【12月13日〜14日】
憧れのニュージーランドでのトレッキングは、出発前に“関空のドラッグストア”で、風邪薬を買う・・・という羽目になってしまった。 二日後のトレイル出発までに、完治を祈るのみである。 rルートバーンのトレッキングは、テアナウのホテルでのミーティングで始まった。私達の七名と、ミルフォードを済ませた九名、双方の同行ガイドと現地のガイド三名というメンバーだ。
現地ガイドは、私達の食事の世話までしてくれる若者である。ツアーリーダーのMs・デボラは、今年の九月まで富山の高校で英語の教師をしていたとのことで、流暢な日本語を話す。彼女はツアーガイドを始めたばかりで、先週は日本の有名人を案内したとの事。(山渓2月号) 心配していた私の体調も、テアナウに着く頃には、ほぼ回復していた。さあ!出発。
【12月15日】(マッケンジー小屋)
ルートバーンの出発点は、ディバイド峠である。テアナウで各自受け取ったシーツをパッキングして、キーサミットへ・・・。 山道は良く手入れされていて、快適に高度を上げる。鬱蒼としたブナ林から、「オールブラックス」でお馴染みのシダ林を抜けると、前方に万年雪を被った山並みが続いている。
キーサミットへは、トラックの脇にザックをデポして、約一時間の高原散歩だ。すれ違う挨拶は、「おはよう」「こんにちは」で通じる人達で占められている。ガイドの用意した昼食を、湖畔にあるハウデン小屋で済ませ、ハウデン湖からはイヤーランド滝を経て、眼下の谷を見ながらの山道である。今日は13.2kmのトレッキングでマッケンジー小屋だ。
天気にも恵まれ、前方にそびえるエミリーピーク(1820m)が間近に見える頃に小屋にたどり着く。陽気な女主人が迎えてくれた小屋は、土足厳禁、二段ベッド二組の部屋、温水シャワー、水洗トイレ、乾燥室付き、もちろん禁煙。
夕食のワインが一日目の疲れを心地よい眠りへ導いてくれた。
【12月16日】(ルートバーン・フォールズ小屋)
初夏とはいえ、朝の冷気が心地良い。今日はルートバーントラックのハイライト14.8kmである。
朝食後、各自が詰め合わせたサンドイッチをザックに入れ、八時出発。マッケンジー湖の横を抜けると、ジグザグの登り。いきなりの急登に息切れしてしまう。まもなくマッケンジー湖を見下ろす水平道に出るとデイジーやマオリ・オニオン、バターカップ、マーガーリート、クリーピング・ウーリシア等、一面のお花畑だ。 花色はなぜか白と黄色ばかりだ。(このことについては様々な説があり、一番有力なのは、派手な色の花を好む舌の長いハチや虫があまりいず、その代わりに、風のない日の夕方から夜、明け方にかけて活動する“ガ”によって受粉が行われている為、薄暗い中でもよく目立つ白か黄色の花が増えていったとういことだ。)
花にカメラを向けている「昔の娘達」は、先頭から遅れ始めるが最後尾は、ガイドの若者である。誰が遅れようと、最後尾は一緒。
湖を望む尾根を回り込むと左手にホリフォード谷を挟んで、ダラン山脈のパノラマが続く。手入れの行き届いた山道は快適で「昔の娘達」はMt.クック・リリーを見付けては時間を費やした。
昼食をハリス峠にあるハット(小屋)で済ませ、空身でコニカルヒル(1515m)へのピストンである。
ピークからは間近にダーラン山脈の峰々と遠くタスマン海も一望できた。(先週の有名人一行は吹雪のため登頂は断念との事)ハリス湖を回り込むと、湖から流れる川と湿原を見ながら下るのみだ。
【12月17日】
ルートバーン小屋からは、川を見ながら森の中の下り11.2kmである。
ルートバーンフラットのハットでティータイム。少し降りた河原でランチの際、Ms.デボラが、同行の年輩の人に「捨てたらダメ」と注意する声がした。オレンジの皮を捨てたのを見て、咎めたのだった。下から持ってきたものは、下で処分するのが大原則なのだ。
ニュージーランドには「自販機」が無い。「壊されるから」と言うが、日本には自販機荒らしはいないのか?
今は、ゴミ公害と自然破壊列島となっている日本も、私達の幼い頃は山も川も、NZのような豊かな自然があった。
私の山旅は、幼い頃の記憶を懐かしむだけなのか?・・・ 自問自答の旅でもあった。
尚、18日【Mt.ペン・ローモンド】、19日【クイーンズタウン】、20〜21日【マウントクック】については、コチラから
「昔の娘達」とは失礼ね!
目的だった、マウントクック・リリーを満喫し、ルートバーントラックを踏破 \(~o~)/ いい事ずくめの“二人の山歩き”止められませんな〜 この後、一緒だったお二人に誘って貰って ’01年9月16日〜25日 カナダトレッキングに出掛ける事になったんじょ。
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