達 磨

顔のルーツは?
  達磨というと張子のダルマの顔を思い出すが、絵の顔は何が元になっているのか?
 もとより写真などあるわけが無く(肖像権もない?)、思い思いに描いているのだが、それでもルールが存在しているようだ。

画題としての達磨
 有名どころは下記あたりか? 
  @面壁達磨図
  A恵可断臂図
  B芦葉達磨(ろようだるま) (葦葉達磨(あしばだるま)、渡江達磨)
  C隻履達磨図(せきりだるま)

 これ以外に多く描かれているのは上半身の達磨像でそれこそ沢山ある。
 オークション等で手が届く範囲のものを集めたのがこのHPなので、じっくり「にらめっこ」をしていただければと思う。



それでは、「にらめっこ」を始めてください。


@

A

B未表装

D

C未表装

E絹本、目に汚れ

F

G

I未表装

J未表装

・サンタのようなヒゲ

H

K竹に彫られた達磨

L香炉から出てきた達磨(未表装)

M3種の顔の向き

Fの全体、芦葉達磨

N短冊に描かれた達磨



「にらめっこ」の出来ない達磨たち



賛にもろいろいありまして・・





B
桃栗3年・・
 9年面壁聲如雷
@の賛 百華本来為誰開 D F吾本来茲土 われもとこの土(中国)に来り
 伝法救迷情 法を伝えて迷情を救う
 一華開五葉 一華五葉を開き
 結果自然成 結果自然(じねん)になる

L



菩提達磨(生没年不詳)の略歴
 南天竺香至王の第三子、幼名は菩提多羅。般若多羅尊者に随侍すること四十余年、尊者の滅後、南天竺を教化すること六十余年、
 その間に、六宗の外道を論破し、異見王を接化した。
 そして、因縁の熟するのをまって中国へ渡来、中国を教化すること前後九年、大通二年示寂、世寿百五十歳(異説多し)。
 梁の武帝は自ら碑名を撰し、唐の代宗帝は円覚大師と諡した。  
−−− 「茶席の禅機画」より

達磨とダルマ(起上小法師)
 ”ダルマさんがころんだ”のダルマはもともと達磨ではなく、起上小法師の顔がいつの間にか達磨の顔となり、起上小法師=達磨と
 なってしまった様だ。

参考文献 「達磨画の描き方」 石田豪澄 著
       「茶席の禅機画」  西部文浄 著


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