藪漕ぎの楽しみ
上兜への道
【アクセス】 新居浜インターを降り、高速道路下にある種子川集落の真中に流れる川沿いに、林道を奥へ“魔戸の滝”へと暫らく進むと西種子川の右岸へ渡る未舗装の道となる。尾根を回り込むと左手に駐車スペースがあり、そこを登山口とした。 【上兜縦走計画】(2001年4月6日〜7日) 上兜の“縦走計画”は、昨年(2000年)の上兜のピークを究める過程で(一年に及ぶアッタクの末、11月3日に上兜に到達)、現実のものとなった。 図中の1の地点を登山口とする。(尾根の末端からの取り付きも可能)又、地図(2万5000分の1)の路は、整備されていないようだ。登山口から尾根に沿って40分ぐらいで、西種子川が望める“松ノ木展望所”(図中の2)に出る。 この直ぐ上から尾根の北側、つまり西種子川の反対側斜面に植林の小道(図中の2〜3)が延びている。鬱蒼とした植林の中なので、目印のテープを見落とすと3の地点は、判りにくく、注意が必要である。図中の3から植林の中の直登で再び尾根道を辿る事になるが、a地点からの支尾根を利用しても良いだろう。まもなく小さな岩を廻り込む処で、西種子川と兜岩が望める“ひかげつつじ展望所”(図中の3’)に出る。2〜3’間の所要時間は40分ぐらいだ。 右手の自然林と左方の植林の間を進むが、4の三角点のある尾根添いの潅木は手強いので、パスするのが懸命で、尾根の手前でスズタケと植林の境目をトラバースする。b地点からスズタケの中を右に廻り込み、東方向への目印を見逃さないように気をつけて、スズタケ林を抜けると、石楠花やつつじの繁る気持ちの良い尾根に出る。同行者の言によると「今年は、石楠花の花芽がたくさんついている」らしい。雑木の間越しにちらちらと垣間見る事ができるのは、西赤石から物住の頭への稜線だ。
5の尾根を辿ると、このルートで初めて左手の展望が開けて瀬戸内を望める所に出る。そして前方のピークが上兜の肩だ。このあたりから見える“あけぼのつつじ”の群落は、全く言葉を失ってしまう。が、現実はスズタケとの格闘の再開でもある。所々にある、テープやケルンを頼りに木や草や根に縋りながら、一歩一歩と前進するのみである。6の地点―上兜の肩の手前で進路を南方向へ変えるスズタケの斜面、ここが下山時の要注意個所でもある。
息を切らしてスズタケを抜けると、360度の大自然が迎えてくれる。上兜の肩は、小休止の絶好の場で銅山の峰々が一望できる。(形容詞は何もいらない、ただ佇もう) 肩から、上兜までは1ピッチである。が、前方は・・潅木のジャングルが続いている。目の前にある、すぐにも届きそうな高みへと続く道は、絶えている。目印も無い。許された者だけが踏み込むことの出来るんだ。「さあ、行こう」・・・少々のアルバイトへ!
潅木を掻き分けて藪にはいると、猪の塒とおぼしき場所にでた、あたり一面の糞だ。すぐ傍に昨秋の登頂時につけた目印と、刈払った痕もすぐにみつけることができ、このまま前進すれば上兜に辿りつく・・。と、同行者の「あったぁ!」の声・・前回の山行で落とした「ノコギリ」発見である。一冬過ごした「ノコギリ」は錆びてはいるが、当然「お持ち帰り」である。
頂上手前の直登部を一気に駆け上り(尤も、私達はゼイゼイ・ハアハアと云いながらだが)、前回となんら変わらぬ佇まいの頂上に立つ。傍らに記念の“しゃもじ”(特に意味は無い)をぶら下げて、記念撮影だ。頂きの北東斜面は抉れたように落ち込んでいて、河又の林道の“例の壊れた橋”の工事現場が眼下に望まれる。眼前に見える山々の峪筋も未だに雪を抱えていて、今年は春の訪れも暫らく時間が掛かるものと思われる。
簡単な昼食後、左手に“前赤石の威容”を観ながら尾根を辿って行く。目前に横たわる“物住の頭”までは、もう一息である。縦走路までの一歩一歩を踏みしめながら・・・
【下山路】
昨晩の泊まり場の銅山峰ヒュッテは疲れを癒すのに十分だったが、上部軌道から兜岩までの昇りに思った以上に時間を費やした。昨晩の伊藤氏(ヒュッテの管理人)の進言どおり(実は、最初に薦められたのは、上部軌道を利用しての下山路だったが、上兜から物住の頭を超えてきた等々・・雑談しているうちに「ちょっとアルバイトがいるけど、あんたならいけそう・・」という事で・・・)当初の予定はあっさり変更して、兜岩からのルートを営林署小屋跡(今は風呂小屋を残すのみ)を目指す。小憩後、西赤石からの道に合流し、昨日踏んだ上兜の尾根を正面に仰ぎながら、今日も藪との格闘に突入だ。
足下の潅木を踏み、先人の目印を拾いながら“石ヶ山丈への路”と別れる。(目指す小屋跡へは、右の植林の尾根だー地図上のA地点) しばらくは広い植林帯の尾根が続く、昨晩の伊藤氏の「日本人という奴は、植林出来る処は何処までも植林しとる」の言葉を思い出したー言下に、“植林から自然林に変わった処は気をつけろ!”といっているのだ。地図上のB地点で2万5000分の1の路と別れ、(この路は既に廃道となっている)小屋跡への尾根を伝うこととなった。
所々にある目印のテープを確認しながらの下降も、笹の繁った場所に出くわすと、踏み跡を探すのに時間を食ってしまい思うように捗らない。まだ新しい刈り払いの跡を見つけて正しいルート上にいる事を確認し、笹を掴みながら沢の音の方向へと進むと、間もなく小屋の屋根が見えてきた。尤も、小屋は風呂小屋を残すのみで、小屋跡と呼んだほうが相応しい。
小憩後、小屋跡からの道を探すが見当たらない・・・。小屋跡の下流側にちょっとした岩尾根が川まで張り出していて、小心者の私には河原を降りる勇気もないので、小尾根を廻り込むこととしたら、直ぐに川に沿った小道を発見する事が出来た。(この小道は、“愛媛の山”HP[天野氏掲載]上に記載されている小道だ)
この小道は、前述の小屋までの作業道だったらしく、よく踏まれており快適に歩くことができる。沢や尾根が出現するたびに蛇行を繰り返し、西種子川に近づいたり遠ざかったりしながらつづいている。今の季節は、木の芽も出揃っていなくて、花も芽を出す準備の時期なので、ただ淡々と歩を進めるのみである。
やがて植林地の真新しい伐採跡にでる処で、既に、屋根までも落ちてしまっている小屋跡を見ながら歩を進める、間もなく魔戸の滝から石ヶ山丈を経て、兜岩や西赤石への登山道に出会う。この道を登ると尾根道の縦走路と、上部軌道へと続いている(機会があれば、この道も辿ってみたい)。そして、私たちは魔戸の滝へと降りていくのみである。 そして今回の山行により、同ルートによる日帰り山行計画も可能となった。
上兜は、その姿を見たときからの“憧れの山”だった。赤石山系のどの山に登っても、“奴”は挑発していたし魅力を秘めていた。が、どんな“ガイドブック”にも登場しないし、勿論HPにも話題を提供してくれない。
登山を志して3度目の冬の昨年(2000年)1月15日に、決行の日がやってきた。 予てからの予定どうり、“魔戸の滝”上からの道を辿っての登行を決行すべき、愛車(シエラ)を登山口に走らせた。が、“その登山口”が見当たらない・・・「地図に載っているのに」・・“何故なの〜”である。仕方なく林道の終点手前の“A地点”から植林の中を“尾根に上がれば道は見つかる筈”と直登することとした。
「おかしいなぁ〜」と想いながらしばらく行くと、“B地点”で小道を発見。尾根道じゃないけど「トラバースしているんだぁ」と暫らく進むが、植林が切れた処で道は途切れてしまった。そこは、ガラガラの枯れ沢だった―小休止だ。仕方なく同行者を残し偵察、“D地点”から二度目の“尾根に上がれば道は見つかる筈”との直登も叶わず、潔く敗退を決め昼食として、小道を降る・・が、「ここを昇ってみる?(同行者の声)」に迷わず同調し、“C地点”を辿ると、ここで初めての私達以外のテープを発見だ・・尾根道の発見である。
木登りの術は落ちたらたいへん、いつもはらはらするんじょ。(軽量級だからいいようなものの・・)気をつけてね!
前週の登山道の発見で、取り付きに目印を付けておいたにも拘わらず、その“登山口”を通り過ぎたのは、なんなのだ・・・、で・・雪を纏った“上兜”に今週は「敵討ちにやってきた」。のだ・・
勿論、前週の到達点までは“楽勝”の筈・・と。“物見の松”まで順調に歩を進める。ここからは未知の世界だ。雪化粧のスズタケを払いながら高度を稼ぎ、所々にある目印を頼りに高みを目指す。雪に覆い隠された“草付き”と思われる斜面をピッケルとアイゼンに頼って強引に昇り、核心部の急斜面(?)のスズタケを抜けると突然、展望が開けた。頂上だ・・・。
が、目の前の“見覚えのある高み”は・・・。気力は、もう無かった。前回観た高みは・・此処。なら、目前の頂きは・・呆然自失・・言葉は無い。此処は“上兜の肩”だった。ガスに火を付け昼食とし、白く輝く“上兜から物住の頭”を観ながら「返り討ちにあった」虚しさは、私の山への強い想いに、幾許もの無念を抱かせるものではなかった。
あの“上兜から物住の頭”の稜線と、“前赤石の威容”を目に焼き付けて、今回も敗退である。
登山口につくと、先客がいた。「ツツジでも撮りに来たのかナ」と準備をしていると、「此処から西赤石に行けますか?」との事。返事に窮した・・どういうルートから、何処に昇りたいのか?たしかに地図上は、此処から上兜〜物住の頭経由で西赤石に、ルートはある。又、兜岩への道を辿れば西赤石に辿りつける。しかし、岡山から日帰りでしかも、初めてのルートを、目的の西赤石へ辿り付く事ができるとは思えない。
「銅山峰ヒュッテに電話で問い合わせ、“アケボノツツジを観るなら”と教えて貰った」コースは、“魔戸の滝から兜岩”のコースの聞き間違いじゃないか、と“上兜ルート”の困難性を説明し、納得して貰って互いの検討を祈り別れた。
“松ノ木展望所”で西種子川対岸の伐採跡コースを登行中の“岡山登山者”にエールを贈り、ガスの中へ歩を進める。が、今回は何かおかしいのである。ギブアップだ。最悪の体調である・・・ ツェルトを張って小休止のあと、撤退である。
帰路、“魔戸の滝”登山口で、朝の“岡山登山者”も下山しており、様子を聞くと「スズタケが覆っていて道が判らなかったので、ひきかえした」とのことだった。
いくら食べても太らないおっちゃんと、水でも太る私、この時は時々おこる持病の癪が・・・(原因は人間ドッグで判明したピロリ菌か?)寒さに極端に弱いのは、私のように肉じばん(?)を着てないせいじょ!
アケボノの紅葉を観に、霧雨の中を行く。が、今回はブッシュが手強い・・いきなりの“切り払い山行”となった。野薔薇が路を覆い隠し、潅木が行手を遮って思うに任せない。時間だけが過ぎていく、音を上げるのには時間はそんなに要らなかった。
“真っ赤に染まる赤石”の山々を眼に焼き付けて、下山を急いだ。
(エピローグ“足下の絶頂・・”:11月3日)
今回も、霧雨模様の中のアタックとなった。今日で何度目だろう・・、が今日こそは・・の強い想いが足をここへ運ばせた。前回の“手強いブッシュ”の教訓から、鉈に加えノコギリを持参した。“上兜の肩”までは、順調なペースである。そして一陣の風が霧を飛ばした瞬間、見え隠れする“紅葉”が、私達を歓迎してくれている。
小休止の後、紅葉の潅木を切り開き、時には踏みしめながらの前進だ。それは全く以外だった、“潅木との格闘”は、肩部の入り口の僅かな区間だけだった。絶頂に近づくにつれて、“潅木のブッシュ”が疎らになっていった。最後の急登部も、思ったよりあっけなく・・“絶頂”に立った。 その頂上は、何も無かった・・・上兜の北東面は深く抉れ、真下に“河又の工事現場”が見えている。
傍らに時計が落ちていた。「私達と同じ想いで歩いている人がいる」ことに安心し、この一年の“上兜への山行”に想いを馳せていた・・もう下山は、急がなくていい。
ノコギリは無くし、時計をgetしたものの、カメラバックに付けていたその時計は、ハネズル山の藪に又、消えたんじょ。持主さんごめんなさい。
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