1月9日つづき ヤブイヌに会いに (うつほ記)
横浜駅で昼食を済ませた我々は、その日の目的地、よこはま動物園ズーラシアへと向かいました。
ズーラシアは、広いという噂は知っていました。でもまさか横浜市内で、以前行った「埼玉県こども動物自然公園」ほどではないだろう、とたかをくくっていました。
相模鉄道で鶴ヶ峰という駅からバスに乗り換えました。普通バス停は駅の近くにあるものですが、ここでは、250M歩いた処に、バスターミナルがあります。そこまで歩かされました。
バスは丘陵地の中の住宅街を抜け、どんどん山に入っていきました。畑とか自動車工場とかが現れてきました。田舎チックです。横浜駅から1時間弱もかかります。
なんでここが横浜市?というところに、ズーラシアはありました。予想以上に、山です。しかも、風が強くて、寒い。
入ってから最初の動物が登場するまで、かなり歩かされます。どうやら世界各地の風景を再現しているつもりらしいですが、ヤシの木とかあっても、ぜんぜんトロピカルではありません。
何せ、寒いのです。ところどころ、雪が残っていました。何でこんなところまで来て雪を見なくてはならないのかという思いでいっぱいになりました。
しかも、休日とあって、子供連れの客の多いこと。小さなうつほは、お父さん達が前で写真を撮っていると、動物が何も見えません。しかも、ベビーカーに2度も轢かれました。さんざんです。
南国のサルとか居ましたが、寒くてまるまっているだけです。
閲覧に自由度があまりない(きまった場所からしか動物が見えない)ので、人山を見ている感じです。人の居ないところは枯れた植物ばかりで寒々しいし、なんじゃこりゃ、と思いましたが、後でよく調べてみると、ここは、「(財)横浜市緑の協会 動物園部」でしかないのです。つまり、植物がメインらしいのです。でも動物園にしか見えませんでした。
何故そんなところにやってきたか、というと、実は、ここにしかいない珍獣を求めてやってきたのでした。その名も、「ヤブイヌ」。原始的な犬の一種で、南アメリカのアマゾンやパンパの水辺に住んで居るんだそうです。その形の妙から、うつほは以前、「ヤブイヌブランドマーク」を作ってみました。ラコステみたいですね。かっこいいでしょう。
ヤブイヌは、最後のゾーン「アマゾンの密林」にいるようです。我々の目的は、もはやそこにしかありませんでした。途中で暖かいコーヒーが飲みたくて休憩場を探しましたが、大行列でどうにもなりそうにもないので、そこでぬいぐるみを探しました。すると、あると思っていなかったヤブイヌのぬいぐるみが、あったのです。
それを買って、足早に最後のゾーンまで進みました。
ちんたら歩いていると寒いのです。
あんまりはりきりすぎて、うつほは右膝を痛めてしまいました。階段が下りられません。
そんな苦労を乗り越えて、ようやくヤブイヌの居る場所に到達しました。
3年ぐらい前の展示では、「見えない」という悪い評判がありました。それにズーラシア公式HPでは、ヤブイヌは展示されていないとされていたので、本当に見るまでは不安でしたが、展示場所には、人山が。
走っていました!ヤブイヌが。
周りの人はヤブイヌを知らないらしく、「なんだこれは」を誰もが連発しています。それを聞いてうつほは誇らしく思いました。私はこれが目当てで北海道からやってきたんだぞ。ふふふ。どうですか、すごいでしょう。ヤブイヌ。思わず隣の人にそう云いたくなります。小心者なので黙ってましたけど。
ヤブイヌは同じところをぐるぐると走っています。
時々立ち止まっては、同じ場所で片足を上げてマーキングします。メスは逆立ちしてマーキングするそうです。
我々はこれが目当てで来たので、長いことそこでヤブイヌを観察しましたが、周りの人たちもかなり長い時間見ていました。中には、「かわいー」と云う女性も。大人気です。
ヤブイヌをしっかり見て、写真を撮るのに苦労して、満足。
あとはここの動物園の人気者らしい、オカピを見たくらいです。
いかにも弱そうです。オカピを見たら展示も終わりでした。帰り道が分かりません。寒くて惨めな気分になりました。かなり歩かされてやっと出口に着いて、バスに乗りました。
来るときは相鉄バスだったんですが、帰りは市営バス。微妙に経路が違います。どうやら2社で運行しているようです。
途中から、子供連れの家族が乗り込みました。そしてちょっと走ると、バスが停車して、運転手はその家族を呼びました。何事かと思っていたら、運賃の返金だった様子です。相鉄バスで110円だった子供料金が、市営バスでは50円なんだそうですね。
すると、その子供は、最初に乗った相鉄に対して、「ひでえバス」、とつぶやきました。言葉は悪かったですが、経済観念のしっかりした感覚に脱帽です。
というか、なんで運賃が違う?
再び鶴ヶ峰駅に戻り、快速電車を待ちました。
いろいろな問題をはらんだまま、我々は横浜に戻り、電車を乗り継いで、日比谷へと向かいました。
再び、「帝国ホテル」に泊まるのです。