草原はゆるく傾いて、その先に大樹を飾る。

陰をたっぷりと染み込ませた涼しそうな根元。


「あそこ?」


麦わらを押さえながら見上げるわたしに、少年は笑顔を向ける。


「ああ、あそこだよキョウコ。あの樹の下」


白いシャツに、黒いスラックス。

風がはためかせる、その細いシルエット。

その脚にすがりつく。


「あそこで、ピクニックしたの?」


「そうだよ。あそこでしたんだ」


「みんなで?」


「ああ、みんなで」


「パパと、ママと、おにいちゃんと、キョウコで?」


「うん。……キョウコは覚えてない?」


「うーん……」


「無理も無いかな……三年前と云えば、キョウコはまだ二歳だから」


「おにいちゃんは? おぼえてる?」


「十二歳だからね。覚えてるよ……」


遠く、時の向こうを見つめる瞳。


「ねえ〜はやくピクニックしようよ〜おにいちゃ〜ん」


赤いランチボックスを持った手を引っ張ると、ふらふらとよろける。

苦笑いで、わたしの手をそっと外す。


「わかったわかった……ほら、先にお行き。僕はあとから行くから」


「うん! はやくきてね、おにいちゃん!」


幼い身体には深い草を全速力で分けると、

樹に近づくにつれ土のかさが増し、浅くなる。

振り返れば、既に森を見下ろせる角度。

なだらかな山の中腹に広がった、おだやかに揺れる緑の絨毯。

吹き上げる風に、少年はゆっくりと進んで来る。


「おにーちゃーんっ!」


人形を持った手を振ると、少年は手を振り返す。


笑顔を搾り出しながら。

苦しい息を鎮めながら。


安心した妹が、また後ろ姿を見せるまで。








































The second day











































薄闇が、白に染まり出した。

ひんやりとした、大気。

……『ココ』は、『外』だ。

判断は、目覚めてしばらく後に下された。


横たわる下の、柔らかい感触。

まるで、あの記憶の中の草原に寝転がっている様な感覚。

あの激しい頭痛は、悪夢の様に消え去っていた。


腕を挙げてみると、まとわりつく粘っこいモノ。

霧の様でいて、もっと実体を感じる物質。


それは、視界の端々にまで満ちていた。


儚げな冷たさを帯びて、たゆたう『霧』。

……もしも霊体=エクトプラズムが実在するなら、こんな感じだろうか。


そこまで考えて、わたしは苦笑した。

わたし自身が死んでしまったのだと何故考えないのだろう。

実験中の事故で死んでしまう科学者なぞ特に珍しくもない。


多分、それは『非科学的』だからだ。

『死後の世界』なぞ実在しない。


もし、これがそうならば、わたしはいち早く

その実在を証明するため浮世に戻らなければならない。


その願いが通じたのか、『霧』は晴れだした。

曇り空が見える。朝の光を帯びながら、煮え切らない雲の凹凸が。


風が『霧』をはらったのに気が付いたのも、しばらくしてからだった。

感覚に設定されたディレイ・タイム。


起き上がると、いつもの見慣れた風景が有った。

しかし、それがどこなのか思い出せない。


森だ。木々のシルエットがわたしの中で照合される。

あの草原ではない。大体、そこまで鮮明な記憶は無い。

見慣れた風景。見慣れたシルエット。それは日常の……


「あ……」


それは、窓から見える風景だ。

研究所の

休憩所の

まずいコーヒーサーバーの

横の窓から見える、風景。


しかしおかしい。

なら、何故、ココから研究所が見えないのか。

あの、真新しいコンクリートの塊が。


その方向には、ただただ、広大な空き地が……

……いや……


「そんな……」


立ち上がってみると、ぶるぶると脚が定まらない。


そこには、広大な空き地など無かった。

ただただ、巨大なクレーターが口を開けていた。


まるで、巨大なスコップで研究所を地下施設ごとすくい取って、

どこかへ運び去ってしまった様な、そんな新しい悪夢が広がっていた。


呼吸が早くなる。いわゆる『パニック』だろう。

目を閉じ、震える身体を両腕でしっかりと抱きしめる。

自分の『実在』をしっかりと意識に染み込ませていく。


『声』はふいに聞こえた。


それはあまりにも軽く、

あまりにも普通で、

あまりにも親しげで、

……そして、あまりにも懐かしかった。


「やあ」




















少年は、立っていた。




















白い肌。

やせ細った身体。

柔らかな微笑みを浮かべて。


白いシャツ。

黒いスラックス。

片手には、赤いランチボックスを持って。


記憶の中の少年。

あの草原に居た、少年。


しかしその髪は、栗色ではなく、明るい銀色。

目の色は、青色ではなく、透き通る様な赤色。




















ヒトの『恐怖に引きつった顔』には前から興味が有った。

今、この場で観察出来ればとも思った。

……しかし、それは叶わぬであろう。観察者は恐怖に囚われている。


「女の子を探しているんだ。まだ小さいんだけど……」


わたしの視線を懐かしい笑顔で捕らえ、話しかけてくる。


「森で居なくなってしまったんだ……だけど、この森じゃない」


夢ではないであろう。今わたしは自分の実在を確かめたばかりだ。

標準的な『頬をつねる』と云う動作ではなかったが……。


「思い出せないんだ……知らないかい? ……森の中には草原があって、そこには大きな樹が有って……」


「知ってるわ」


「本当かい? ……良かった。そこで居なくなってしまったんだよ」


夢でないとすれば、この結果を招いた原因が何であるかは一目瞭然だ。

或る『天才科学者』の『画期的実験』だろう。

……ならばわたしは、その『観察者』とならねばならない。


「その……出来れば、その場所に案内してくれないかな?」


「ダメね。ココからは遠いわ。クルマでも無いと……」


「クルマ? ……あ、ほら、クルマならあそこに」


彼の指差す方を振り向く。

研究所へ続いて『いた』道路。

何も無いその路上に、突如大きな衝撃音が響いた。


「!」


どこからか放り落されたミニチュアの様に、

サスペンションをぐらぐらと揺らして

わたしの『クルマ』が、『虚無』から『帰還』した。


「……」


「……あれで良いかい?」


「……え、ええ。……わたしのクルマだから」


「そう。ちょうど良かった。じゃあ……ええと……」


「……ユイよ」


「……案内、よろしくお願いするよ、ユイ」


少年は笑顔の中から、すっと手を差し出す。


「僕は、カヲル」


握り返す手は、力無く、……冷たかった。





低い雲の白さが、フロントガラスを染める。

『蒸発』した研究所を後に、クルマは森を抜けようと走る。

ハンドルを握る手が、まだ小刻みに震えている。


「キョウコって云うんだ……妹なんだよ、その子」


「そう……」


助手席から、赤い瞳は向けられる。


「ふたりでピクニックに行ったんだ。その森へ」


「そうなの」


「普段、一緒に居てやれなかったから……連れていったんだよ」


「……御両親は?」


「二年前に死んだ。事故でね。……僕も病気で、ずっと入院してるんだ」


間違い無い。

あの『実験体』は、わたしの記憶の中から、兄のイメージを読み取り、

それを自身のフォルムとして成熟したのだ。


ダイブされたわたしの遺伝子など、全く無視して

わたしの中の『兄』を、具現化したのだ。


「だから施設に預けっぱなしで……寂しい思いもさせたと思う」


コアに内包されている『スーパー・ソレノイド・エンジン』。

無限増殖する細胞を『自死』させることによってエネルギーを取り出す、

まさに『死』の永久動力機関。


……その細胞を使用すれば、短期での成熟もそのフォルムも自在だろう。

『彼』は、実験体がわたしの与えたエサに食らいついた『結果』なのだ。

やはり、『フォーマット』など、何の意味も無かった。


「……わたしにも兄が居たわ」


「キミにも?」


「ええ……やはり病気だったけど」


「死んだのかい?」


「ええ……わたしがまだ小さい頃にね」


「何の病気だったのかい?」


「知らない……教えてくれなかったから」


「僕も教えてなかった。……フフ、訊かれたらいつもこう答えていたよ」


“肺の中にハスの花が咲く”……

……わたしは、兄に会う度に、花が枯れたかどうか訊いた。

兄は笑って、答えなかった。


赤い橋が見えて来た。

あの橋を越えれば、街に出る。

どこでも良い、それなりの設備の整った研究施設に持ち込みたい。

とにかく、この貴重な実験体のデータを残さなくては。

事後処理はなんとでもなるだろう。

あの大災厄をウソで塗り固めた大悪人どもだ。


「危ない」


少年がつぶやく。

クルマはまるで柔らかい壁にでも突き当たった様にがくりと止まった。


「え?」


「向こうへは渡れないよ」


「ど……どうして?」


「……橋が落ちる」


複数の破裂音が、断続的に風景にこだました。

クルマから降りて、その音を見定める。


赤い橋に、無数の『穴』が開いていた。

それは、その破裂音と共に、増える。


『穴』は、橋を組み上げるボルトやリベットの跡だった。

『音』は、それらがひとつづつ弾け飛ぶ衝撃の響きだった。


「う……そ……」


やがて、固定される術を失った手摺りが、ゆるりと傾く。

がらりとそれは谷底へ落ちる。


橋げたが続き、橋脚が続き、無数の骨組みが続く。

世界的大災厄を生き残った赤黒い鉄のモニュメント。

それは、地響きと共に、目の前から、消えた。


震えが、『パニック』が、またやって来た。

もう街には行けない。

いや、こんな危険な『モノ』を、人々の中に入れるワケには行かない。

後ろに立つ『モノ』に、振り返らず


「……海沿いの道を、行きましょう」


「どうしたんだい?……何だか気分が悪そうだけど……」


「水没地帯のハイウェイなら、一日走れば着くわ」


行くしかない。……とにかく、行くしかないだろう。

何かが有るのか、何も無いのかは判らないが、行くしかない。


あの、森へ。





かつての山沿いの路は、今、潮の香りに吹きさらされる。

まろやかな波の歪みに沈む、直線的な人工物の影。

『街』は、恨めしそうに水底から曇天を見上げる。


生ぬるい風の中を走る、冷静を取り戻したハンドル。

少年は妹のことを語ることも無く、ただ海を眺めていた。

他のクルマも人影も全く見当たらない、打ち捨てられた地帯。

わたしの吐き出す煙が、窓から流れ出て行く。


道沿いの無人スタンドにクルマを入れ、チャージエリアに停める。

久しく可動しなかったであろうチャージャーのコントロール・ボックス。

スリットにカードを通すと、非接触充電モーターがうなり始める。


「鳥が飛んでるね」


クルマから降りて、天空に目を凝らす少年。


「そうね」


生返事。

ジーパンのポケットで振動するケータイに気を取られる。


「ちょっとトイレに行ってくるわ」


次の瞬間にでも消えるのではないかと、気が気では無かった物体。

しかし、今、個室の中で確かにこの手に握られ、頬に押し当てられる。

電気的で、無機的で、事務的な、コトバ。


『惣流・キョウコ・ツェッペリンだな』


「はい」


『アダムが一緒だな』


「はい」


『“森”に向かっているのだな』


「はい」


『よろしい。君たちは監視下にある。会話も全て記録されている。……ただ、こちらとしても危機的状況に陥らぬ限り君たちの行動に干渉はしないつもりだ』


「はい」


『こちらから伝えることは以上だ。何か質問は?』


「はい。……失礼ながら、もう監視の続行は不可能だと思われます」


『何?』


スイッチを切ると、変調された耳障りな声は消えた。

トイレを出ると、少年と共に空を眺める。


『鳥』が落ちてきた。


静音ローターの回転が止まり

無様にくるくると回りながら

黒く、大きな、鋼の『鳥』が落ちてきた。


ヘリコプターは海面に叩き付けられ、紙の様にはらはらと破け散る。

もう震えは来なかった。





空を覆う雲の向こうで、陽は傾く。

クルマは、海の上のハイウェイを走る。


浅い水没地帯。

傾いたビルが、壊れ朽ちた広告塔が、水面から黒く生えている。


道が続く前方には、島が見えた。

かつて『山』であった、島。


そこに『森』は有る。


「もうすぐよ」


少年は何事かをじっと考えている。

ずっとそうだ。海を走る間、ずっとそうだった。


「……どうしたの?」


「思い出せないんだ。……何か、大切なことを……」


「妹さんのこと?」


「そうかも知れない……」


「……そう」


……兄についてなら、思い出せないことなんてない。

だがそれは、大部分が思い出したくないことだ。

忌々しくも、わたしの奥底に澱の様に記憶されている、『彼』。


だが、『トラウマ』などとお手軽なメロドラマを気取るつもりは無い。

未知の惑星の力で死んだ妻が蘇り、狼狽する科学者の話を読んだ時も、

あまりの軟弱さに子供ながら鼻白んだモノだった。


……人間、誰しも『負の記憶』を抱えて生きている。

それが『深刻』なのか『お手軽』なのかは、関係無い。

それがその人間の人生に占める量は、同じだから。


わたしにとって、たまたまそれが『彼』だと云うだけだ。

それだけのこと。悲劇でも喜劇でも無い、個人的なことだ。

そんなもの、ありふれて、空気の様で、…『ドラマ』足り得ない。


「停めて」


「え?」


「ココで停めてくれないか、ユイ」


道なりに、ずっと砂浜が広がっていた。

明度の下がった空の下、遠浅の海。

人工物のシルエットが、水面に幾つか見える。


少年は、クルマを降りると、ふらふらと海岸へ降りて行った。

後を追う。


「あれ」


「?」


少年が指差す先。

海から突き出た車輪の骨組みの様なモノが波に洗われている。

ただ、車輪にしては随分大きい。


「……朽ち果てた観覧車が珍しい?」


「……」


「ムカシここは山の上の遊園地だったみたいね」


「……この先に街が有ったね?」


「ええ、沈んだけど」


「病院が有ったね?」


「有ったでしょうね」


「養護施設も」


「有ったんじゃないかしら」


「そして……」


少年が、わたしを見た。








































途端、








































あの  激痛が

激痛の  暗闇が  わたしの  脳みそを








































おおきな  おと








うみ  の  なか  に




おおきな  みずばしら


かんらんしゃ

かんらんしゃ  が


うみ  の  うえ  に




うかびあがって








でんき




でんき  が  ついて


きれい

そう  あれに


あれに  のりたかった




のりたかったんだよ








おにいちゃん









































<The third dayへ>




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