白頭翁
朝の光を浴び、一面に広がる雪が銀色に輝いている。
その反射を体いっぱいに浴びようと若人はカーテンを開け、ひとつ伸びをした。
「・・・ぅーい・・・。・・・さて、今日も一日頑張りますか」
若人はそう呟くと身を翻し、たった今まで自分が眠っていたベッドへと戻る。
そこには一人の青年が気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「おい、無心。起きろ。朝だぞ」
若人の美声が無心に覚醒を促す。
「・・・・・・嫌だ・・・」
身体を揺すられ、無心の脳は無理矢理起こされる。が、まだ体は眠っているらしい。瞼が重くて動かない。
(・・・まださっき寝はじめたばかりなのに・・・なんで起こすんだよ・・・・・・。
若人が寝入ってから、俺は朝方までレポート書いて・・・たん・・・だ・・・ぞ・・・・・・・・・・・)
無心は寝返りを打ち顎を埋めると、きゅっと布団を抱き締めた。
「起きろっつってんだろ」
若人の綺麗な指が無心の頬を優しく引っ張る。埋めた顎が強制的に外気に触れさせられる。
「・・・・・・痛ぇ・・・・・・・・・なんだっていうんだよ・・・・・・」
無心はようやっと薄目をあけた。
ぼんやりとした視界に最初に飛び込んできたのは、朝の光を背負った若人の顔。
それは無心の目を覚ますのに充分刺激的な風景だった。
起き抜け一番に若人を目にすることができるのはこの上ない幸せ。
しかし、大学生と会社員でいかんせん生活リズムが異なる二人。
平日は無心が目覚める時にはもう若人は会社へ出かけている。
同棲するようになってもうすぐ1ヶ月が経とうというのに、無心は目覚めてすぐ目に入る若人の姿に未だに慣れないでいた。
「お・・・おはよう・・・・・・」
一度大きく瞬きをして、無心は頬を染めた。
火照る頬を隠したくて、布団を手繰り寄せる。
それを若人が阻止するかのように、無心から布団を引き剥がした。
「おいおい、せっかく起きたのに」
若人は軽く笑って無心に口づけた。
「ん・・・・・・」
無心はその唇を受けると、うっとりと目を閉じた。
煙草の味と歯磨き粉の味が合い混じった。
「・・・・・・なんつう起こし方だよ・・・・・・・・・」
無心は頬を真っ赤にしながら若人にぶうたれる。もちろん本心から怒っているのではない。
「いや、その前にも散々起こす努力はしたんだぜ?それはもう優しく優しく、さ。」
そう言うと若人は無心のはだけた胸元を指差した。
「え?」
言われて下を向けば、無心の胸元には真新しい赤い跡が残されていた。
「!・・・・・・」
無心は胸元を見つめたまま、顔をさらに紅潮させて絶句した。
「起きないほうが悪いんだよ。無防備なんだからさ」
黙り込む無心を見て、カラカラと笑いながら若人は言いわけした。
「・・・・・・もう少し寝かしといてくれればいいじゃんか。オレは遅くまでレポート書いてたんだぜ?」
すると若人はひとつため息をつき、少し物憂げな表情で言った。
「そうだな・・・思えばこのところ一緒に風呂に入ることも少なくなったなあ・・・・・・・」
それを聞いてまた赤くなってしまう無心を見て、若人は優しく微笑むのだった。
無心は心を落ち着けると、必死で話題を変えようとする。
「・・・で、今何時?」
「ん?え・・・と、九時かな」
壁に掛けられた趣味の良い時計にちらりと視線を遣って、無心にも見るよう無言で促す。
「こんなに早く起きて、何するんだよ」
「マンション探しに行くんだよ。早く飯食って、着替えろ」
若人は立ち上がると無心に背を向け、「九時で『こんなに早く』なのかよ」と呟きながらキッチンに向かった。
キッチンからは鼻をくすぐるコーヒーのいい香りが漂ってきている。
「マンション・・・・・・?若人、引っ越すのか?」
「なんだ、まだ寝てるのか?」
若人はコーヒーを淹れながら呆れ顔で言った。
「それなりに広いっていってもここは一人用のマンションだし、お前専用の部屋も要るだろ?」
無心は少し考えて若人の言わんとするところを汲み取ると、また真っ赤になってしまった。
「二人の頭が白くなるまで住むつもりだから。心して探すんだぞ」
「……!!」
若人はコーヒーを注いだカップを二つ携えてリビングへ戻ってきた。
不敵な笑みを浮かべた若人はカップの一つを無心に手渡し、腰掛ける。
無心は自分の気持ちを抑えるのに悪戦苦闘していた。
若人が自分の未来に無心を置いていてくれたこと。それが何よりも嬉しい。
なんだか胸が一杯になって涙が溢れそうになる。
「・・・・・・ま、まあ、若人はハゲるだろうから、いっしょに白髪になるのは無理だろうけどな」
無心は必死で茶化し、心にブレーキをかける。
若人もそんな無心の心を見透かしてか、声を上げて笑った。
「さあ、早く準備しろ。行くぜ」
「帰りに養毛剤買ってやるよ」
「まだ言うのか」
若人は、笑う無心の顔を両手で押さえ、そのうるさい口を唇で塞いだ。
「・・・・・・ふぅ、静かになったな」
「・・・・・・ち、畜生、卑怯だぞ、ハゲ!」
「ああ!?しつこいぞお前!」
ばたばたと走りながら大笑いするフリをして、無心はぽろりと一粒、涙をこぼした。