[Lost Paradise」

佐伯祐司 第五章 「螺旋







血だらけの葵くんの形をしたそれ・・・。

いや、形だけじゃない。服装や顔だけではない。

その声も、仕草も葵くんなのだ。

ただ、心の色が残酷なまでに違っている。

葵くんのさわやかさを感じさせる明るい心、思わず、微笑を誘われる健気さ。

それらすべての美徳が、裏返ったかのようにそいつは残忍で狂った顔をしていた。



「ショーの始まりとはどういうことかな…」

僕は自分に落ち着くように言い聞かせて、そう言う。

すると、そいつは口の両端を持ち上げて笑う。

悪魔のような、山姥のような笑いだった。

くんの姿をなすものには・・・許されない笑いだった。

そいつの顔の血は乾き…無残な、どす黒い紫色をした醜悪さを感じさせた。

いや、それはそいつの表情のせいだったのかもしれない。



「こういうことですよ、佐伯先生」

そいつは教室の教壇の下に行くと、何か…いや、誰かを引っぱり出した。

「きゃっ……」

その声は……………

僕の心は激しく動揺した。

それは驚きと期待を伴ったものであったのかもしれない。

(…葵くんだ)

しかしその姿は……金髪の・・・フランス人形のようだった・・・。



「紹介しますよ、先生。」

葵くんの姿をしたそいつは、金髪の女性を小突く。

金髪の女性は…伏目がちだったが……ちらと僕のほうを見ると…

…僕から視線を離せなくなったまま、驚愕の表情で固まった。

(葵くんだ…)

その時、僕の心に確信が走った。

どうしてそんな姿をしているのか?

誰がそんな格好にさせたのか?

どういう目的でそうさせたのか?

そういうことが、僕の頭からは完全に消え去っていた。

ただ、あるのは…・・・・・・・・・再び、葵くんに会えた喜び。

いや、再び葵くんの姿を見れた喜びだけだった。



いままでどうしていたんだい?

大学にはたまにはきていたのかい?

身体のほうはもう大丈夫なのかい?

ずっと家にいたのかい?



僕はそれらを言葉にする事は出来なかった。

ただただ、そう目で訴えかけただけだ。

その金髪の女性は…涙こそ流さないものの・・・・・・

泣き笑いのような表情をしていた。

時折、しゃくりをするように、嗚咽のような息をする。

……時折、垣間見える虚ろな目が気になったが、喜びと期待はそれより更に大きかった。

葵くんだ……

(葵くん………)

僕は無意識のうちに彼女に近づこうとしていた。



「名前を言わなけりゃ、失礼じゃないか…」

その言葉が僕と金髪の女性の間をさえぎった。

僕の動きがぴたりと止まる。

僕は金髪の彼女のほうに注目した。

言われなくても、もうわかっている。

葵くんなんだ。この女性は。

少なくても、葵くんの姿をしたこの人物とは、心の色の違いでわかる。

(葵くんだろ…)

(葵くん、・・・葵くんだと言ってくれ)

僕はそれでも期待した。本人の口からそう言ってほしかった。

葵くんの口からも、その確信が欲しかったのかもしれない。

「私は………」

僕はその期待を込めた目をその女性に向けた

「私は………」

(葵くんだ…………)

ふと……本当にふと僕の心に疑念が舞い起こる。

それはこの女性の姿を見たときに、ほんの少しだけ生まれた疑惑…。

あまりにも大きな衝撃と期待と驚愕によって打ち消された感情。



何故……こんな格好をしているのかという疑念。

何故、金髪なのか。

そして、何故、そんな派手な格好に身を包んでいるのか。

そこに現れた葵くんは…本当にまるでフランス人形のようだった。

そう。 女性の細やかさとかを知らない、幼稚で無知な男が考え出した女性像のような…。

そんな格好を葵くんはしていた。

「私は……アクアです」

この時、僕の周りの人間を全て巻き込んだ、延々と続く、螺旋の回廊・・・

その最後のステージに上がったような気が・・・僕はしたんだ。



「………………」

その金髪の女性のつぶやきに、僕は動揺する。

まったく予想外の答え。理解できない答え。

「アクア…………? 」

「そうです……私はアクアです……」

何を言っているのか良くわからない。

アクアとは一体なんだろうか……。

そんなことよりも、僕が望む答えをいって欲しい。

「君は……葵くんだろ?」

そう。僕にはわかる。

今度こそ、間違いがない。

目を表情を見れば、それとわかる。

どういう理由か……もう一人の葵君の姿をした魔物のような人物も、葵君の声を雰囲気を持っていたが……。

心の色がまるで違った。

あんな表情も行動も、葵君にはできないことだ。

そう、葵くんなら、例え、どんなに追い詰められたって出来はしない。

きっと、その前に壊れてしまうと思う。

僕の知っている葵くんはそういう人だった。



「葵くん……葵くんと言ってくれ! 」

「私は……アクアです」

その金髪の女性は、何かを押し殺すようにそう言った。

「先生……この女性はアクアと名乗っているんですよ」

往生際の悪い…そういう目つきで葵くんの姿をしたものは言う。

「………そして、僕の……」

葵くんの姿をしたやつは…金髪の女性の肩に手を回すと…

無理やり、顔を自分のほうに向ける。

「……ものです」

そいつの葵くんの顔が邪悪に歪む。

にやりと笑うと、金髪の女性の唇をくわえた。



「やめろ!」 僕は思わず叫んでいた。

葵君が……目の前で蹂躙されている。

そんな気持ちになったのだ。

いや、葵くんはむしろ加害者のほうなのか…。

そいつのもつ容姿が…声が、僕の心を動揺させる。

葵くんではない。

そういう確信があっても、現実に現れている姿形が、それを証明することを裏切っている。

それが僕の混乱の原因だった。

葵くんの容姿をしたものが…葵くんのような心と瞳をもった女性を蹂躙している。



そいつはまだ、葵くんの・・・金髪の女性の唇を吸っている。

そして、僕に見せつけるように、唾液の糸をたらしながら、その女性から口を離す。

その目は僕を嘲笑していた。

金髪の女性の目は虚ろになっていて、ほんの少し頬が紅潮していた。

その二人は…まるで葵くんの心と器が2つに分離したようだった。

器は二つ。 心も二つ。

そのそれぞれが分離して、違った属性のそれと合体してしまったかのような雰囲気…。

まったく正反対の心と器が。

例えるなら、女神と蛇女の心が入れ替わったような…そんな雰囲気。



もし、金髪の女性が葵くんの姿をしたもののような邪悪さを放っていたら、僕は納得していたに違いない。

そして、葵くんの姿をしたものが…この金髪の女性だったら…

僕はその姿を想像して心に浮かべる。

(……………間違いない) そう思う。

それは葵くんだった。

今、葵くんの姿をしている女性が何者なのかはわからないが、

だけど、金髪の女性はやはり間違いなく葵くんだと思う。



「先生……このひとはね…自ら望んでこの姿になったんですよ」

そいつが言う。

「………? どういうことだ」

「どういうことも何も、そういうことですよ」

(多くは語らないという事か……)

「聞き覚えはありますよね…アクアという名前に…」

(………?) 僕はふっと首をかしげた。

「平仮名で、『あくあ』と言ったほうが印象に残っているかな…」

「?……………あっ!!……」

(そうだ………それは……確か……)

「さすが先生……気づきましたね。」

(葵くんの………)

「そう……、水代 葵のハンドルネームですよ」

(そうだ……HPの名前だ……あくあのHP)

「?!………ということは、やはり葵くんなんだな!」

認めるようなものだ。

「それは違います。この女性はアクア…なんですから」

そいつの顔が邪悪に歪む。

(何かを………企んでいるのか……)

そいつは明らかに困惑する僕を楽しんでした。



それにしても……と思う。

EDEN……葵くんのHP……電子メール……

今度のことには、パソコンが深く関わっている。

こんなことなら、あらかじめ本気で勉強しておけばよかった…

そんな気持ちが僕の中に生まれる。

そうすれば、EDENの居所を突き詰めて、葵くんを救うことが出来たかもしれない。

(二の轍は踏まないさ……)

僕はそう決意した目で、葵くんの姿をしたものを睨む。



「それなら、君は誰なんだ? 」

ごくりと唾を飲む。

(……?) そう言ってから、ふと違和感を覚える。

そういえば、さっきなんか言ってなかったか……。

確か……自分の事を……・・

(そうだ……)

(確か………僕と言った)

「君は………男なのか……? 」

僕がそう言うと、そいつの笑みが、掻き消えた。



「………………………」

何の感情もこもっていないような目で、そいつは僕を見つめる。

「どうして、そう思うんですか…? 」

僕はそいつを睨み返す。

「さっき、…君は、確かに自分の事を僕と言った」

「……………………ふっ」

「はははは、そうでしたか」

葵くんの姿をしたそいつは、頭を抱えて笑った。

「男なんだろ……? 」 

僕が更にそう言うと、そいつは笑うのをぴたりと止める。

「ふふっ、そうですよ。僕は男です」

………じゃあ、誰なんだ……。

あまりにも葵くんに似た雰囲気…声…。

傷付いてはいるけど…恐らく…顔のほうも似ていると思う…。

血の方はとうに乾き、顔にぱりぱりとした浅黒い色合いをつけている。

無残で無気味な姿だった。

葵くんに似た存在が、ここまでひどいものである事が僕には絶えられなかった。



「でも、今の僕は違います」

「今の僕は………水代 葵です」

「何を馬鹿のことを言っているんだ」

僕は吐き捨てるように言った。

しかし、そいつは意外そうな目を僕に返してくる。

「………本当ですよ、先生」

「僕は身も心も葵になったんです」

金髪の女性の顔を自分のほうに強引に向ける。

「葵とひとつで同一の存在になるために…」



「先生は今の僕のこの姿を見て、葵を感じませんか? 」

葵くんと同じ声でそういう。

「感じるでしょう? 僕たちは姉弟ですからね」

(!!?)

「一緒なんですよ。流れているものが」

(…姉弟…………)

「だから、僕と姉さんは同じなんです」

「その気になれば一緒の存在になれるんですよ」

僕は愕然とした。

まさか…………想像もしなかった。

葵君にほかに姉妹はいなかったはずだ……。



「すると………君は……まさか………」

人当たりのいい、葵君の自慢の……

「そうですよ……先生…・・・・・」

一息のむ。 自分が唾を飲み込む音が聞こえる。

「・・・・僕は・・・・・・水代 紫苑です」

「ば………ば……かな………」

僕は恥も外聞も忘れて、うろたえた。

うろたえてしまうに決まっている。

目の前の葵くんに似た…この人物があの紫苑くんだと言うのだ。

何よりも……何故という気持ちが強い。



そうだ……何故、紫苑くんなんだ……

何故、紫苑くんがこんな所にいて…葵くんの姿をしている。

何故、こんな事をしているんだ…。

何故、葵くんを騙る…

葵くんの事で何かを知っているのか?

なぜ? ……EDENと関係があるのか?

君の大事な姉さんから、女性としての純潔と、人並みの生活さえも奪ったEDENと…。

僕には何がなんだかわからなかった…。



葵くんの姿をした紫苑くんはそんな僕を見て、ほくそえむと、更なる追い討ちをかける。

「僕はね…先生……。先生が許せなかったんですよ」

「僕はずっと姉さんの事が好きでした」

「姉さんは僕のことを大事に思ってくれていた………」

紫苑くんは、ふっと目を細める。

彼の繊細さがほのかに見えたような気がした。

「だから、僕も姉さんにとって必要な人間でいたい。そう思いました」

「必要不可欠な存在でいたい。そう思うようになりました」

「ですが……姉さんは僕が、まるでいなかったかのように、あなたに心を向けた」

「………最初はそれが自然な事だと思っていましたが…」

「だけど………やはり・・・・・・姉さんは…誰にも渡したくはない。」

「姉さんの笑う顔は、僕には向けられないものなんて…やっぱり耐えられる事じゃありませんから」



「君は……」

僕は正直、戸惑っていた。

まさか、あの紫苑くんがにここまでの感情を持っていたとは…

そこまで葵くんの事を慕っていたとは…。

それも質としては、異常という物ではない。

普通の…弟として姉を慕う気持ち……それが少し大きいだけのような…そんな気持ちなのだ。

心理学を勉強していても……

…本当は、僕は人の心の事は何も分かっていないのだという敗北感に打ちのめされる。

それは学問に従事してきたものとしての恥だった。



「だから……あなたに教えてあげますよ」

僕は思わずひるんでしまう。

「水代 葵を………姉さんを受け入れられるのは、僕だけだということをね」

決意に満ちた目…それは狂気などではなく…むしろ…

実の姉に向けられた…思慕そのものなのかもしれない。

「あなたは無理して背伸びしていた姉さんに幻想を持っていただけなんですよ」

「あなたは…姉さんがあなたのために、背伸びしていた事を知っていましたか?」

「そんな姉さんを、あなたは想えたんですか?」

次々と、僕にまくし立てられる紫苑君の言葉。

僕はその感情の奔流に、今にも流されてしまいそうだった。



「今からあなたに教えてあげますよ。姉さんのとてつもなく、みっともない姿をね…」

「その姿を見て、あなたが姉さんの事を想う気持ちが残っているかどうか…」

「非常に楽しみですよ…ふふっ」

それは、悪魔的な形相といっていいのだろうか…

そこにいる紫苑くんは、間違いなく紫苑くんだったが……

それが人間の一面だとしたら…空恐ろしい事だと思った。

彼は……僕を苦しめる事を…恐らくは…喜んでいるのだ。

そう理解するほかなかった。



それにしても、まだわからないことが多すぎる。

ならばなぜ、紫苑くんは葵くんの格好をしている。

葵くんはなぜ、そんな変装をさせられている。

そうだ。 何よりもまず…この金髪の女性が本当に葵君なのか…正さなくては…。

「すると、やはりこの人は葵君なんだな…」

「……………」

彼は何も答えようとしない。

僕はかまわず次々と疑問を口にした。

「何故、アクアと名乗らせるんだ」

「何故、君が葵くんの姿をしているんだ」

「何故、葵くんが変装させられているんだ」

「それがEDENの……意志なのか……?」

「………違いますよ」

最後の質問にだけ答えが返った。



「今度のことにEDENは関係ありません」

「これは僕の独断ですよ。EDENはもう利用価値がなくなりました」

そこまで言って、紫苑くんは椅子に座る。

「ふぅ……やはりね。他人に任すべきじゃなかったんじゃないかと思いますよ」

「本当に僕の望むようにはなっていないのですから……」

「どういうことだ……」

「やだなぁ……まだ気づかないんですか?EDENに遊びの依頼をしたのは僕なんですよ」

「?!!」

「姉さんを僕のものにするようにね……」

「!?」



…………僕は一瞬耳を疑った。

僕は今まで、EDENが全ての行動の主体だと思っていた。

紫苑くんはそれに巻き込まれ…あるいは不本意ながらも参加していたのだと…。

そこまでの考えしかもてなかった。

最悪…紫苑くんが自発的にEDENに参加していたとしても…。

だけど…彼のいっていることが本当だとすれば…それは…

「僕が全ての元凶ってことですよ…・くっくっくっ」

彼はおかしそうに笑う。



「先生は…自分の欲しいものがどうすれば自分のものになるか知ってますか? 」

「自分がどうしても望み・・・、かつ必要なものが、決して手に入らないものだとすれば…」

急に何を言い出すのだろうか・・・・・・。

「それが物ならどうするかは知れません。でも…人なら…それができるんですよ」

「自分がその人になればいいんですよ」

(?!どういうことだ・・・・・・)

「僕にはそれが可能でした。姉さんと瓜二つの容貌を持つ僕なら…」

「先輩はそう僕に教えてくれた……」

紫苑くんは何かに取り付かれたように遠い目をする…。

「僕は先輩にそう教えてもらったんですよ」

(??先輩??)

彼のいうことにはわからないことが多すぎた・・・。

だが・・・・・・何となくだが・・・・・・わかることがある。

彼は・・・葵くんの姿を持つ事で・・・葵くんとの一体感を得ようとしたのだろうか・・・。



「先輩には感謝しています。姉さんとして僕を見てくれていたんですから…」

「やはり姉さんは誰からも憧れられるような人なんです」

………何ていったらいいのだろう…。

羨望…嫉妬…愛情…思慕…そんな言いようのない、やるせない、

説明のしようのない、どろどろした感情が彼の中にくすぶっていて………

それが……彼自身を飲み込んでしまったのではないか…

そんな気が僕にはした。 何にせよ…

(今の彼は危険だ) 

そのことだけは僕にはわかった。

彼は暴走している…。



EDENに……彼が遊びを依頼した。

…あのメンバーのうちの一人…

「ユカリですよ……僕は…」

(?!!ユ・・・カ…・・・リ・・・)

・・・・・・聞いたことがある・・・。

確か・・・そうだ!!確かに遊びを依頼していたメンバーだ・・・。

それが・・・・・・彼なのか・・・・・・。

「そして・・・今の姉さんの格好が…ユカリの姿…」

「僕だけが姉さんの姿に近づいたんじゃ、不公平ってもんでしょう?」

「やはり、姉さんも僕に近づいてくれなきゃあ」

かつらで良くは見えなかったが・・・その言葉を聞いて、

葵くんの表情が・・・心なしか・・・とても悲痛なものに見えたような気が僕にはした。

「でも、姉さんがユカリじゃおかしいでしょう? ユカリは紫なんですから」

「だからアクアなんですよ、あははは」

………壊れている………。

彼の精神はもう破綻してしまっているのかもしれない。

自分自身で作ってしまった負荷のために…

彼はもう、自分を保つ事ができないのかもしれない…。

大体…自分の顔に傷つけることさえ、すでに異常じゃないか…。

僕は人の心が底なしになった時の恐怖を……このとき覚えた。



「さて……始めましょうか……こっちへ四つん這いになるんだ…姉さん…」

金髪のかつらをつけた葵くんが…身体を竦ませる。

三角関係…ですらない……この奇妙で、救いようのない宴は、今、始まったばかりだった。







Lost Paradise」

佐伯祐司 第五章 「螺旋」