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もっと 2003.5.1
実は、うちのサイトって、昨日で2周年だったんですね。
すっかり忘れてました。
AVがどうたらこうたらなんて書かずに、一人で提灯行列でもやって、町中を練り歩きつつ自分自身を称えるべきでした。

一人ぼっちの提灯行列。
いくら、ヒャッホーと叫びつつ、笛や太鼓を鳴らして練り歩いたとしても、そこに浮かび上がってくるものは、めでたさよりも物悲しさ。
いや、物悲しさというより、単なる異常者というべきか。

想像しただけで、何でそんなことならなきゃいけね−んだよと逆ギレしてしまう。つーか、自分で考えて自分で逆ギレしている時点で、既にあやしい人ですね。

さて、そのおかげでめでたい気分もすっかり冷え込んだというより、何だか真っ暗な心境となってしまい、思わず「今日をもって」と閉鎖宣言でもしてしまいそうな勢いですが、続けます続けます続けます。飽きるまで。もっと。
やっぱり 2003.5.2(五月病雑文祭 if→itselfさん 参加)
「鬱だ。」

クラスの皆の前で、ちょっとカッコつけてこう言ってみたかった。
でも、現実は、「鬱だ」じゃなく「ウツボ」と言ってしまい、あまつさえ、その拍子に舌を噛み切って口の中からは、だらだらと血が流れてくる。

僕は、慌てて洗面所に走っていこうとしたら、床に落ちていたバナナの皮を踏み、ものの見事にすっころんでしまい、頭からもだらだらと血を流してしまう。

顔面を血塗れにしたまま立ち上がると、僕が好きな女の子は、「キモーイ」と言って走って教室の外に逃げていく。

僕は釈明しようとして、「待って!」と言おうとするが、口の中に溜まった血が邪魔をして、出るのは「ごぼごぼごぼ」と妙にくぐもった音だけだ。
とにかく後を追いかけようと全力で走るが、今度は、スピードを出しすぎて、曲がりきれずに、教室の後ろにある黒板に激突してしまう。

「ばき」といういやな音がした。左腕に激痛が走る。どうやら折れたらしい。僕は痛みを堪えつつ、顔面を血塗れにし、そして、左手をぶらんぶらんさせながら一生懸命彼女を追いかける。

彼女は、飛ぶように階段を駆け下りて行き、僕は懸命にそれを追いかける。すると、階段を踏み外して、今度は右腕を強打した。「ばきばき」。右までも折れたようだ。僕は構わずに駆けていく。相変らず顔面を血塗れにし、そして、両手をぶらんぶらんさせながら。

遂に校庭に出た彼女の後を追いかけて、僕も校庭に向かう。
そして、彼女は校門の前に達して、後を追いかけてくる僕の方にくるりと向いて、息を弾ませて叫ぶ。

「昔から嫌いだった。」

この一言で、彼女を追いかけたい意味は失われた。
僕は、全身に走る痛みを急に思い出し、薄れかかる意識の中で、パープーという豆腐屋のラッパの音を聞きながら、こう思う。

「やっぱり、豆腐の角で頭を打って死のう。」
揺れマニアへ 2003.5.4
雷、火事、オヤジと並んで恐れられているのが、地震。
そして、「ぐらっときたら、ほら地震!」という標語からも明らかなように地震の特徴は揺れること。

このように恐れられている地震の揺れをこよなく愛する人々がいる。それが、揺れマニア。

揺れマニアにとっての地震の揺れは、脳内のドーパミンをどくどくと発出させ、彼らにとめどない恍惚感をもたらすもの。

しかし、いかに地震列島ニッポンとはいえ、揺れマニアが一生のうちに体験する地震の数はそう多くはない。

そこで今日は、揺れマニアへの朗報だ。
名付けて、「いつでもどこでもユレユレマニア」。

ベタだ。非常にベタだ。

それはそれとして、地震の揺れの特徴は、P波、S波という速度の違う弾性波による時間差のある、そして、縦揺れ、横揺れという異なる揺れ方。

まず、地表にP波が到着して、どんと縦揺れが発生。その後、しばらくして、S波が到着し、どどどんと横揺れが発生する。
これが再現できれば、揺れマニアの脳内はドーパミンで溢れかえることとなるってことだ。

では、早速ご紹介しよう。

まず、垂直飛び。
着地後、一瞬、直立不動。
その後、おもむろに、激しく反復横飛び。

縦揺れを模して垂直飛び、横揺れを模して反復横飛び。
できれば、反復横飛び中に、「うわぁ きゃぁ」などの音声を入れるとよりリアルさが増すに違いない。

揺れマニアのための「いつでもどこでもユレユレマニア。」

これで、いつでもどこでも好きな場所で好きな時間に地震の揺れを体験できるとは思わないか。

さぁ、レッツ反復横飛び!(激しく)
用法上の兇器 2003.5.7
刑法には、凶器準備集合罪というものがあり、2人以上の者が他人の生命、身体又は財産に対して害を加えることを目的として、自ら兇器を準備し又はその準備があることをしって集まった場合には、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せられることが定められています。

ここで問題となるのが、兇器。
銃や刀など、そもそも殺傷用に作られたものは、当然兇器に該当しますが、例えば、バットなど、本来の用途は兇器ではないのに、使い方によっては殺傷に役立つものは、判例上、「用法上の兇器」と呼ばれています。

過去の判例では、バット以外にもアイスピックや角材などが用法上の兇器として認められているようですが、よくよく考えれば、使い方によっては殺傷に役立つものなんて、それこそ山のようにあるんじゃないかと思われます。

今、僕の目の前にあるものを見渡すと、省スペース型デスクトップPC、窓、ベッド、本、コーヒーカップ、洋服類などがありますが、どれをとっても、用法上の凶器になり得る可能性があります。

PC、窓、本、コーヒーカップ→叩きつける、投げつける
ベッド→すまき
洋服類→締め

ほら、立派に殺傷可能じゃないですか。

ですから、ありったけの洋服を着込み、背中にベッドを背負い、右手に窓、左手にPCを持ち、ポケットに本を入れ、口にコーヒーカップを加えた姿は、正に人間兇器と呼ぶにふさわしい姿であるといえます。

つーか、狂気と呼ぶにふさわしい姿であるともいえますが。
ライフサイクル仮説 2003.5.8
自分自身の今後の収入に対して、老後の生活、子弟の教育費、住宅の購入資金等の消費計画を考慮しつつ、現在の貯蓄が定まるという考え方をライフサイクル仮説といいます。

要するに、今後の毎月の給料や退職金がいくらくらいで、老後にいくら、子供にいくら、家の購入資金がいくらとある程度計算して、あーこれくらい貯めなきゃと人々が思うだろうって仮設です。

小さい 小さいよ ライフサイクル仮説。

宵越しの金なんぞ持たねーよとうそぶく江戸っ子はどうなるんだ。
先々の収入や消費を考えない刹那的な生き方を認めないというのか。

僕は、ライフサイクル仮説より、貯蓄はなくとも人間らしい生活を支持したい。理論じゃなく感情。これこそ人間だ。

ちなみに、宝くじを購入した瞬間に、既に3億円の使い道を考えるとともに、どうせ当るからという理由で、今現在の貯蓄を使い果たしてしまう僕は、見事にライフサイクル仮説を体現していると思う。

しかし、キリギリスな自分が悲しい。
隣人愛 2003.5.9
イエスは隣人愛こそ最も大切な戒めであるとこのように説いた。
「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」

つーか、今、僕の隣にいるのは殺人鬼なんですが。

イエスの教えを、僕は絶叫してみた。
「愛します、愛します、もう、めっちゃ愛します!!超ラブラブです!!」

「死ね。」

か、神よ・・・


ぽざまん
「猫型」には参った。最高だ。
山賊UNDERGROUND
パンダが好きだ。
ルールなき批判 2003.5.10
昨日の日記では、キリスト教を揶揄したような日記を書いてちょっと反省してます。
そこで、今日はキリスト教を褒め称えたいと思う。

キリスト教といえば、まずは、やはり歴史のあるカトリック。
是非とも、友人とともに最大限の敬意を示したい。

「キリスト教万歳!」
「キリスト教万歳!」

「カトリック万歳!」
「カトリック万歳!」

「ローマ法王万歳!」
「ローマ法王万歳!」

「バカチン万歳!」
「いや、バチカンだから」

「・・・ バカチン万歳!」
「バチカンだって!」

「・・・ バカチン!」
「ほんとに褒め称える気があるのか!」

「ない(あっさり)」
礼拝所不敬罪 2003.5.12
刑法第188条には、仏堂や墓所などで公然と不敬な行為を行った場合は、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処せられることが定められています。

要するに、お墓で不敬な行為をしてはいけないってことです。

ただ、何をすると不敬な行為に該当するかはよく分かりません。

モロ出し。
これはさすがに不敬な行為になると思われます。

横綱。
横綱がまわし一丁で、お墓で土俵入りをした場合は、不敬な行為とはならないような気がします。なんたって、横綱だし。

局部は論外として、それを除けば、モロ出しと横綱の違いは、おしりの割れ目が見えているか否か。

考えるに、おしりの割れ目が見えない格好が不敬罪にならないギリギリショットってことです。

誰か試してくれないかなぁ。僕は断然いやですが。
ロールモデル 2003.5.13
ロールモデルとは、「将来こんな人を目指したいなぁ。」という若い人にとっての目標となるような生き方のことを言い、以前読んだ雑誌の記事で、マイケル・ジョーダンは、常にこのロールモデルたらんことを意識していると書かれていました。

なら僕は、常にロールモデルとならない生き方を目指したい。

例えば、暴飲。
「おらー もっと酒もってこんかい!」と飲み屋で暴れてみる。

そして、暴打。
「1−3に有り金すべてぶちこんだる!」とギャンブルで金を使い果たす。

さらに、暴買。
「げへへ ねーちゃん ええなぁ。」と毎日のように女を買う。

飲む打つ買うの三拍子が派手にそろったクズなガイ。これなら絶対ロールモデルとはならないはずだ。


「にーちゃん きっぷええなぁ。ワシもにーちゃんの生き様を見習うわ。」

だめだ。クズのおっちゃんたちのロールモデルとなってしまった。
「笑いの考察」をやめて、「リピーター至上主義」2003.5.14
今日は、珍しく真面目に「笑い」について考えてみようと思ってました。

「笑いとは何か」、「笑いの分類」、「当サイトの目指す笑い」といったことについて、それはそれはマリアナ海溝やビチアス海淵なども及びつかないくらいの深さで考察し、「すげー頭いい!!」と賞賛され、鼻をしゅるしゅるしゅると伸ばしてやるぜーと考えてました。

でも、こういった考察って、きっとどこかのサイトで既にやられているはずなんですよね。何だか、僕自身もどこかで読んだ記憶もあるし。

だから、ここで書いても「二番煎じ!」とか「パクリ!」と罵られ、鼻がしゅるしゅるしゅると縮みそうなのでやめました。何より真面目に書くのは手間がかかるし。

い、いや、普段が、て、手抜きってわけじゃないですよ。もーめちゃめちゃ推敲してます。推敲しまくってます。

それはそれとして、「笑いの考察」に代わる今日のお題は「リピーター至上主義」。

サイト運営をしているなら、折角サイトにお越しくださった方々には、再度お越しいただき、リピーターになってほしいと考えるのが人情です。

では、リピーターを増やすためには何をすればよいか。
簡単に言えば、閲覧者のサイトに対する中毒性を高めればいい。

その中毒性を高めるための方策として、次のことを考えてみました。

○麻薬密売サイトに転身する。

→別の意味での閲覧者の中毒性が高まるだけで、サイトに対する中毒性が高まるわけではないので却下。というか、犯罪。

○トップページから閲覧者に対して後催眠をかける。

→閲覧者を「なぜかこのサイトのことが気になって仕方がない。あぁ、見ずにいられない。」という状態にさせるのには、非常に有効な方法です。
ただ、催眠術のかけ方を知らないのと、かける手段が見当たらないので却下。

○トップページにサブリミナル効果をもたせる。

→例えば、このサイトであれば、写真の代わりにフラッシュを置き、そのフラッシュの中に、閲覧者が意識されないレベルの長さで「秩序なき脳細胞」といった文字を忍ばせておく。

すると、閲覧者の脳に、本人が自覚しないうちに「秩序なき脳細胞」という言葉が刷り込まれるってことです。

あーこんなこと書くと本当にやる人が出てくる気がするな。

「結論に代えて」

面白いテキストを書こう!(とってつけたように)

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