☆その6☆ 9月23日(月・祝) 盛岡・そして野人へ…
ところで、盛岡でもスタジオうつほは友達に会う約束をしていました。大学時代の友人K氏(秋田県出身)です。待ち合わせ場所を、秋田新幹線ができたころに新しくできた「盛岡駅西口」としたのですが、双方そこへは行ったことがなかったので、実際あったのはこれまでの駅(東口?)でした。
3人でまず訪れたのが、岩手県立美術館。岩手県出身のチーフも、岩手県在住のK氏もまだ行ったことのない所です。
かつては何もなかったところに建っているので広くて新しい美術館です。企画展は帯広でもやっていた「ニルス=ウド展」をやっていました。天井がとにかく高い展示室なので、写真作品がよく映えていました。
ここの見どころは、岩手県出身の萬鉄五郎・松本竣介・船越保武の常設展示室でしょう。東京でもこれほどの作品をまとめて見ることはまずないといえるほどの、充実したコレクションです。盛岡もいい時代になりましたね。
さて、おなかがすいたぼくたちは、盛岡の市街に入り、お約束の食事、じゃじゃ麺の元祖「白龍(パイロン)」に行きました。前にも書きましたが、くまちゃんはかつて週に3回は通っていたこともあるお店です。今や観光客にも広く知られて、大変な混みようですが、われわれも遠くから来ている身、並んででも食ってやると意気込んで向かうと、運良く席が空いていました。普通(400円)チータン(50円)。自宅用のおみやげもしっかりゲット。じゃじゃ味噌のストックもでき、当分安心です(何が?)。
さて、懐かしの盛岡に来たからには、いろいろやりたいことがあるのですが、やはり山田線に乗らなければなりません。というわけで盛岡駅に向かいました。
詳しくは「くまちゃんの旅のマニアコーナー」に譲るとして、16:23発の山田線普通列車宮古行きに乗り込みました。
山田線は、日本有数の山岳路線です。であるとともに、おそらく日本有数の赤字路線であると思われます。人口希薄な北上山地を横断する線路です。ぼくたちはそこに大きな魅力を感じているのです。
車内は結構混んでいました。といっても1両のディーゼルカーです。降りるときはドアを手で開ける半自動ドアの列車です。そういう列車がまだ走っているのが山田線。変わらない姿に、われわれもとりあえず安心しました。
盛岡を発車した列車は、くまちゃんの旧居住地を横目に見ながら北上川を渡り、上盛岡、山岸を停車するといよいよ北上山地に分け入りました。われわれの目的地は5つ目の駅・浅岸。距離はそんなに遠くありません。
3つ目の駅・上米内を過ぎると、列車は本格的に山の中に入ります。4つ目の大志田は通過、トンネルも連続して車内がかすかに軽油臭くなります。
浅岸駅はもちろん無人駅です。かつては山中の列車交換駅として駅員がいて、そのころはスイッチバック式の駅でした。今は列車本数も激減し、無人化してスイッチバックもなくなり、ホーム一本のみの小さな駅です。あたりには数軒の民家がありますが、誰も住んでいません。
ここも盛岡市です。駅の近くには誰もいないけど、この駅にも利用者がいます。現にくまちゃんの後輩もこの駅の何kmか先に住んでいて、列車通学をしていました。
これまでもたびたび訪れていた浅岸駅に降り立ち、われわれはハイテンションになってしまいました。来るたびに旧駅の遺構を探したりしていましたが、今回訪れてみて、この浅岸駅はさして変化していませんでした。
山の稜線が高いので、このあたりはすでに日が暮れて肌寒くなってきましたが、われわれはハイテンションのまま、付近を探索していました。まさに野人です。
それでもわれわれが野人化していたのは、ほんの20分ほど。次の駅・区界で交換をした折り返し列車が浅岸に到着しました。それに乗って盛岡へ。
盛岡市内ではさらに懐かしいスポットをいくつか巡り、大いに満足したスタジオうつほは、K氏の住む北上市へと向かったのでした。
北上でK氏と別れ(ありがとう)、あとはひたすら移動。奥羽山脈を横断してこれまた温泉がたくさんある湯田町を通り、秋田県に入り横手市・本荘市へと一気に日本海側へと抜けました。
この日の目的地は、本荘の南隣・西目町にある健康ランド。着いたら0時半頃でした。なぜこんな所かというと、明日の豪華フェリー乗船まで仮眠をとるためなのです。