ゆめのきらいな
おとなたちに









































































打ち寄せる波が砂を引きずる。
乾いた風が都市の死骸を撫でる。
少年の立ち姿は呆然と月を見上げ、
よぎる面影にその名を呼ぶ。


「カヲル・・・君」

碇シンジの、喪失。

「結局、誰も答えてくれなかった。
僕がどうすればいいのか」

大きな、穴。

「生きる意思にしがみついて生きるのは
もういやなんだ」

頬を伝う、喪失。

「生きること、
それ自体が答えであってほしいんだ」

顎からしたたる、悲しみ。

「なのに、
・・・なんで殺したんだろう」

うずくまる。

「僕の生きる意味を、
なんで殺しちゃったんだろう」

頭を抱える。

「ミサトさんも、綾波も、
・・・アスカも」

嗚咽。

「答えてくれない。
・・・僕の答えを答えない」

「やっぱりここだったのね」

ざくざくと砂を鳴らし、
葛城ミサトは母性を装い、近づく。
遠くでかちかちとウインカーの音。


「シンジ君」

「もういやだ」

「・・・シンジ君」





















「死にたい」






















第弐拾伍話
地球幼年期の終わり

A-PAR
T






















暗闇に浮かぶ石板たち。
責めたてる不機嫌な声。

「すべての使徒が消えた今、成すべきことは判っているな、碇」

灯りの降る机に肘を付く無愛想な声。

「判っています議長。約束の時が来たのです」

「槍の取得は、もはや一刻を争う。エヴァシリーズ完成まで猶予が無い」

「弐号機による取得計画は、もうすでに秒読み段階に入っています」

別の、だがやはり不機嫌な声。

「弐号機パイロットは心身喪失状態と聞いたが」

ニヤリとした笑い。

「破壊されたダミーシステムの代わりです。パイロットの精神状態と今回のオペレーションとの関係は皆無です。問題ありません」

「ふ。ここまで来たのだ。信じようではないか」

「ありがとうございます。議長」

風を切る音。
その石板と机の男を残して、すべてが闇に還る。

「・・・永かったな、碇君」

「・・・ええ。博士」



「ええ?弐号機を地底湖へ射出?」

明るく冷たい廊下で、ミサトは普段着のまま制服の男の肩を掴む。

「葛城さんにも連絡行ってなかったんですか」

「作戦部の移管で、ここ二、三日戦自の方へ行ってたから・・・」

「技術部主導で、民間への技術応用の試験らしいんですけど・・・」

いぶかしむ顔を間近で見つめるマコト。
朱い顔を気取られないよう

「ぼ・・僕もマヤちゃんから聞いたんで、詳しくは判らないんですが・・・」

「ふん、もうすでに作戦部はネルフの蚊帳の外か・・・」

肩から手を降ろされて、顔の色も静まる。

「技術部は発令所ね」

「あ・・はい、司令と赤木博士が・・」

「リツコが?!」

「ええ、・・あの・・」

駆け出すミサトに言葉は消えた。

「まさか・・・」

流れる床に恋人の面影がよぎる。

「槍が無い限り補完計画は発動出来ないはず・・・・そうよね、加持君」



「・・・アスカ・・・」

誰も居ない病室。
整えられたベッド。
もう誰も帰らない部屋。

「どこへ・・・」

シンジは眩しくひらめくカーテンをざっと開く。
日常が陽に晒されている。

「・・・行ってしまったの?」

自分の言葉を信じられなかった。
胸騒ぎ。
足をそれに任せる。
迷わず歩く。

「僕は・・・僕はまた棄てられたの?」

いや、走る。

「・・・アスカ・・・アスカ・・・」

その呪文とともに。



冷たい水の揺らぎに巨大な胎児は沈む。
丸めた背中に水面からの陽の光が踊る。
赤くいびつな鉄のパズルは
さらにその胎内に少女を宿していた。

「いつのまにか、またエヴァに乗ってる・・・乗せられてる」

長く赤い髪を膝の間に沈め、少女は震えていた。

「・・どうせ動きゃしないのに、このポンコツ」

つぶやく声はかすれ、膝の間から漏れる。

「・・・ポンコツは私の方か・・・」



「弐号機をモードDへ移行。ロックしろ」

発令塔の碇ゲンドウは立ち上がり、命令を下す。
科学者としての赤木リツコ博士は躊躇せず

「了解」

だが、その横顔を見つめる非難の目は、静かに、しかし強く

「本当に・・・本当にやるんですか、センパイ」

「マヤ。あなたも補完計画の重要性は認めるでしょ。これは必要なの」

「でも・・・でもアスカが」

「これは命令よ。伊吹ニ尉」

動かぬマヤの背後から、白く細い両腕が伸び、
痙攣のように、しかし絶対に正しいコマンドを叩く。

『弐号機、モードDへ移行。現行命令ホールド。アクセスパスワードをデフォルトで設定・・』

冷たいアナウンス。
冷たい涙がマヤの頬を伝う。

白髪の男が発令塔からそれを見ていた。

「本当に大丈夫なのか?碇」

「ああ、問題ない」

ちらりと傍らに立つ少女を見やる。
血のように紅い瞳は反応しない。

「・・・すべてはこれからだ」



「葛城ミサト三佐ですね」

ぐいと掴まれる腕。

「な、何よあんた。私は発令所に用があんのよ」

「残念ですが、あなたの立ち入りは許可されていません」

屈強な筋肉。サングラス。黒いスーツ。

「保安部・・・じゃなさそうね」

「お引き取りを」

ミサトは力無く腕を振りほどく。

「わかったわ・・・」

「ご協力感謝します」

「・・・な〜んちゃって!」

膝が男の急所に入る。かつりと皿にひびく。

「チッ、プロテクターか」

頸を狙う腕をするりとかわす。

「悪く思わないでよ」

足の甲が、正確に男の上唇と鼻を潰す。
吹き出る血で呼吸困難になる。酩酊状態。
膝がみぞおちにめりこむ。

「最後は脳震盪でキマリね!」

ぼたぼたと血の泡を吹く男の後頭部をざりと掴むと全体重をかけて壁に叩き付ける。
ずるずると血の軌跡の先に男の頭。
上着のポケットから覗くセキュリティーカード。

「MIB・・・ゼーレ?」



ディスクの回転する音。
すべてのインジケーターはカウントダウンを始めている。
青く澄んだ瞳は光のダンスを恍惚と見つめる。

「そうか・・・あたし消されちゃうんだ」

膝の上に顎を乗せる。
つぶやくたび、頭の重みを歯に感じる。

「そうよね・・・誰もあたしのことなんて必要ないもの」

自分が微笑むのを彼女は知らない。

「・・・楽になれるのよね・・・そうよね・・・ママ・・・」



『弐号機、コアの崩壊開始を確認。臨界点まであと20。ATフィールド発生を確認。出力2ヨクト・・3ヨクト・・』

「冬月、あとを頼む」

ゲンドウは振り返ると傍らの少女を見下ろす。
綾波レイは、真直ぐとその紅い瞳を向ける。

「約束の時だ。さあ行こう、レイ」

「ダメ」

驚愕。

「碇君が呼んでる」

『ケイジより通達。初号機起動。拘束具を自力で除去しています』

「いかん!」

主モニターに映る破壊されたケイジ。
冬月が身を乗り出し、叫ぶ。

「パイロットは?プラグ射出信号を送れ!」

『あらゆる制御信号はアルゴリズムウォールでブロックされています。パイロットは、セキュリティーのヒストリーからサードチルドレンと特定』

「MAGIにクラックさせろ!」

『デフォルト・コードブックは無効。新規解析開始』

「666スクランブラーか・・・」

『射出口の緊急用トラクター及びカタパルトの起動を確認』

「電源を落とせ!」

『内部電源フル。スタンドアローンモードです』

冬月は、ふんとため息をつくと

「先にチャージしていたか。やるな」

その言葉をさえぎるゲンドウ。

「当方がモニタリングされていた可能性は」

『ログを見ると、その可能性は大です』

眉間に皺が刻まれる。

「シンジ・・・何をする気だ」



操縦レバーを握り締め、シンジは俯く。

「行かせないよ、アスカ。もう僕を置いて行くのは許さない」

射出のショック。

「ぐうっ・・・アスカ・・・一緒に」

地底湖に滑り込む。



「説明してもらえるかしら?リツコ」

「・・・ミサト?」

騒然とした空気の中、金色の髪の向こうの冷たい瞳が振り返ると
廊下で突っ伏した男の物であった銃が見ていた。

「・・・あなた、府中じゃなかったの?」

「これでもまだネルフの人間なんでねえ・・・なんでここに居るのか聞きたいのはこっちよ」

リツコはふっとゲンドウを見上げる。

「・・・服役囚にも労働はあるわ。今のうちに退散したら?勝ち目はないわよ」

「説明してほしいって・・・聞こえなかった?」

リツコは主モニターに視線を戻す。

「それより、保護者さん。あなたのかわいいシンジ君、今、何をしてると思う?」

「シンジ君が?」

『映像回線パス解析完了。主モニターに切り替えます』

画面には寂しそうな影がひとり。

「シンジ君!」

冬月がその声に気付く。

「いいのか?碇」

「後だ・・・シンジ!」

俯いた面をこころもち上げて、少年はつぶやく。

「何?父さん」

「すぐに戻れ。そこは危険だ」

ようやく真直ぐとモニターを見る。

「危険?じゃあアスカも一緒に帰らなきゃね」

ミサトは目を見開き

「やっぱり弐号機にはアスカが!」

シンジの顔に笑みがさす。

「ミサトさん?そこにいるんですね」

「シンジ君・・・」

「ミサトさんにだけ言っておきたかった」

「・・・何?」

屈託の無い笑顔の言葉。

「・・・さよなら」

びくりとレイが身体を震わせる。
巨大な砂嵐がモニターを襲う。

『映像回路の電源がカットされました。復旧作業開始』

ミサトが頬に手をやると、ぬるりと指先が湿る。

『映像回路、物理的損壊を確認』

「・・・アスカをどうする気?」

濡れた指で白衣の襟首を掴む。

「シンジ君をどうする気なのよっ!」

冷たい視線は背けられる。

「もう止められないわ・・・弐号機は臨界点までもういくらもない」

「自爆させるつもりなの?」

「自爆ではないわ・・・対消滅にならない限り」






















水の揺らぎ。
ほの明るいその底に、怯えるように固く沈んだ赤い影。
アスカの座するインテリアに見慣れない灯りが点滅する。
機体間ホットラインの受話器を上げると、懐かしい声。





















「・・・アスカ・・・」

「・・・何しに来たの」

「・・・アスカ、帰ろう」

「イヤ」

「アスカ」

「来ないで」

「・・アスカ」

「あたしは楽になりたいの。
だからもうかまわないで」

「・・・僕を置いてくの」

「え?」

「僕を棄てるの」

「棄てられたのは、あたし。
この役立たずの人形よ」

「・・・ねえ、アスカ。
僕はどうすればいい?」

「・・・」

「みんな、僕を置いて行ってしまう。
みんな、僕を棄てて行ってしまう」

「・・・」

「僕に生きる意味なんか無いのに、
僕だけ残されてしまうんだ」

「・・・」

「アスカ、僕はどうすれば・・・」

「シンジ・・・」

「何、アスカ」

「一緒に死んでちょうだい」

「・・・いいよ」

「ウソね」

「ウソじゃない。
そのつもりだったんだもの」

「・・・え?」

「今日、病院に行ったんだよ」

「・・・」

「いつも果物剥いてたナイフあるだろ。
持ってったんだ」

「・・・シンジ・・・」

「でもアスカはいなかった。
・・・また棄てられたんだと思った」

「一緒に死んでくれるの?」

「うん、アスカ。死のう。一緒に」

「・・・嬉しい」





















「・・・僕を一緒に連れて行って。アスカ」






















『弐号機のATフィールドが初号機に浸食されていきます』

「アスカッ!シンジ君!」

ミサトの声を見下ろしながら

「まずいぞ碇。このままでは対消滅する」

冬月は冷徹な男の横顔を責める。

「零号機の二の舞だ」

「ああ。槍どころか初号機まで失ってしまう」

「どうする・・・」

じろりと眼鏡を向ける。

「・・・祈るのみだ」



鉄の塊を抱く鉄の塊。
鉄の塊をまさぐる鉄の塊。
軋む音が水に漂う。

「ねえシンジ・・・あたしを感じる?」

「感じる。・・・判るよ、アスカ」

「あたしも判る気がする・・・シンジの温もり」

シンジの視界が赤く染まる。

「・・・活動限界だ・・・もうずっと一緒だよ」

「・・・うん・・・」

やがて初号機のプラグに闇と静寂が訪れる。





















と、




















突然、初号機のプラグに光の洪水が訪れる。

「何だよ・・・どうしたんだよ・・・どうなってるんだよっ!」

振り切れるインジケーター。

「やめてよ・・・もうやめてよっ!」

初号機は、その瞳に狂気の光を宿し、忌まわしき真紅の鉄から後ずさる。

「アスカッ!」



『し・・初号機、再起動!』

ゲンドウは表情を変えない。

「碇・・・」

「・・・問題はない」

「判っていたのか」

「いや」

歪む口元の笑み。

「・・・信じていた」



「アスカッ!聞こえる?」

強烈な雑音に混じる声。

『シン・どうし・イヤ・ンジ・とりにしないで』

「アスカッ・・畜生!とまれとまれとまれとまれとまれとまれとまれ!」

レバーを叩く。

『ひと・はイ・、・とりは・ヤ、ひとり・イヤ』

もうすでに弐号機は小さな影。

「アスカ・・・アスカッ」

シンジはその影を狂おしく求め、かき抱こうと両手を伸ばす。

「アスカァァァァッッッッ!!!!」



『コアが潰れます!臨界点突破!』

「アスカッ!」

ミサトの悲鳴。

「イヤァァッ!」























閃光は影を照らし

発熱は水を消滅し

轟音は土を飛行させて

ジオフロントは濃霧に霞む。

天井の岩盤には悲劇の爪痕が走り

地上の湖水が無数の滝となって糸を紡ぐ。

打たれる紫の機体。

その胎内には少年の呆然と

悲劇の理解を拒む混乱と

そして、喪失。




碇シンジの、喪失。

大きな、穴。




その瞳が見たものは

認識を求めようと混乱の脳に送られた映像は

かつての湖底にあったのは






















長い影を落とし、

地表に突き刺さっている、

ロンギヌスの槍。











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