Lost Paradise

佐伯祐司 第10章 「制 裁」







気づいていないと思う。

ここにいる皆が…。

もはやここにいる誰しもが、狂ってしまったということに。



紫苑くんは高らかに笑って、葵くんの尻を犯している。

葵くんは、眼を虚ろにして、床によだれをたらしている。

そして僕は……ナニヲシテイルンダロウ。

目の前には葵くんがいた。 イヤ、アレハシオンクンダ。

高らかに笑っていた。 イヤ、アレハシオンクンダ。

とても醜悪に笑っていた。 イヤ、アレハシオンクンダ。

葵くんはあんな顔をしてはいけない。 アオイクンハ、アンナカオヲシテハイケナイ。

それだけが一致した。

僕は……自分でも気づかないうちに、床に光る何かを手にしていた。



次の瞬間、赤い花びらが舞った。

それに続いて、呻き声が聞こえてきた。

「あがぁ!!!!」 葵くんの声色。

でも、葵くんの声じゃない。

それは狂った葵くんの呻き声だった。

アオイクンハ、ソンナカオヲシテハイケナイ。

だから僕は。



そいつがこちらの方を振り向く。

すさまじい形相。 悪魔のような形相。

すでに乾いた血が、一層、凄みを与える。

その直後、ふっ、とそいつの顔が緩んだ。

まるで、糸が切れた人形のように。

全ての憎しみを出して、力尽きたかのように。

葵くんの声と顔を持った、その怪物は葵君に覆い被さるように倒れた。

葵くんに突き刺していた欲望の化身と共に。

よくみれば、それはどこにでもいる、少し身体の小さな高校生だった。

「紫苑……くん」

そう、彼は紫苑くんだった。 葵くんの弟。

そして…葵くんは……



僕は驚く。 葵くんの目の色が戻りつつあった。

背中に覆い被さる異変に気づいた。

葵くんは、そっ…と背中をかえりみた。

そこには何の表情も持たない弟の姿があった。

「し……しおん……?」

葵くんは僕を見る。

でも…そこには僕の姿は映っていなかったに違いない。

後で考えると……それが、少し…寂しかったような気がする。

「しおん……」

葵くんは彼に呼びかける。

しかし、返事はない。

「しおん?!」



「しおん?!しおん?!」

彼の異変に気づいたのだろう。

紫苑くんに必死で呼びかける。

「どうしたの?紫苑! 返事をして! 紫苑!!」

葵くんが必死で紫苑君を揺さぶる。

そして、僕のほうを見た。

「せんせい?」

今度は僕を認識していた。

「せんせい? どうしよう。 紫苑が…紫苑が動かないの…」

「助けて…お願い、助けて、せんせい! 紫苑を助けて!!! 」

僕の手には、赤く染まったナイフが握られていた。

それが、床に音を立てて落ちた。



「……動かさない方がいい」

僕は、ようやくその言葉だけを搾り出した。

僕を正気に戻したのは、きっと葵くんの願いだったのだと思う。

この結果を生み出したのは、他ならぬ僕だ。

でも、僕はその罪悪感に不思議と縛られる事はなかった。

すぐ、行動に出られた。 紫苑くんを救うために。

側にあった携帯

…と、その時その携帯が鳴った。

「はい」

僕は一瞬の躊躇の後、その携帯に出た。

「やってくれたな…せんせい」

それは……地獄からの掛け声だった。

「天野だよ。 あ〜あ、せっかくの楽しみをぶち壊してくれちゃって。」

僕は恐れた。 EDENへの扉が再び僕たちを襲おうとしている。

でも、今は…

「あ……まの…。 天野か…頼む!救急車を呼んでくれ! 紫苑君が大変なんだ!!」

「心配しなくても、もう呼んだっつーの 」

「WebMasterは遊びの主催者が、こんな形で死ぬ事を望みはしないからな 」

「最優先事項って奴だよ 」

「あ〜あ、おい香乃、これまでだ。 続きはビデオでも見てやろうぜ 」

その言葉は、一瞬、僕の心を止めた。

人間の手とは…なんと小さいのだろう。

決して全ての人間を救う事は出来ないのだ。

それが自分の親しい人であっても。

でも、今は…。

救う事ができるかもしれない人のために、僕は全力を尽くす必要があった。



僕は、一瞬の躊躇の後、行動に出た。

まずは、紫苑くんのできるだけ出血を止める必要があった。

葵くんの手を借りて、彼の腰の傷口を縛った。

「お願い…紫苑…死なないで…」

葵くんが彼を抱きしめて、言う。



そして、僕は次にすべき事を考える。

EDENの存在は知られてはいけない。

また、今日、この日、ここであったことも、誰にも知られてはいけない。

本能がそう囁いていた。

もし、少しでも、それが明らかになれば、彼らはその証拠もろとも、

自分達を切り離しにかかるだろう。

葵くんと紫苑くんを守るためにも、そうしなければいけない。

僕は、とりあえず、紫苑くんをおぶさり、この場所から動く事を考えた。

「………ついてくるんだ、葵くん。 ここにいてはいけない 」

葵くんは泣きながら、こくこくとうなづいた。



僕たちは、この場所から出る。

ぽっかりと空いたEDENの扉から。

この先の事は保証しない。 EDENからの報復が待っているかもしれない。

楽園から背を向ける事は、罪なのかもしれない。

人が欲望から背を向けることは、それからの報復を受けるのかもしれない。

しかし、僕が僕のなすべきことをするためには、ここから出る必要があった。

一瞬、僕はこの教室を振り返る。

そして、二度と振り返ることなく、そこから出た。







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佐伯祐司 第10章 「制 裁」