2月の連休だというのに、8(土)/9(日)に所用があり名古屋のホテルに缶詰だ。それなら、名古屋から9日の夜、車で中央道を走ればいいかも?・・・と、計画の予定を立てた。
真冬のアルプスを歩くには、経験済みの山域を選ぶべきだが・・・私たちの経験なんて、知れている。結局、トレースがしっかりしているだろう・・・八ヶ岳に決まった。が、二人だけでは「赤岳は無理だろうなぁ〜」と、経験済みの天狗岳に決定した。
さっそく、hpで情報を収集したり、ガイドブックを見て登山口と“山行形態”を決めた。今回は、中央道を走り、渋の湯から黒百合平のテント泊として、天狗岳をピストン!と決定した。
1日目(2/10)【奥蓼科登山口〜黒百合平〜天狗岳〜黒百合平(テント泊)】
名古屋の栄にあるホテルを出発したのは、16時過ぎだった。今夜の内に茅野まで走らないと、明日の行程が狂ってしまうので、中央道を“ぶっとばして行く”が、愛車はスピード違反の速度を上回る事はない。4WDのスズキ車は、四国の林道走行用に購入したので高速走行には不向きなのだ。あせっていたのは私だけで、相棒は隣でゆったりしているみたいだった。そんな私の胸のうちをあざ笑うかのように、電光掲示板の“事故のため、諏訪湖PA付近で2kmの渋滞”情報である。こうなると、開き直る方がいい。何処にでも泊まれるだろうと、諏訪インターを降りたのは19時半を過ぎていた。
インターの近くで夕食を摂り、一昨年に利用した駅前のビジネスホテルへ愛車を走らせた。しばらくで、かのホテルに着いたが、“休業中”の張り紙が架かっていた。今夜の宿は、振り出しに戻った。もう九時を過ぎているので、急がなくちゃ〜。茅野駅の周辺を走ってホテルを捜すものの、それらしき建物は見当たらない。しかし、相棒が偶然にも“茅野旅館”の案内を発見した。電話をかけて、場所を聞き、駅裏(?)の旅館に荷物を降ろしたのは、間もなくだった。
目覚ましの音で起こされて朝食を摂り、6時には出発である。宿泊料は二人で6千円だった。近くのコンビニで、食料(?)を調達して、車を渋の湯へ走らせる。茅野市内を抜けると、道路の案内に“渋の湯”が無くなり「右折する交差点を通り過ぎた!」「引き返そう」と、ウロチョロする。準備不足の影響が、ここに表われてしまった。とにかく、渋の湯じゃなくて“奥蓼科”の渋の湯温泉に着いたのは、予定より遅くなり7時半頃だった。駐車料金二千円を払って、出発準備に掛かる。駐車場には、新潟ナンバーの三人組も準備しているが、女性はハーネスをしていた。「私たちは、大丈夫か?」と、一瞬不安がよぎる。
ザックにロープを忍ばせて登山口に歩いて行くと、渋の湯の手前で車を置き準備していた、私たちと同年輩の夫婦がやってきた。「チェーンを着けても雪で滑って、ダメだった」そうである。とにかく、登山届けを提出して8時過ぎに出発である。「黒百合平まではアイゼンは要らない!」と、しっかりとトレースの付いた雪道に踏み出した。真冬のテント泊装備を背負っているので、ザックの重さが肩にかかる。しかし、路は石や岩を覆う雪のお陰で随分歩き良い。三人組みは、日帰りで天狗岳をピストンの予定だそうで、夫婦ペアは黒百合ヒュッテで泊まる計画だそうだ。
今日は昼前後に黒百合平に着けたら良いので、ユックリと歩けばいい。ジグザグにトレースの付いた路に、真っ直ぐに降りた“尻セード”の跡が交わっている。重いザックに喘ぎながら、雪の急坂を一歩一歩と歩いていくのみで、林の間の景色もガスに覆われ垣間見ることも叶わない。ただ前進あるのみである。下山者と行き違うようになり、挨拶を交わす言葉もおっくうになった頃「この坂を登ると平らになりますヨ!」との言葉に勢いを得て、尾根に出ると“八方台分岐”に到着。「夏とあんまり変わらんなぁ〜」と、相棒と確認して休憩とした。時計を見ると9時である。
相棒がカメラを出していると、かの夫婦が上がって来た。二言・三言、言葉を交わして「お先に!」と先行する。しばらくは穏やかな樹林の中を行く。やがて正面の峠が見えて来た「中山峠だろう!」。相棒をモデルにして、デジカメに納める。少し降ると、“唐沢鉱泉”からの分岐の標識があった。このあたりからは、岩がゴロゴロした場所なのだが、今の時期はすっかり雪に覆われている。「夏に比べたら歩き易いなぁ〜」と言葉を交わしながら進む。行き違う人たちは、みんな路を譲ってくれる人たちだ。「ありがとう!すみません!」と声を掛けて、好意に甘える。「降りて来た人は、もう16人かなぁ」と、相棒の声がする。前方が明るく感じた頃小屋の屋根が出現した。
予定より早く黒百合平に着く、10時半だった。小屋でテント場使用料(二千円)を支払い、場所の確認である。テント場は数張りのテントなのでどこでも設営可能で、平らに均された場所を選び設営していると、若い女性の二人連れが現れた。彼女らもテント組だった。設営を終え、「明日は雨の予報だから、今日中に天狗岳に行って、明日は降りるだけにしよう!」との相棒の言葉もあり、サブザックの相棒と軽くなった私のザックで、アイゼンを履いて11時過ぎには出発である。樹林を抜けると「中山峠」は直ぐだった。
前回の「八ヶ岳縦走」の際は、こちらの尾根は通らなかったので様子が判らないが、尾根に出ると左下に展望が開けた(小海方面だろうか?)。しかし前方はガスに覆われ、風も強く頬に当たる“ミゾレ(だろうか?)”が痛く感じる。例の若い女性組が前方を歩いていたが足が止まり一休みなので、私たちも風の当たらない場所を選んで、コンビニで買った“おにぎり”を腹に収る。すると、朝方の三人組みが降りて来た。相棒が「早かったですねぇ〜」と声を掛けると「真っ白でした」と、彼らもここで休憩するそうで、私たちはいざ出発である。急な雪の斜面を風を避けて、下を向いたまま一歩づつ足を運ぶ。尾根の左側は絶壁の雪の斜面で、風にふら付いてはいられない。女性組と前後しながら、トレース通りに進んで行く。やがて、中年のペアが追いついて、6人のグループのようになり進むこととなった。
風は相変わらず強く吹いており、ラッセルの必要はないものの、トレースが消えかかっている処もあり注意して進む。しかし、岩の上に出てしまった。「こちらはルートじゃない!」後続の人たちに伝える。ルートは、岩を上がるのではなくてトラバースしていた。「ここ降りれますよねぇ」と、女性に声を掛けられるが「降りれんことは無いけど、無理をすることもないんじゃない」と、引き返す。やがて、ガスで真っ白の天狗岳に、六人のパーティー(?)が揃った。12時半だった。展望の利かない頂上でお互いにシャッターを押し合っていると、縦走路から覆面姿(?)の二人連れが上がってきた。女性の方が「来れるとは思わなかった!」と嬉しそうな声をあげていた。
記念写真だけで、天狗岳とはお別れである。女性ペアが先行していたが、強い風でトレースが消えかかっている場所もある。「どっちかな〜」と躊躇していると、中年の男性がさっさと先導して行ってくれる。単独の女性が“にっこり”と挨拶をして、登っていった。そして、登りに休んだ林に向かって尻セードである。若い娘も、中高年のオバサンも嬉々として滑り降りた。13時半にはテントに着いた。ザックを置き小屋へ急ぐ、目的はビールの筈である。直ぐに中年ペアが入って来た。風の中、フードを被っていて気がつかなかったが、朝方のご夫婦だった。「山へは、よく登られているんですか?」に、「私はそれ程ではないですが、主人は“ガイド”の資格があり、あっちこっちの山へ出かけています」とのことだった。
その内に、例の女性組が小屋に入ってきた。相棒の「学生さん?」に、「いいえ、もうすぐ30歳です」にも「若い人が羨ましい!」と、6人の話しはよくはずむ。ご夫婦の奥さんは「子供が愛媛大学へ通っていたので・・」と石鎚山の話しにも及び、ビールのつまみのおでんが無くなった頃には「そろそろテントに戻ります」と、小屋を出た。目が覚めたのは、5時・・・もちろん夕方である。夕餉の酒は小屋で買ったワインである。
あとは寝るだけ・・・
2日目(2/11)【黒百合平〜奥蓼科登山口】
時々テントをたたく風と、みぞれの音に起こされたが、寒くはない朝を迎えた。今日はただ降りるのみなので、気が楽である。
昨日のメンバーは渋の湯へと下山するのだが、みんな“中山経由で高見石”から降りるので、私たちだけが昨日のルートのようだ。相棒の“写真タイム”の声を聞きながらの下山である。結局“八方台”の別れまでの降りに、登りと同じ時間をかけた。しかし私はそんなには、写真を期待してはいないのだ。
おまけ【渋の湯温泉】
今回は寄り道でなく、登山口の温泉である。
入浴料は800円で、地下に浴室があった。今回の話は温泉ではなく、相棒が出てくるまでの待つ時間にあった。待合室でタバコをふかしていると、黒百合平の“彼女達”に遭ったのである。山の話は素直にできるのに、街に帰って日常に戻ると何故(?)素直になれないんだろう・・と自問自答である。私たちの娘のような年恰好の若い娘と、とりとめもなく山の話をしていると、相棒が風呂から上がってきた。
彼女らは“モ○△ロ○△山の会”のメンバーだそうで、私たちもhpを公開していますと、温泉宿を後にした。
吹き荒れる稜線のミゾレ混じりの風が頬や目に当たって痛かったじょ。ちゃんと、目だし帽やゴーグルも持って来ていたのに、サブザックに入れて来なくて後悔した。頂上で会った縦走路から来た二人はちゃんと目だし帽だった。(ちょっと、13日の金曜日のジェイソンみたいだった )^o^( 失礼!)
黒百合ヒュッテのテント代(一人、千円)は最初高いと思ったけど、トイレが暖房便座の水洗だったのでよかったじょ。