しとしとと雨が降り続いていた。
3月も中旬であろうというのに、
もう梅雨かと錯覚させるような天気だった。
そう、あの時も雨が降っていた。
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「俺、海外移転が決まったんだ。」
といつもの調子を崩さずに無心が言った。
「でさー・・・。」
と続きを話しはじめる。
大学も卒業し、またパーティーだ旅行だと
無心に引っ張り廻されて、あらゆる処に行った
若人だったが、海外と聞いて流石に驚きの色を
隠せなかった。
何より、今の仕事は急にはやめられないし、
ある程度責任ある立場にいた若人はどうやって
社長にその話を切り出そうか、と考え初めていて
無心が話し始めていた言葉も若人の耳には
届いていなかったのだが、無心はずっと話し続けている。
「・・・という、経緯なんだよな・・・あとさ・・・。」
俺、パスポート持ってないから申請行かないと、と若人が
無心に言いかけた時だった。
「だから、一年間我慢しててくれよな。寂しいだろうけど。」
そんな、言葉が無心から発せられた。
「えっ?」
一瞬、耳を疑ったが、確かに無心は今我慢しててくれといった。
今の若人には、無心が居ない生活なんて考えられなかったが、
ここで、泣いてしまうと無心の意思を無視してしまうことになる。
若人はぐと涙を堪えて、言った。
「わかったよ、無心。たまには電話・・・しろよな。」
と若人は自分が今出来る精一杯の笑顔で無心に応えた。
俺は、無心と繋がっている。何処に居ても、どんなに
離れていても気持ちはひとつだと、そう自分を納得させての笑顔だった。
しかし、無心の本当の気持ちはどうなのだろう。
やっぱり俺に引き止めて欲しいのかな。
無心は俺無しで、夜眠れるのだろうか?
とかいつになく活発に若人の脳が回転していた。
無心にそのことを聞いてみようと、ふと見ると、
無心はうつむいていて、
手に握られた拳はぷるぷると震え、肩も震えていた。
「なんで、なんでお前はー。」
無心は若人の胸の中に飛び込んだ。
「どうして、お前はいつも俺のわがままを聞いてくれるんだよ。
どうして、怒ったりとか自分はこうしたいとか言わないんだよ。
今だって、俺は引きとめて欲しいんだって、分かってるくせに
そういうこと一言も言わないで、俺のこと全部分かってるみたいに・・・。」
目に大粒の涙を浮かべながら、泣きじゃくりながら無心は若人の胸にかじりついていた。
「・・・ったような・・・。」
「全部、わかってるような顔で俺を見るんだよ。」
「お前が、お前がそうやって俺を甘やかすから、俺はお前無しで
いられなくなったんだ。」
「今日だって、辞令が出てから家に帰ってくるまで、悩んだんだ。」
「会社、辞めようかとか家について泣き顔をお前に見せないにはどうしたら
よいかとか、色々考えたんだ。」
「そして、考えて、それで。お前に言ってから決めようと思って、
いつもどおりみたいに言ったのに、やっぱり駄目だった。
俺、お前に引き止めて欲しい。行くなって言って欲しい。
なのに、お前は、どうして行くなって一言言ってくれないんだよ。」
若人は、無心の髪をやさしく、ひとふさ、ひとふさを愛でるように撫でながら
言った。
「だって、無心が海外に行きたがってたの、俺知ってるから。隠すように
してたけど、いつも向こうの生活習慣とか勉強してた。語学だって、その為に
選択してたの知ってるから。だから、止めなかったんだ。」
「若人、お前・・・。」
見れば、若人の双眸からも涙が溢れ出していた。
「いや、汗だから、これ、汗だから。」
「だから、安心して行ってこいよ、無心。俺達はひとつだろ。」
ぎゅっと、若人の無心の腰を抱く手に力が込められた。
力強く、それでいて優しい若人の手。
無心はその手が好きで、初めて会ったときに惹かれたその手を
何よりもいとおしく思っていた。
もちろん、それが若人の一部だからで、一番無心に触れていたのが
その手だったからだ。
「寂しくないって、言ったらもちろん嘘になるけど。でも、
無心のこと縛りたくないんだ。」
「もう離さないって、言ってたの嘘なのか?」
「あー、それは、あれだ。」
「ふふ、分かってるって。」無心は腰に廻されていた手を自分の腕で
巻き取って、その指先を口に含んで、いとおしく舐め上げた。
「お前の跡とか、匂いとか、全部、忘れられないようにしてくれよ。」
一本一本、丹念に無心は救い上げるように愛した。
「無心、変わったよな。」
「筆舌に尽くしがたいとか?(苦笑)」
「うわっ、なんか筆と舌ってなんかエッチだぞ。」
「オヤジ・・・ぼそっ。」
「言わせてるのは、どっちだ。」
若人は部屋の電気を落とした。
期間は短い。少しでも無心と一緒の時間を過ごしたい。
そういった心の表れだったが、若人はこの頃から
何故か、言い知れぬ不安を感じていたのだった。
一ヵ月後、無心が旅立ってからも、無心とチャット
しながらもその不安が消えることはなかった。
「なぁ、無心。」「何?」「気をつけてな。」「心配性だなぁ」
と無心が呆れるくらい若人は無心の身を案じていた。
が、・・・無心は一ヵ月後に亡くなった。
若人が心配していたとおり、それは起こり
絶対だと言っていた二人を紙のように引き裂いていった。
若人の心に闇が落ちていき、
長い孤独が始まる。
おしまい?
もちろん、エピローグ。
若人は寝汗をかいていた。
昨晩から振り続けていた雨のせいだろうか、
やたらと気分が悪かった。何か、夢を見ていたような
気がしたが、内容を覚えておらず、ただ不快感だけが
残っていた。
「どうしたの?」
無心は天使のような寝顔で若人を見上げて言った。
「なんか、悪い夢を見ていたような気がするんだ。」
と若人は隣にいた無心を引き寄せて、その重みを
感じながら言った。
「夜は、甘えん坊だなー、若人は。」
とくすぐったそうに無心は言った。
「夜はヒゲが痛いんだよねぇー。」なんて、
寝言かどうか分からない事を言っていたが、
おそらく寝言だろう。
あたりまえの毎日。無心がいるだけで、安心する日々。
そういった毎日の連続が自分を幸せだと実感させる。
若人は、今ある一日を大事に生きよう。
そして、ずっと無心を離さない。
と改めて、硬く心に誓った。
僕らはいつもお互いを必要としている。
来月には養子も迎えるし、なんだかんだと言って
忙しい日々から抜けられない二人であった。
ほんとに、おしまい。