紅葉の白山   

 

 

 2002年10月5日〜6日【白山(平瀬道)】

 

 紅葉の白山を歩きたくて、ガイドブックを引っ張り出しての思案投げ首・・・この時期の室堂は一杯だろうナァ〜とか、登山口までの所要時間はどの位かかるんだろうか?などなど

 結局、室堂には宿泊しないで、テント泊か小屋泊まりで・・・という、大倉尾根に決定した。

 

1日目(10/5)【大白川登山口】

 前夜のうちに計画の大筋は決まっていたが、その細部(宿泊場所やスケジュール)については、登山口についてから決めるという“あいまいな”ものだった。その辺りの事情は、相棒は関知していない・・・。

 

 吹田を出たのが、10時頃(何を考えているんだ・・)で「名神高速」へと、車を走らせた。予想どおり、車の量は多く混雑気味で予定時間どおりは走れなかった。仕方ないので「養老インターへようろう!」・・・と、相棒はこんな話にも付き合ってくれる。一宮ジャンクションで東海北陸道へと、一路白川へ進路を変えると“渋滞情報”の電光掲示である。

 

 いらいらしながらも渋滞を抜けて林道を30分走って、大白川登山口へはPM4時となっていた。“昼過ぎに着けたら、大倉山避難小屋まで上がっておこう”との思惑も、“予定は未定”の計画では仕方が無い。テントを張る場所を探していると、60歳前後のご夫婦が「私達もテント場を探していましたが、この先にあるそうです。」と言うので、ご一緒させてもらう事とする。その場所には、先着の焼肉(?)グループが準備していた。

 

 車の側にテントを設営し、夕食の準備をする頃には、先ほどのご夫婦も、テントで夕食を済ませたようだ。相棒が「明日は何時頃出発ですか?」と、目覚ましを持ってこなかった由を話すと「三時には起きて出発準備をします」とのことで、私達も起こして下さる事となった。

 

 食事が済めば、シュラフに潜り込んで寝るだけである。うとうとしていると、相棒が「トイレへ行く」と、テントから外へ出ようとすると「キツネと眼があった」と言う・・・隣の焼肉パーティーのグループの話し声は、二時頃までつきることは無かった。 

  

 

2日目(10/6)【登山口〜大倉山〜室堂〜白山(平瀬道ピストン)】

  夢の中なのか?「ウエ〜オエ〜」というような唸り声がしている。昨晩からの“焼肉グループの宴会”のなごりか、二時過ぎまで続いた宴の雄たけびらしい。「そんなに苦しいんだったら、飲まなかったらいいのに〜」とは、相棒の言葉である。とにかく、うとうとしていると「三時ですよ〜」と起床の合図が聞こえた。外はまだ、真っ暗だがライトを点して朝食を済ませて、テントを片付けた。登山口まで車を移動して、いざ!出発である。「お先にどうぞ!」という先輩の言葉にうながされて、頭上の灯りだけを頼りにして第一歩を踏み出した。4時前である。

 

 

  暗闇の中での山行は初めてだ。足下を照らすランプを頼りに、一歩一歩と木道を登る。辺りはまだ静寂の世界だ。小鳥や動物達も、木々までも眠りに就いたままである。“左手の白水湖を見ながら歩く道”の筈なのだが、それも望めないまま、小休止である。「この道の木々はなんで大きいんだろう?」四国では、こんな大きな木の林は見た事が無い。

 

 

 本土は違うなァ!・・・そうなんだ!ここは、四国じゃ〜ないんだ!

 

 ともかく静寂の世界の中を、ひたすら歩を進める。そして、辺りの木々の様子が変わり始めた頃、やっと東の空に光のにおいがして来た。・・・・朝の到来である。

 

 

  

 東の空に朝陽が・・・現われない??・・・雲が邪魔をしているんだ。ふと気がつくと、白んできた空に紅葉で着飾った山々が現われて来た。何か声がした。前方の尾根筋に人影が見える。近づくと男女のアーマチュア写真家のグループで「三時から登り始めた」そうで、朝陽の紅葉を撮っていた。彼らは、用意周到で脚立まで持参していた。

 

 直ぐ先に“大倉山”の標識があった。そして、ダケカンバの林を少し降りると避難小屋の屋根が見えてきた。オバサンがズボンを上げていた・・・“登山道で用を足すなよ〜”(もちろん、声を出してはいえましぇ〜ん・・・そういえば、いつだったか阿波の“おこ〜つぁん”で下山の途中に、前方の登山道の真ん中で女性の真っ白のお尻に出逢い、慌てて木の陰に隠れて用の済むのを待った事があった・・・何故こちらが隠れなければならないの〜)

 

 

 

 

 その事はさておき、彼女らは小屋で泊まっていたそうで六人のグループだった。大倉尾根は快適で、朝陽に映える・・・黄や紅に染まる木々が織り成すページェントだ。これが・・・これこそが自然なんだ!大自然なんだ!

 

 白山本峰を仰ぎながらの登行も、間もなく下山者と出逢い始めた。「朝陽が綺麗でしたョ!」と、皆満足そうな顔で降りて来ている。カンクラ雪渓の標識のある処で小休止である。もちろん今は、雪渓は消えている。

 

 左手のガレの下方にわずかに雪渓が残っていた。道は尾根の右手を巻くように付けられており、フジアザミ・ヤマハハコなどが咲き残っていた。正面に見えるのが御前峰と呼ばれる本峰だそうだ。随分大きく見えるようになった。若者が足を引きずりながら降りてきた。膝の辺りにタオルを巻いていたその三人グループは、荷物を持っていない。若い・・・ってこういうことなのか?とにかく、随分と多くの人に出会うようになってきた。ハイマツの林が広がる中に付けられた道は平坦になり、ここら辺りが室堂平で、室堂は大勢の観光客(?)で賑わっていた。8時20分だが、とりあえずここで大休止である。ビールを飲んでいるのは、私達だけだった。

 

 室堂で休んでいると、次々に御前峰へと出発している。そして「いま着きました。」の声だ。起床の声を掛けてくれたご夫婦の到着だった。「朝からビールを飲んでいるのは私達ぐらいですネ」「途中。、明るくなり始めた頃に、二人の姿が見えていましたヨ」など、話がはずみ40分も休んでしまった。ザックを置いて出発。御前峰への道は、祈祷殿の横から続いていて、よく整備され歩きよい道だ。しかし、頂上が真近になると、冷たい風が吹いていた。空身なので、30分余りで頂上だ。記念のシャッターを押して、奥宮の石垣で風を避けて“ご夫婦”の到着を待った。その奥宮の前では、若いカップルが地図を見ながら休んでいた。傍らのザックは、70gはあろうかという大きなザックだった。

 

 私達のような軟弱中高年とは違い、このような若者に出遭うと、頼もしいし羨ましい・・・

 

  

 間もなく到着した“ご夫婦”と、写真を撮り合って風の吹きぬける頂上を後にした。室堂は、絶え間なく登山者が行き来していた、私達は簡単な昼食を摂って、10時45分には下山の途に着く。登りと違い、陽の当り具合が違うのか?ナナカマドの紅と、ダケカンバの黄葉の世界は言葉が無く。たとえようも無い。

  

 

 

 朝方とは違い、周りの山々や白水湖を見ながらひたすら足を運ぶ。相棒は、写真教室の予習(マニュアル撮影)に余念が無い。降りるに従って、登ってくる人に出会わなくなった。大倉山を見下ろす辺りの黄葉は特に見事で、カメラマン(?)が立ち止まる回数も多いみたいだ。

  

 

 

 大倉山を過ぎ樹林の降りになると、淡々と足を運ぶのみで、朝方の暗闇の登りと違って、小鳥たちや木々のざわめきさえも、肌に感じるような森だ。しかし、長い降りの道にも終わりが来る。

 

 朝方の登山口に降り立ったのは、13時半だった。

  

      

 朝出発といっても、私達だけだったら、せいぜい5時起き6時出発というところだったのに、先輩夫婦のお陰で朝陽に映える白山を見ることが出来たんじょ。