気を落とさない様にしなさい。

見てごらん、空は何ときれいに澄んでいるのだろう。

わたしはあそこへ行くんだよ。

ルソー・最期の云葉











































清廉な風。

枝葉を波打たす大きな生き物。

その透明な息は、わたしの鼻孔に草いきれを運ぶ。


麦わら帽子を押さえる、小さな手。

もう片手には、ふわふわの人形。

はためくワンピースと、駈ける脚の軽々しさももどかしく、

木々の翳る森から、その開けた光を目指す。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


振り返りたい。

でも、つまずきそうでタイミングが計れない。

立ち止まることはしたくなかった。

……少なくとも、その時のわたしは。


「おにいちゃんっ、はやく!」


そう叫ぶと、やがて森を抜けた。

黄色い陽が隅々まで敷かれた、草原。


きらきらとした空気の肌触り。

陶然とした意識の深呼吸。

微笑みを感じる頬。


立ち止まり、やっと振り向けた。

緑と陰の縞模様。

森の透き間から、その少年は現れる。

いつもの笑顔と共に、ゆっくりと。

いつもの柔らかな声。


「そんなに慌てないで」


栗色の髪が飾る額に痩せた手のひらをかざし

透き通る様な白い顔から陽の光を切り取り

少年は青い瞳をまぶたで狭めて

幼い妹を視界に収める。


「フフ。……元気だね、キョウコは」









































(hallucination) ENGINE








































The first day











































目を開いてみると、泣いていた。

もうあまり見ることのなかった夢。

忘れていた情景。


ベッドから重く湿った身体を立ち上げる。

暗く狭く四角い穴の中、ブラインドの明るい斜線が天井を切り分ける。


寝覚めの悪さは、普段着で寝てしまったからだろうか。

いや、それとも自宅で寝るのが久しぶりだからか。

ふと考えて、苦笑する。


ブラインドを引き上げ、朝の光で時計を見る。

必要の無くなったアラームのスイッチを切る。


乱雑な寝室。

サイドテーブルの引き出しを開ける。

小さな聖書と、古び、汚れた布のかたまり。

夢の中のふわふわの人形を、同じ手で取り出してみる。


端切れ布の簡単なカラダ。

詰め物のデコボコな顔。

毛糸くずの髪の毛。

ボタンの目。

フェルトペンで描いた口は、薄く笑みを浮かべる。


手作りの粗雑さ。

作った親、与えられた子供の思い入れが無ければ、

とうに失われていたはずのモノ。

それを見ながら軽いあくびをする。


それを見ながら裸になったり

それを見ながら髪を乾かしたり

それを見ながら食事をしたり

それを見ながらそれを見たりして


結局は自分と共にクルマに放り込んだ。





ハンドルの向こうに伸びる車道。

街を刻む信号。

止まるたび、わたしは助手席に座る想い出を眺める。


忘れていた情景。

いや、忘れようとしていたのかも知れない。

手の届くところに置きながら

決して見ようとはしなかった記憶。


そう、ベッドサイドに閉じ込めた人形の様に。


街が終わる。

谷に掛かる赤黒い橋の先に、樹の生い茂る小高い丘。


あの薄暗い茂みの中に、久しぶりに『出勤』する。

日々の感覚から云えば、『帰る』に等しいが。


世界的大災厄も生き延びたとされる鋼鉄製の橋を渡り

クルマは斜面を知る。


もう信号は無い。

わたしは想い出をダッシュボードに閉じ込めた。





首から下げた端末にスキャンすると、制服の男は笑顔でIDカードを返す。

窓ごしに受け取ると、ウィンドウをぴしゃりと閉じる。

『超々国際的大々企業シャノン・バイオ』の数ある研究所。

そのうちのひとつのゲートが、今、目の前でぐいと開く。


車窓から消える際、男は何か云っていた。容姿に関するお世辞だろうか。

サンダル。ポロシャツ。ジーンズ。

紅も引いていない女に、そんな云葉は残りはしない。

……まあ、小さな研究所だ。人付き合いは大切なのだろう。


青い瞳をしかめる眉で翳らせ

栗色をしたぼさぼさの髪を煙たそうに掻き上げる女が

ルームミラーに、映る。


まるで、森の中にひっそり隠して建てられた様な研究所。

まるで、わたしの研究のためだけに作られた様な研究所。

まるで、『悪の組織ゲヒルン』の隠れミノの様な研究所。


そのコンクリートの塊は、まだ新しい。

……セカンド・インパクトから3年。

今、世界中が新しいコンクリートだらけだろう。


そして、クルマはコンクリートの足下に滑り込む。





窓の無い部屋の暗色を蛍光灯が追い出す。

昨日見たのと全く同じ風景。

本当に、一秒たりとも時間が進んでいない様な風景。


いくつかの紙切れを満載した事務机。

いくつかの雑に置かれた折畳みテーブル。


そして、部屋の中心に陣取る、透明なガラスチューブ。

ヒトひとり入れそうな液体に満ちた培養基の中には、

小さなエンブリオがゆらゆら浮いていた。


その異様を眺めていると、書類に埋もれた電話が鳴る。

紙に透ける赤いランプ。久しぶりのホットライン。

……ゲヒルンの大悪人どもだろうか?

受話器を上げると、スクランブラー作動を示す緑のランプが着いた。


『キョウコ?』


名乗らず

気安くわたしを呼び捨てる

すっとんきょうな声。


「ユイ?……久しぶりね」


眠たそうな声が日本語を応える。


『久しぶり……それと、まずはおめでとうね』


「何? ……誕生日はまだ先だけど?」


『違うわよ』


「離婚も係争中」


『違うって。成功したんでしょ。フォーマット』


「ああそれ。もう聞いたの?」


『ああそれって……アダムを安全にフォーマット出来たんでしょ? すごいじゃない。もうセカンド・インパクトを起こさなくて済むんだから』


「アダム・クローンが全部あんたの遺伝子抱えてるのもナンでしょ。それこそ必死よ。成功してもらわなきゃ困るわ」


『そうよね。生物として多様性が有った方が……』


「違うわよ。あんたのクローンばかりなのがキモチ悪いって云うだけ」


『ひっどーい……学生時分から変わってないわねえキョウコ……』


「そういえば……」


近くの椅子を引いて、座る。


「……先生は? ……もう合流した?」


『まだ……でも、どうやらセカンド・インパクトの真相について気付かれたみたいだし……もうあのひとが話をする頃じゃないかしら』


「そう……」


『……フフ、何よ。気になるの?』


「は?」


『ガッコに居たころからぞっこんだったもんね〜』


「バカ」


灰皿を見つけられないまま、タバコに火を着ける。

吐き出した煙を見上げて


「六分儀く、……あ、いや、……『碇所長』はお元気?」


『いっつもどっか出かけてるわ。こっちは子守が大変だって云うのに』


「人工進化研究所所長さんに子守させるワケにも行かないでしょ」


『そりゃそうだけど……わたしだって自分の仕事が有るんだから……』


「……素体は? もう実験段階?」


『まだまだよ』


「パイロットはアダム・クローンって聞いたけど?」


『ファースト・チルドレンはね。素体とのシンクロを考えて……同じアダム・クローンなら、成功率は高いから』


「どっちも遺伝子はあんたのだしね……あーキモチ悪い」


『まだ云うか』


「サード・チルドレンは?」


『順調順調。 ……ソックリよ、あのひとに』


「それもまたキモチ悪いわね」


『それは云えてるわ』


耳に注ぐ笑い声の中、発掘した飲み残しのコーヒーカップに灰をはたく。

相手の云葉を待つ。


『……そっちはどうなの? セカンド・チルドレンは?』


「こっちも順調よ。……しかし、いきなり子持ちになるとはねえ……」


『ダンナに利用されないかって?』


「あんな色気狂い、もうカンケー無いわよ」


『あっそ。……で、そっちは似てる?』


「何が?」


『セカンド・チルドレンよ。アスカちゃん、だったっけ?」


「……知らない。見て無いから」


『……何で?』


カップに落したタバコが、じゅっ、と鳴った。


「水槽に自分が100人もぷかぷか浮いてるなんて、ぞっとしないわ」





結局、彼女は「おめでとう」を云いたいだけだったらしい。

それだけで、わざわざ日独ホットラインで暗号通話したわけだ。

……まあ、それも彼女らしいが。それこそ学生時分と変わってない。

世話焼きの彼女にとって、わたしはいつまでも『御学友』なのだろう。


改めて、漂うアダムを見る。

フォーマット直後の、コロイドに包まれたコアの単純な姿とは違い、

ヒトゲノムとわたしの遺伝子がダイブされた今では

爬虫類めいたグロテスクなフォルムに成長している。


……結局、こうしてわたしもまた、自分のクローンを作り出している。

それもこれも、『セカンド・チルドレン』とシンクロさせるため……。


……あの100個体のうちのひとつが

選別され、覚醒し、刷り込みが行われ、

わたしのことを『母』と慕って現れた時、

わたしはそれを受け入れることが出来るだろうか……?


……まあ、今は考えない様にしよう。

今は、このアダムに対し

『魂』を移植することのみを考えなければならない。


わたしの『人格』『記憶』『気質』『思考パターン』……

……その他、『わたしとしての要素』をコーディングして、送り込む。

そして、この不安定なバケモノを最大限に安定させる……。


そう、箱根でも未だ成功していない、それこそ画期的な実験。

取るに足らぬ『フォーマット』比べ、それこそ画期的な技術。


……確かに、わたしは功を焦っているのかも知れない。

ひとつの成功が、更なる欲を招き入れたのかも知れない。

事実、この実験体にはまだ満足な脳も発生していない。


しかし、わたしは次の段階へと移る準備を始めた。

助手連中には何ヶ月ぶりかの休みを与えてある。

わざわざ昨日帰宅してみせたのも、『休日』のブラフを完成させるため。

貴重な実験体を、我がオモチャとせんがため……。


ゲヒルンは遅かれ早かれ、わたしを切るだろう。

そして、『助手』こと優秀な子飼いの研究者に引き継がせるだろう。

反抗的な『天才』よりは、従順な『凡人』の方が使い易いと云うことだ。


……そしてわたしは、

『セカンド・チルドレンの母親』と云う

閑職を与えられるであろう。


そんなことは、耐えられない。

そんなことは、許されない。


箱根を、ユイを、出し抜くしかない。

わたしを、わたしの『天才』を、認めさせるしかない。


『天才』とは、時に暴走するモノだ。

……そんな、薄笑いの説得。


不細工な鋼のカゴの様なヘッドセットを被り

コードの生えた薄く平らな端子をこめかみに当てる。


どこまでも軽い、あの気持ちだった。

新しいオモチャに高ぶる、どこか懐かしいあの気持ちで

あぶくを浮かべるエンブリオを眺めながら

ノートパソコンのエンターキーを叩いた。









































途端、








































激痛の  暗闇が  わたしの  脳みそを  押し潰した









































<The second dayへ>




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