんでした。
母には、「親不孝な息子で申し分けない」と涙を流して謝ったということです。
とうとう19年の1月20日に家族に身体をなでられながら天国に旅立ちました。
 
まさに、疾風のごとく生き、疾風のごとく去っていった・・・ということばに
相応しい人生でした。
 
いま話題になっている歌「千の風になって」が、弟は“俺の心境に合っている、
形見だと思って聞いてくれ”と親しい友人にCDを送ったと聞きました。
「わたしのお墓の前で泣かないでください。わたしはここにいません。
死んでなんかいません。千の風になって・・・・・・」
 
さて、私に託された弟の願いは、気弱になった母をいたわって慰めて欲しいという
ことだろうと思っています。 ( 19年2月20日 )

 最後の親孝行の積もりだったのでしょうか、
 宣成本人が私達を誘って栃木市観光に行きました。
 真ん中が母です。右は私の妹です。宣成は4人姉弟のばっちで唯一の男子でした。
 こんなことにならなかったら、平日に観光なんてするはずないのに
 なんだか居心地が悪いようで、必要のないバックなどを持って歩きました。

 これが平成18年8月31日のことです。

                 
 弟はもう助からない状態だと知っていましたので、
 セカンドオピニオンなんてやりたくなかったのですが、
 親・姉妹の希望をかなえるために 千葉の国立がんセンターに行きました。
 
 がんセンターに到着して車を降りる時に弟はこう言いました。
 「また、同じことを聞かされるのか・・・あぁイヤダ。姉ちゃんにも聞かれてしまうのか・・」
 
 家族は、こちらの病院ではまた違った見立てを聞けるのではないかと
 一縷の望みを持って診察室に入ったのですが、
 医者は淡々と言いました。
 「最初の病院で診断した結果と同じです」と。
 弟は、礼を述べ、同行の私達(姉と私)を促し、さっさと診察室を逃げるようにあとにしました。
 弟の落胆ぶりはさほど感じませんでしたが、本当のところ悲しかったと思います。

 帰りに岩井の国王神社に弟と私の二人で立ち寄りました。
 「もう二度とこの神社には来ることがないだろう」と弟は言いました。

 写真を撮りたいと言ったら、「いいよ」と笑いながら言いました。
 私は彼の最後の顔を撮りたいと思ったのです。弟は素直に私の希望に応えてくれました。
 私だけを見つめている写真です。これが平成18年9月4日のことです。

                                  
 大きな身体があっという間に小さな箱に入ってしまいました。
 遺影の後ろに見える白木の箱です。
 
 可哀想な弟・・・・まさかこんなことになろうとは・・・夢にも思っていなかったでしょう・・・
 
 あと2年は生きていたいなぁ・・と言った弟よ。
 ささやかな希望も絶たれて 平成19年1月20日の朝、数時間の痛みを越えて
 静かに息を引き取りました。まだ51歳の若さでした。                                    
風になった弟よ


坂入宣成 さかいりのぶしげ

思い出つれづれ      婦人会便りの原稿  千の風になって

いばらき新鮮組  葬送の式の説教  通夜の祈りの説教   一粒の麦(説教)

墓地について     彼の生まれ変わり?猫のパズー   2009中央青年の家のイベントに参加して

1.つとめ いそしめ はなの うえの
  きらめく つゆの 消えぬまに
  とき すぎ やすく くれは ちかし
  あさひ てる まに いそしめよ

2.つとめ いそしめ あまつ そらを
  わたる ひかげの すぎぬ まに
  いそぐ ひあしは 矢 よりも とし(疾し)
  まひるの うちに いそしめよ

3.つとめ いそしめ あおた そよぐ
  すずしき かぜの たえぬ まに
  わざ やむる 夜の くるは はやし
  ゆうひ さす まに いそしめよ

日曜学校で歌った聖歌 「つとめいそしめ」
彼の生き様は、この歌の象徴されているようだ。