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吹雪のヤマセの巻 2002年12月31〜2003年1月3日 決行 その2
2003年1月1日(水) 「元朝参り」
携帯のアラームが鳴り、目が覚めて、日の出前にうちを出ました。 くまちゃんが駅で初日の出の写真を撮りたいと言っていたので、しょうがないから車で行きました。 列車が行った後、くまちゃんは、あと15分後の下り列車もみたいので、もうすこし居たいと言い出しましたが、めちゃくちゃ寒かったので、くまちゃんをおいて、うつほは車で帰りました。マニアにはつきあいきれません。 さて、崖の方はどうだったのでしょうか。望遠レンズ付きのデジカメを持っている父に聞いてみたら、やはり日の出の方角がかなり南の方で、しかも水平線は曇っていて、思ったような写真はとれなかった、と言っていました。それでも、雲間から上る初日の出が、望遠でさらにズームして撮れていました。やっぱり駅にいくんじゃなかった。 珍しく早く起きた元旦は暇です。朝食後、町長の挨拶が有線放送でがんがん響く中、徒歩2分の金山神社に、ボンを連れて、うつほの両親とお参りに行きました。帰りに町長のお兄さん夫婦に遭いました。とてもローカルです。 1月2日(木) 「はやて」 今回の旅の、目的の一つ、八戸まで来た新幹線「はやて」に乗って、北東北を満喫する日。 コースは、南部地方中心部(我ながら言い得て妙だ)を一周するものです。 陸中八木→八戸線→八戸→新幹線→二戸→バス→久慈→八戸線→陸中八木 10時半頃陸中八木駅を出発する予定だったのですが、なんと雪が降り出して、出発する頃には、吹雪いていました。吹雪の陸中八木駅は、うつほも初めてです。冬の南部地方まで来て、なんで雪に見舞われなくちゃならないのだと悔しくなりましたが、八戸市に入るあたりにはすっかり晴れていました。まるで、夏にヤマセが吹いたときに、種市だけが黒い雲に覆われているような、そんな雲でした。 新しい八戸駅は、噂に違わず寒くて寒くてどうにもなりません。何でガラス張りなんでしょう。食堂はしょうがないとして、トイレの小ささにはびっくりしました。まあ、こんなに混雑するときは二度とないのでしょうから、妥当な線かもしれませんね。 「はやて」は、本当に新幹線でした。ちょっと疑っていましたが、あっというまに加速して、名久井岳が近くなって、トンネルに入って、折爪岳が見えて、二戸に着いていました。 二戸駅もガラス張りの寒い駅でした。次はバスです。新幹線の駅が二戸にできたので、久慈からバス路線ができました。スワロー号という、JRバスです。なんかもう少しおもしろい名前ならいいのにな、「ヤマセ」とか。縁起が悪いですね。でも後日写真をみてわかったのですが、JRバスのイメージキャラである<つばめ>の意味だけではなくて、「はやて」に「座ろう」なんだそうです。そりゃ、立ち席はない、全席指定の新幹線ですから、「はやて」は。(そういいながら、私たちは、指定席扱いではない料金でした。詳しくは、くまちゃんが書いてくれることでしょう。) くまちゃんに言われて、西口のバス停を目指しました。くまちゃんはせっかくだから正面である東口の写真を撮ってきたいと言って、東口へ行きました。 久しぶりの全速力のせいで、疲れ切って、バス車内ではほとんど寝ていました。どこを通ったのかよくわかりません。九戸インター付近でやっと目が覚めました。 あとはよく知っている道だ、と思っていたら大間違い、インター付近に道の駅ができているし、軽米町と九戸村の境のあたりに、新しい道路ができていて、これで久慈方面へいくようになったようです。5年もたっていればいろいろ変わるんですね。 久慈駅に着いて、北の方が真っ黒けな雲に覆われているのをみて、やっぱり種市だけが雪なんだと改めてがっかりしました。これじゃ冬もヤマセです。 帰ったら、甥っ子が来ていました。小学生になったので、「八木」と漢字で書けるはずだと踏んだうつほは、書けたらお年玉をやる、と約束しました。いっぱいヒントを出してやってしばらくして、やっと書けたので、しょうがないから、千円やりました。 その夜は、例の如く JR八戸線平内駅前の酒屋に婿に行った叔父からうつほが買ったビア樽でみんなで宴会です。 叔父が持ってきたお酒と、旭川のくまちゃんの親戚のおじさんが送ってくれたお酒で大宴会。 というか、叔父とうつほの父とがやたら飲んでいただけでした。叔父は機嫌が良かったのか、昔乗った、北転船を改造したような怪しい商船の話や、イランイラク戦争のころアラブの方に行った話をしてくれました。その頃アフリカでいっぱい拾ってきた骨貝がとても欲しかったのを、叔父に話したら、呉れると云っていました。酔っぱらっていたけど覚えているかなあ。 1月3日(金) あとは帰るだけのスタジオうつほメンバー。これも例の如く、甥っ子が送ってくれました。 (おわり) |