「螺旋回廊」MY 続編 「悠久の螺旋」 〜その5〜
・・・・・。僕は・・・僕は・・・。
僕は目をつむり、心の中で何度もつぶやく。
・・・・・。
『・・・兄さん・・・、宏司兄さん・・・。』
その時僕はどうかしていたのだろうか・・・無意識のうちに兄の名を呼んでいた・・・。
『兄さん!?』
はっと我に返りもう一度呟く。
僕は“兄さん”といったのか・・・。兄さんを呼んだのか?
・・・・・。
僕にはわかっていた。僕が不利な時やどちらも選べない時、兄さんを呼んで兄さんに選んでもらう。
そして上手くいったら自分の選択の正しさを(兄さんに選んでもらったのだが・・・)確認し、上手くいかなかったら選択ミスや失敗を兄さんのせいにするんだ。
俗にいう“苦しいときの神頼み”ってやつだ。
僕の場合それが神様じゃなく、身近な支配者だった兄さんなだけなのだ・・・。
『よう! 祐司。相変わらず、うじうじ悩んでいるようだな。』
目に前に現れた少年が声をかけてきた。
僕にはわかっている。これは幻だ。僕の心が作り出した幻想なのだ。
『兄・・・さん・・・。』
なぜなら兄が死んだのは20年以上も前のことなのだから・・・。
だから僕のしっている兄はその時から止まっている。ずっと子供のころのままなのだ。
僕が大きくなって社会人になった今でも、出てくる兄の姿は子供のまま・・・。
といっても頻繁に出てくるようになったのは去年秋頃からだろうか・・・。
『まったく、情けない弟を持つと苦労するぜ。』
兄さんは僕のことなどおかまいなしに、“やれやれ”といった表情で話しかける。
『僕は兄さんなんか呼んでいない!』
・・・嘘だ。それでも僕は精一杯強がってみせる。
しかし、兄さんにはそれがお見通しのようだ。悪戯っぽい笑顔で答える。
『おいおい、そりゃーないだろう。俺はおまえが呼んだからわざわざ出てきてやったっていうのに・・・。俺様は弟思いなんだぜ。』
『僕は別に・・・・・。』
次の言葉が見当たらない。なんて答えていいのかわからない。
しかし兄はかまわず続ける。
『で、今回は何で悩んでいるんだ? 答えはもう決まっているだろう?』
兄さんはいきなり確信をついてきた。
なぜ僕が悩んでいるか、何で悩んでいるかも兄さんに説明する必要はない。
なぜなら兄さんは僕が知っていることは何でも知っている。
それはそうだ、兄さんはぼくが作り出した・・・。
『答えはもう決まっている。しかし、おまえはそれを認めるのが恐いんだろう?』
・・・・・。僕は答えられない。
『しかたないなー・・・。こいつの言ってることは正しいい。おまえの知っている女はもういない。いるのは変わり果てたメスブタだ。言葉でどう言い繕うとそれは事実だ。それはお前も認めているんだろう?』
そうはっきりいわれると言葉が出ないが、もう・・・昔の葵くんは・・・もういない・・・。
『だったら、答えはもう決まっているんだろう?』
兄さんは同じことを言う。・・・そう・・・答えは・・・。
しかし、それを認めることは・・・。
『祐司。おまえは・・・俺と同じだ。』
・・・・・突然の兄の言葉に僕は絶句する。
『だってそうだろう? 俺もお前も同じ父と母という名の男と女の“子”として・・・同じ穴から生まれ・・・同じ場所、同じ環境、同じ社会で育ってきたんだ。』
・・・・・。
『同じように成長する(できる)んだよ。兄弟だから当然だって、な? 認めろ。そうすれば楽になれる。』
・・・・・。
『・・・・・違う・・・・・、僕は兄さんとは違う!
僕は兄さんみたく暴力をふるい、人を縛り付け、支配するようなことはしてない!
そう! なにもかも正反対だ!』
僕は叫んだ。心の中で思いっきり叫んだ。
僕は兄さんとは違う。同じなはずがないんだ!
しかし、兄さんは冷静だ。見ると笑っている。
『くっくっくっく。なんだ、そんなことか。』
そんなこと?
『おまえは俺のことが嫌いだった。だから俺と正反対のことをしてたまでだ。 違うかい?』
・・・・・。
『たまたま俺が先に生まれた。だから俺が支配者になった。俺は早く生まれた分、早く自分に気付いた・・・おまえが自分に気付く前にだ! だからおまえは俺に従うしかなかった。』
僕は呆然とする。認めているわけではないのだが・・・。
『おまえが先に生まれていればおまえが支配者になったさ。 なんてったって俺たちは血をわけた兄弟なんだからな。』
・・・・・。
『兄は悪。自分は善。 兄は異常。自分は正常・・・。おまえは俺の正反対のことをしていれば良かった。そうすることで、自分の存在意義を確認できた・・・。楽だったろう?』
兄さんの野卑な笑いが僕の頭の中にこだまする。
『だが、俺を殺したせいで比べるものがなくなってしまった・・・。』
『僕は兄さんを殺していない! 僕はずっと離れたところで、兄さんに言われたとおり実験をしていたんだ。殺せるわけがない!』
『・・・・・。それも忘れていればよかったのにな・・・。』
兄さんは哀れむような目で僕を見つめる。
『俺を殺したせいで比べるものがなくなってしまった。だから自分がわからなくなった。今までは俺の正反対のことをしてれば良かった。それで正しかった。だが、俺がいなくなって自分が考えた正しい行いをしても、本当にそれが正しいことなのかわからなくなってしまった。』
『ち・違う・・・。』
『ふっ・・・・・動揺したな、認めている証拠だ。』
『認めてなんか・・・』
『おまえには俺が必要なのさ。だからおまえの中には俺が生きている。あの日から俺は、おまえの中に生きている。』
・・・・・。
『そして気付いてしまった。今の自分がもしかしたら俺の成長した姿かもしれないということに・・・』
『・・・・・!』
僕は思わず息を呑み、兄さんを見つめる。
兄さんはこちらに歩いてきて、顔を近づける。
『おまえの裏の顔は俺。そして気付きつつある本来のおまえだ。おまえが表だと思っていたのは・・・』
一瞬だけ言葉を切ったあと、
『うすっっっっっっぺらい紙切れなんだよ!』
僕は声がでない。反論できない。それは認めているということなのだろうか?
僕は兄さんで、僕が僕と思っていたのは・・・
『祐司、結局基準なんてないんだ。自分がそうであればそれでいいだ・・・。』
一転して兄さんは優しい口調となる。
ああ、いつもの兄さんだ。
殴ったり、蹴ったり、罵倒したり・・・そしてみんなは許しを乞う。
その時の兄さんの笑顔・・・誰も・・・さからえない・・・笑顔・・・。
『そしてそれを、自分の大事な人が求めてくれれば・・・認めてくれればそれでいいんだろ?』
・・・・・。
あれが・・・あの扱いが彼女の不幸でもあって幸せでもあって・・・、不幸を拭い去れば幸せも消える・・・
あんな異常なことが・・・葵くんにとってそういうものだというのか・・・?
葵くんは既にそこまで・・・?
認めたくはない・・・事実。
僕がここで天野くんや紫苑になれば、彼女は僕についてくるだろう。
だが僕にそんなことができるのか?
葵くんに対し、あんな酷いことが出来るのか?
それじゃーなんのために彼女を・・・?
葵くんのため? 自分のため?
いったいなんのために・・・。
・・・・・だが・・・・・。
くそっ! 葵くんが幸せでいるためには、紫苑のような存在が必要だというのか!?
あんな男に葵くんを渡しておいていいのか!?
天野くんがそうしたように ペットにして好きなように抱く。
そうやって性欲を満足させる。
もしくは紫苑がしたように人に渡したくないから縛りつける。人を自分の思い通りにする。
そして自分を満足させる。優越感にひたる。
・・・・・兄さんは・・・僕が兄さんと同じだといった。
それなら僕にだってできるだろう?
天野くんや紫苑を超えるくらい、きっと造作もないことだろう・・・。
僕がそれを心から望みさえすれば・・・。
結局基準なんてないんだ。僕がそうであればそれでいい。
・・・・・。
そして葵くんがそれを求めて・・・認めてくれればそれでいい。
本当の僕を知るのは、ごく一部の人間だ。
そしてそのごく一部の人間はそんな僕を異常だとは思わない。
いや、むしろ必要とさえするだろう・・・そんな人間ばかりだ。
そして大多数の他の人間は僕の薄っぺらな表の顔を見ていればいい。
それで・・・。
『くっくっく・・・ようやく素直になったな。』
心の中で兄さんが笑っている。
兄さんは異常、僕は兄さんとは違う・・・そう勝手におもうことで「自分」というものを保ってきた。
これからはそれじゃだめだ。
僕は僕の本心に素直にならなければいけないんだ。
彼女には・・・葵くんには・・・、僕がずっと封印しつづけた本心こそが必要だ。
僕も素直になって、葵くんも素直になって・・・
はははは・・・
万事上手くいくじゃないか・・・
いままでいったい何を悩んでいたんだ・・・。
僕は自然と顔がほくろむ。
『わかったよ・・・兄さん・・・。』
僕は顔を上げ、兄さんを見ながら言った。兄さんは笑っていた。
兄さんはその言葉をまっていたのだろうか?
ゆっくり振り向くと後ろ向きに手を振りながら僕と反対方向へと歩いて行く。
兄さんの後姿は満足そうだった・・・。
ふと見ると天野くんは何本目かのたばこに火をつけていた。
そんな天野くんと目があう。
「考えはまとまりましたか? 先生?」
ふ〜とたばこの煙を吐きながらそういった。
僕は時計の針を見る・・・そんなにたってはないな・・・
「葵くんは葵くんだ、それ以上でもそれ以下でもない。取られたから取り返す。ただそれだけさ・・・。」
天野くんは最初、僕の言葉にがっかりした様子だったが、言葉の口調と僕の表情を見て察したようだ。
「・・・・・そうですか・・・それじゃー俺はこの辺で失礼させていただきますよ。まあ、来たかいがあったってもんですよ。」
天野くんはそういうとソファーから立ち上がりドアへと向かっていった。
「天野くん・・・期待していいんだろう?」
・・・・・。
天野くんは僕の顔を睨むように
「ええ・・・期待していてくださいよ・・・・・。」
そういうと天野くんはドアの向こうへと消えた。
外はまだ、蝉の泣き声が聞こえている・・・。
続く。