『夢の続き』

朝、いつも通りの時間に目覚める。
そんな生真面目すぎる己の習性に、苦笑が浮かぶ。
今日は、そんな気分ではなかったのだ。
できれば、もう少し・・・傍らで眠る愛しい者と同じように、惰眠を貪りたかった。
躰のだるさも、あるにはあったが、そうではなくて。

僅かに、記憶に残る胸の痛み。
朝方に知った、彼の涙。
このままでは、もうダメなんだと教えられる。

弟が、先に一歩踏み出してしまったこの関係を。
この兄が、踏み止まっていようとした関係を。
先陣を切って、ぼろぼろに傷付いた弟を護るために。
その真っ直ぐな心を、この手で抱きしめるために。
眠りから目覚めたら、変えようと決めた。
幼い日々の、無邪気で温かかった兄弟というものを、捨てる。
替わりにそこにあるのは、禁忌を超えた関係。
他人なら、恋人とでも言うのだろう関係に。
(だけど・・・・・・)
これが最善なんかではない事くらい、気付いている。
どちらかと言えば、啓介にとってはその未来に影を落とすはずの、
好ましくない選択。
涼介にとってもそうであったが、プロのレーサーを目指す者に比べれば、
一介の町医者などたかが知れてる。
それでも。
それでも、今。啓介が兄に隠れて流す涙に、限界を感じて。
兄弟という、安全で甘えきった関係を捨てる事にした。


深呼吸のつもりが、ただむなしく溜息が出る。
(オレもいいかげん、諦め悪いな・・・・)
苦笑にその表情を歪めて。天井の一点を見つめたままの瞳から、涙が溢れた。
情事の時の、生理的なものならともかく。二十歳をすぎた自分が、
こんなに泣き虫だとは知らなかった。
胸の痛みを堪えるために、塩辛い水を流すばかりで。

啓介が生まれてからずっと。
本当に、兄として弟が愛しかったのだ。
それを亡くしてしまう事の喪失感に、耐えられるだろうか。
新しい関係は、いったいいつまで続けられるのだろうか。
多分、捨て去るものほど永くは持つまい。
早くて、啓介の手がこの手を離す時。
遅くても、涼介自身の結婚。
さすがに、跡取息子としてここまで慈しまれてきたのだ。
本当に文字通り、愛情にも経済的にも何不自由無く。
その親の期待を裏切るのは忍びない。
だが、できる事ならば。
その時が来たら、元の兄弟に戻れるならば。
離れなくていい理由ができる。
もし、啓介がそれを望めば、の話だが。


嗚咽を堪える、不自然な呼吸に躰が震える。
その振動が伝わったのだろうか。
常なら起こそうとしても、なかなか目覚めない者が目を擦る。
傍らの温もりが、まだそこに有る事に安堵して、笑みが漏れる。
ゆっくりと浮上する意識が、唐突に気付く。
「アニキ?!どっか痛いの?」
子供の頃からあまり泣いた記憶がない。
そんな涼介に、涙を止める方法も分かる訳がなくて。
ただ必死に声だけは漏らすまいと、歯を食いしばる。
その息苦しさに、余計に涙が溢れる。
(まるで、壊れた蛇口みたいだな)
心の中で毒づいた。
「ごめん、アニキ、謝るから泣かないで」
訳もわからず、ただ昨夜の自分の所為だろうかと、啓介まで謝り出す始末で。

(はあ、情けない。というか、みっともない)
こんなはずではなかったと、自分にがっかりする。
せっかくなのだから。
啓介が、いつも好きだと言ってくれる笑顔で告げたかったのに。
愛し合うもの同士なら、普通に口にするその言葉を。
それが、多分、二人のキーワードだから。
欲しがるくせに、いつも啓介から与えられていたその言葉。
たった一言。
たった二文字の。
キッカケの言葉。
「ち・・がう。・・・違うんだ・・・啓介のせいじゃない」
「じゃあ、どうしちまったんだよ、アニキ?」
「分からないんだ」
「なにが?」
「これの止め方」
「アニキ・・・・」
啓介が、少し困った顔をして黙る。
(ごめん、啓介。こんな情けない兄で・・・)

不意に、抱きしめられて、ぺろっと目元を舐められた。
「啓介?」
「大丈夫だよ、アニキ。オレが止めてあげる」
そういって、零れるものを優しいキスで舐め取る。
愛しさと切なさがない交ぜになって、涼介の胸を熱くする。
ああ、こんなに愛されてるのに。
何を不安になっていたんだろう。
いつまでも子供っぽいと思っていた弟は、とっくに大人になっていた。
愛する者を、労わる術を知っている。
それに比べて、なんて己は臆病だったのか。
今こそ、本当に夢から覚めたような気がした。
きっと、今なら言える。
この腕に優しく抱かれている、今なら。
「啓介・・・」
「うん」
自分から、強く啓介に抱きついた。
それに抱き返す事で、応えてくれる。
「どうしたの?」
「オレは・・・」
お互いの耳元で囁きあう。
「んー?」
優しくその先を促されて。
「好きだ。・・・・啓介が好き。おまえだけだ」
やっと。
やっと言えた。

そして気付く。
啓介のために、などど勝手に思い込んで言わなかった言葉。
本当は言いたくて、言いたくてしょうがなかったんだと。
そうでなければ、何故、言った今こんなに嬉しいのか。
オレは本当にばかだ。望まれてもいたのに。
「啓介、好きだよ」
もっと、もっと、沢山言いたい。
それなのに、もう声が詰まって、言葉は音にはならなかった。



「・・・アニキ、オレも・・・・オレも好きだ」

啓介は、少し震える声でそう言って、痛いくらいの強さで抱き締めてくれた。



もう、迷わない。
涙の引いたオレとは逆に、泣き出した啓介を抱き締めて、思った。
啓介がいれば、何もいらない。
だから、もっと、オレ達は愛し合おう。
お互い以外の何も入って来れないように。



ビスタ様から相互リンクのお祝いに頂きました。
有難うございます!!