「Lost paradise」
佐伯祐司 第三章 「邂逅」
僕は流れる汗もそのままに…
収まったばかりの動悸も再び早鐘を打ち出す。
そこにいたのは黒髪の女性…。
背が…髪型が・・・雰囲気が…服装が…。
葵くんそのものだった。
(……葵くんだ。)
葵くんでしかなかった。
この大学で、この服装で、こんな雰囲気を持っているのは葵くんでなければいけなかった。
「葵くん……。」
僕が呼びかけると、その黒髪の女性は、びくっと反応した。
「葵くんだろ・・・・・・?」
「……………………」 その女性は何もいわない。
「葵くん………………葵くん……。」 僕は自分の発する言葉を確認するように呼びかける。
僕は、はやる気持ちを押さえつけると、言葉する。
「今まで、どうしていたんだい?」
「……………………」
「あ、いや、そんなことはどうでもいいんだ。ははっ。」
僕は思わず、鼻の頭を掻く。
この場面に不釣合いなほど、この部屋は鉄の香りがする…。
それほど寂れた校舎……そこに僕たちはいた。
「……………………」
「……待っていた………。ずっと待っていたよ、葵くん。」
「………………ぅっ……」
少し……嗚咽のような声が聞こえた…。
その声も……尚更、葵くんだと思う…。
いい……どんなに変わっていても…。
前のような明るい葵君に戻れなくてもいいんだ……。
葵くんが僕の前にいてくれるのなら…。
僕が……いつかきっと…時間はかかっても、葵くんを…
「ずっと待っていたんだ。君が帰ってくるのを・・・。」
「………………ぅぅっ……」
ほとんど聞こえないような、か細い声………。
「この大学で、ずっと…。いつもの生活で……。」
「……………ぐすっ……。」
「いつでも帰ってきていいんだ。葵くんがそれを望むなら。」
「………………………ぅぐっ…………・…・。」
「例え………桧山君や……草薙先生…その他の誰もいなくなっても……僕が待っているよ、葵くん。」
葵くんの肩が震えている…………。
「せ………んせい…………」
僕にはそんな葵くんを放っておくことはできなかった。
できるわけがなかった。
僕は葵くんに近づくと、背後から、そっ……と抱きしめた。
葵くんの今にも折れそうな心を壊さないように……
羽毛を抱くように……。
「せんせい………」
「葵くん………」
「せんせい……は私がどうなっても……」
「………………………」
その先の言葉はわかっていた。
そして僕の応えも、もう決まっているんだ。
「私が………こんなになっていても……」
「葵くん……………いいんだ。」
「でも私は………」
「いいんだよ、葵くん。君がどうかわろうが、葵君は葵君なんだ。」
「……………………………・」
僕はそんな葵くんにふっと笑いかける。
「…なら、僕は君を受け入れるよ。」
僕は今、きっととてもやさしい顔をしているのだろう。
そして、それを喜んでいる自分を感じた。
自分の大事な人にそういう顔を向けられる自分を誇りに思った。
「……せ………………」
「もっとも、君がそれを許してくれたらの話だけどね。」
葵くんの言葉をさえぎって、そう笑いかける。
「せんせい………」
葵くんはそういうと、そっと葵くんの体にかけられた僕の手を外し……
すっ……と僕の腕からすべり抜けた。
葵くんはうつむいていた。
何かに耐えるように…。
僕はそんな葵くんを微笑ましく見ていた。
砂時計の砂が尽きるほどの…時間がたった。
葵くんは何かを決心したように……ゆっくりこちらを向いた…。
そして、ゆっくりと顔を上げる……。
きっと……僕の顔は……スローモーションのように…
…笑顔から、驚愕のそれへと変わっていったのだろう。
そこにいるのは葵くんだった……。
そう……、そしてその顔は……
…血にまみれていた………。
縦横に……幾数もの…傷があった。
「あ…・…あ………葵………く……。」
「せんせい……………。」
「Lost paradise」
佐伯祐司 第三章 「邂逅」
完