Kuma くまちゃん☆旅のマニアコーナー(8) 2002年 愛すべき東北のローカル線・山田線の巻 |
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山田線。その響きを聞くだけで、ぼくはうっとりしてしまうのです。 山田線は、盛岡から東へ北上山地を横断して、太平洋側の宮古を経て、南へ釜石に至るローカル線です。山田とは、宮古と釜石の間にある港町に因んでいます。 ぼくが特に魅力を感じているのは、山田線の盛岡−宮古間です。もちろん宮古−釜石間も、リアス式の陸中海岸を走る景色のいい区間で、活気もあってよいのですが、北上山地という、かつて「日本のチベット」とまで皮肉られるほどの人口希薄な山岳地帯を横断する姿に、人(かつては貨物も)の行き来を支える鉄道本来の使命を感じるのです。 といっても、現在この区間を走るのは1日4往復(他に上米内までの区間列車が2往復)。ローカル線の中でも超閑散区間と言わざるを得ません。バスに乗客をとられているのが実状です。 かつてぼくの部屋の窓から、この山田線が見えていました。朝7時半頃の宮古発盛岡行き列車から、夜8時半頃の宮古発盛岡行き列車まで、1日10回、踏切の音とともにカタンカタンという列車の音は、時計がわりに聞いていました。そして、盛岡駅の近くに住んでいたぼくは、事あるごとにできるだけ、実は市街地に近い隣の上盛岡駅まで、山田線を利用していました。まさに生活の一部だったのです。 そんな身近な山田線ですが、ぼくも山田線の長い歴史のほんの一部を知るに過ぎません。ぼくが見知っているのは、上盛岡駅のキオスクがなくなり無人化したことや、盛岡を出て最初の踏切・境田踏切が立体交差化でなくなったことぐらいなのです。 かつては、スイッチバック式の駅が2つ連続していたことや、台風の被害で6年半も不通になったこと、循環急行が走っていたこと、数々の土砂災害に遭っていること、実際に起こった列車転覆事故をモデルに、三国連太郎・高倉健主演の映画が、浅岸駅で本当に蒸気機関車を転覆させて撮影されたことなど(「大いなる旅路」1960年・東映)、様々な歴史を重ねている路線なのです。 今回久しぶりに乗車した山田線、目的地は浅岸駅にしました。盛岡から5つ目の無人駅です。かつては隣の大志田駅とともにスイッチバック式で、駅員もいて学校まであったそうですが、スイッチバックが廃止されて20年、駅周辺は無人となってしまいました。それでも駅から3km位先に人家があって(くまちゃんの後輩の家など)、駅を利用しています。昨今は「秘境駅」ブーム?でこの駅も少々メジャーになって、訪れる人もちょっとは増えているようですが、あの山中にたたずむ人は、まだまだそう多くはないことでしょう。 盛岡から乗る山田線の魅力は、沿線風景の劇的な変化でしょう。東北本線から右カーブを切りながら別れた山田線は、住宅地のただなかを抜けていきます。北上川を渡ると左手には岩手山、春には川辺の桜がきれいです。上盛岡駅を抜けてもしばらくは市街がつづき、愛宕山の短いトンネルをくぐるときに、ちょっと家並みがとぎれますが、再び山岸の町並みが現れます。 山岸駅を越えてしばらくすると、突然住宅が見えなくなり、田圃になります。盛岡市内を流れる清流・中津川も見えてきます。 次の上米内駅を過ぎると、突然山中となります。中津川の支流・米内川の渓流に沿うのです。踏切もなくなり、トンネルと橋が連続します。どんどんV字谷をさかのぼると、米内川の上流部に大志田駅、さらにトンネルで中津川の上流部に抜け、浅岸駅に達します。線路は中津川の源流部にまでさかのぼり、東北地方最高所にある駅・区界駅に到達します。ここは宮古に注ぐ閉伊川の源流でもあります。あとはひたすら北上山地…。 ぼくも山田線の盛岡側のごく一部の魅力を享受しているに過ぎないのかもしれません。山田線の魅力は、乗ってみるしかありません。 くまちゃん渾身の山田線レポートでした。眠いのでもう寝ます。おやすみなさい。 |