1  9  1  3






























ヒトは、この永い時を繋いでいる。

記憶と云う曖昧な糸で。

ヒトは、自分の在る空間を埋めるべく根拠も無く

ただひっそりと哀しんでいる。

それはきっと、永劫の時間に失われたものたちの刺。

壊れてしまったものたちの、記憶の焦げ跡。

失われずに居ることの、その重力の告発・・・































冷たい壁。

固いベッド。

空っぽのタンス。

空っぽの机。

空っぽの冷蔵庫。

小さなダンボール箱。

目覚めたわたしを取り巻く、まだ失われていないものたち。

そして、香り。

麝香の甘い香り。

カーテンの隙間から差し込む朝陽に、ぼおっと滲む黄色い花。

鉢の上に息づく、香り高い生き物。

ベッドの上で半身を起こすと、内臓はだらりとわたしの血を淀ませる。

全身に巡り始めるまで、そのまま静かに待つ。

見つめる細やかな花びら。

黄色い滲みは次第に退いていく。

・・・そして、今日と云う時間が始まる。

わたしはまた、記憶と云う糸を紡ぎ始める。

途中で途切れたのに、また繋ぎ始める。

三本目の糸。

三回目の哀しみ。






























「はい、これ」

「花?」

「うん。ほら、綾波の部屋って花とか無かったでしょ?」

「わたしに?」

「そうだよ。・・・と云っても僕も貰ったものなんだけどね」

「そう・・・」

「リツコさんに貰ったんだ。ほら、良い匂いがするでしょ?」

「そうね」

「ジャコウの匂いだよ。ジャコウミゾホオズキって云うんだ」

「ジャコウ・・・」

「それ・・・実は父さんが生きてた時、大事にしてたものなんだって」

「司令が?」

「うん。・・・おかしいよね、あの父さんが花だなんて・・・」

「そうなの・・・」

「・・・ねえ、綾波・・・」

「何?碇君」

「最近、どうしたの?・・・何か有ったの?」

「別に何も無いわ」

「何か有るんなら・・・云ってよ。こんな僕でも力になれるなら・・・」

「何も無いの」

「もし・・・もし、僕のことが嫌いになったのなら・・・」

「そんなことは無いわ。有り得ないもの」

「あ、綾波、ちょっと」

「さよなら」































わたしは碇君が好き。

碇君と過ごすのが嬉しい。

碇君と話すのが楽しい。

碇君の舌が美味しい。

碇君のペニスが気持ち良い。

碇君と一緒になってる時、幸福を感じる。

それはわたしが信じ続けた気持ち。

紡いで来た糸。






























でもその気持ちが、どこから来たのか。

わたしには判っている。

途切れた糸の、その向こう。

焦げ跡を残して、ふっつりと消えてしまった記憶。

わたしであって、わたしでないヒト。

わたしは彼女の灰燼。

わたしは彼女の残滓。

わたしは彼女の亡霊。

呪われた滑稽な亡霊。

信じ続けた気持ちを。

紡いで来た糸を。































冷蔵庫の上の鉢に寄る。

緩やかに漂う香り。

顏を上げると、鏡に映る顔色の悪い娘。

青く透き通る髪と、紅く輝く瞳。

あなた・・・誰?

碇君を好きなわたし?

碇君を好きだったわたし?

・・・判らない。

でも、ひとつだけ判る。

もう、この気持ちを信じちゃいけないこと。

碇君を好きで居てはいけないこと。

それは侮辱だもの。

亡霊に愛されても、傷付くのは碇君だから。

白い顔が、ぼやりと歪んで行く。

頬が温かく濡れていく。

滴るしずくが、ぱたぱたと鉢の葉を叩く。

食いしばる歯が、がたがたと震える。

こんな終わりが。

何故・・・






























「綾波、入るよっ!」

「!?」

「・・・!!・・・泣いてるの!?」

「・・・・」

「だ・・・黙って引っ越そうだなんて・・・それは無いだろっ!」

「・・・・」

「どうしてだよ綾波・・・どうしてっ!」

「・・・嫌いに・・・なったの」

「・・・!!・・・」

「碇君のことが・・・嫌いになったの」

「そ・・・そんな・・・綾波」

「好きじゃなかったの。碇君を好きなのはわたしじゃなかったの」

「な・・・何を云ってるの綾波!?」

「やっと・・・判ったの」

「う・・・ウソだっ!・・・ウソだウソだウソだあっ!」































両腕ごと、碇君に強く抱き締められる。

濡れた頬に碇君の頬が重なる。

抵抗しなくちゃいけない。

嫌がらなくちゃいけない。

考え始めたと同時に

わたしの一番好きな味が口の中に割って入る。






























「んん・・・ぬむっ・・・はあ、綾波・・・」

「・・・・」

「僕の・・・僕の大好きな味」

「え?」

「・・・僕の楽しみ。僕の喜び。僕の快楽。僕の幸せ・・・失いたくないんだ」

「碇君・・・」

「僕を嫌いなら、それでいい。それなら・・・」

「・・・・」

「・・・好きにさせてみせる」

「・・・!!・・・」































初めて見る顏。

碇君の、顏。

エゴイズムの肯定。

ぶちぶちとボタンが弾け跳ぶ。

パジャマの上着が乱暴にひき剥がされる。

ブラジャーをずり上げられると、後ろから強く乳房を揉まれる。

痛い。

優しさのカケラも無い。

わたしの好きだった碇君のカケラも無い。

無い・・・はずなのに。

わたしは彼のエゴに身体を添わせている。

いっそ、その奔流を待ってさえいる。

それが贖罪の為で無いのは、固くなる乳首が証している。

それは、自分への挑発。

何故?・・・偽り無い自分の気持ちを見つける為の?

・・・いえ、違うわ。偽りの自分を消し去る為。

あの娘を殺すの・・・この気持ちで。






























「はあ・・・綾波ぃ・・・」

「い・・・碇君・・・殺して」

「・・・え?」

「あの・・・娘を」
































ベッドに横たえられると、碇君は胸を重ねる。

わたしの舌を激しく吸う。

強く唇で絞る。

既に露出した彼の下半身。

びくびくと脈打つペニスが、わたしのお腹を撫でる。

荒い呼吸で一気にズボンとショーツが下げられる。

自分でも判る。

ひたひたと湧き出る生温かさ。

ラビアを滑らせてシーツに染みを作る。






























「すごい・・・すごいよ綾波・・・」

「碇君・・・そんなに見ないで」

「もう大丈夫だね」

「え?」

「もう、僕を好きになってくれたね」

「・・・もっと」

「え?」

「もっと好きになりたいの」































湿った音を立てて、碇君がわたしの中へと埋める。

細かい泡が弾ける。

内臓が掻き出される。

血液が凝集する。

頭の中の光がどこまでも大きくなって行く。

声を上げた。

叫んだ。

初めての、大きな声で・・・






























全てが溶け出すかと思った瞬間、碇君は引き抜いた。

わたしのお腹にしゃがみ込むと、灼熱した乳房を両手で鷲掴む。

痛みは麻痺していた。

わたしの両の乳房でしごかれるペニス。

不思議な感覚に酔う暇も無く、碇君が叫び声を上げる。

碇君の味と匂いが、わたしの顏に飛沫く。

さっきまでの碇君の体温を感じて、遠のいて行く意識。

・・・微笑んでたはずなの。

わたしは、わたしの気持ちを掴んだから。

わたしは、碇君が好き。

わたしに幸せをくれるから。

これはエゴイズムなの。

誰の気持ちでも無いの。

・・・わたしの本当の気持ち。































「う・・・ん・・・」

「あ、起きた?」

「・・・碇君・・・」

「あの・・・ごめんね綾波、あんなこと・・・」

「ううん、良いの」

「・・・綾波が居なくなると思ったら、何だかワケ判んなくなっちゃって・・・」

「良いの。わたしも気付いたから・・・本当の気持ちに」

「ねえ・・・もう、何処へも行かないで・・・くれるかな・・・」

「命令して」

「え?」

「さっきの碇君で・・・命令して」

「・・・・」

「さっきの怖い顔で」

「そ・・・そんなに怖かった?」

「ええ」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・で、出来ないよ・・・」

「じゃあ判らないわ」

「そ、そんなあ・・・」

「・・・ふふ」

「く・・・ふふふ・・・」

「うふふふ」

「はははは」






























「良い匂いだね。ジャコウの香り」

「そうね」

「ねえ、綾波・・・“あの娘”って、もしかして・・・」

「そうよ。二人目のわたし」

「・・・そう、やっぱり・・・彼女のことを・・・」

「碇君を好きなのは、彼女のせいだと思ったの」

「・・・良いんだよきっと・・・それでも」

「え?」































「綾波・・・リツコさんに聞いたんだけど、この花にはね、本来、匂いが無いんだ」

「・・・?・・・」

「昔は有ったんだそうだよ。だからジャコウミゾホオズキって名前も付いたんだ」

「じゃあ、どうして・・・」

「突然、世界中で同時にこの花から一切の匂いが失われてしまったんだって」

「原因は?」

「判らない。謎なんだ。・・・確か、1913年のことだそうだよ」

「・・・百年」

「え?」

「百年もの間、この花の記憶は途切れたままだったのね」

「父さんが、突然香り出したこの花を愛したの・・・何か判るような気がする」

「・・・・」

「・・・全ての失われたものを取り戻したかったんじゃないかなって」

「・・・そうね・・・」






























「綾波・・・この花はこんなにも華やかに香っている。迷いなど微塵も無く・・・」

「・・・・」

「記憶は・・・失われたものも含めて、全てが自分なんだ。迷う必要なんか無い」

「・・・!・・・」

「今、君が思うこと、気持ち、全てが君自身なんだよ。それ以外じゃ絶対に無い」

「・・・碇君・・・」

「香れば良いんだ。思いっきりね。自分を自分で満たせば・・・」

「・・・それで良いの?」

「・・・それで良いんだよ、きっと」

「・・・ヒトはそうして自分を肯定して生きて行くのね・・・」

「・・・うん」

「碇君」

「何?綾波」

「・・・ありがと」































ヒトは、この永い時を繋いでいる。

記憶と云う曖昧な糸で。

ヒトは、自分の在る空間を埋めるべく根拠も無く

ただひっそりと哀しんでいる。

それはきっと、永劫の時間に失われたものたちの刺。

壊れてしまったものたちの、記憶の焦げ跡。

失われずに居ることの、その重力の告発・・・






























だから、香る。

華やかに。

高らかに。



百年の孤独を自身で満たして。








































<おしまい>





NOVELSに戻る

ふりだしに戻る