『本音トーク』座談会
〜今までの座談会から(参考資料)〜

3.【私メッセージ】

私たちの日常のメッセージはどういうものか=あなたメッセージである。

 ・あなたメッセージには主語が無いが、主語はあなたなのであなたメッセージである。

 「(あなたは)―――――――しなさい。」
             ↑
         この言葉が抜けている

 ・あなたメッセージは、相手を動かす・相手に要求する(押しつけたり・決めつけたり)メッセージである。
 ・あなたのメッセージの発信者は親、受け手は子供なので、受けてである子供は行動を規制され、その行動がうまくとれない場合は「ダメだ。」と思うようになる。
                    ↓
          駄目メッセージ・やっつけメッセージ
          人間関係が断絶・反発が出てくる

 私メッセージは、主語は明らかに『私』とする。
 私メッセージは、事実・気持ち・考えを伝える。  

                 ↓

 『私は(お母さんは・お父さんは)、―――――と思うよ。』  

母「帰りが遅いけれど、お母さんは、―――――で心配なんだよ。」
子「************************。」(子供がどう受け止めたかが問題)
母「お母さんはね、―――――とおもうと。」(あなたがどう考えようが、どう行動しようが自由なのよ。
                          という意味が含まれた言い方。)

 私メッセージには、3つの得がある。

 @自分の心に感じている気持ちをそのまま言葉として出すので、ストレスが溜まらずに精神的に良い状態が保てる。
 A相手との間に対話が成立する。
 B自他ともに喜べる方向への行動を決定していける。

参考例

ある登校拒否の子供が、父親の一言で切れてしまい、一歩遅ければ、殺人を犯してしま
うところまでいってしまいました。その一言とは、
「おまえな、学校に行かないで、家にいて、ぶらぶらしているなら働け」という言葉で
した。この言葉の中の何によって切れてしまったのでしょうか?
「おまえは」これは呼び掛けです。 「学校に行かないで」 これは事実です。
「家に居て」これも事実です。事実は伝えても相手は責められているとは思いません。
「ブラブラしているなら働け」 ここが問題なのです。
確かに、一家を養う為に汗水流して働いているお父さんからみると、「学校に行かない
で家に居る子供の姿」は「ブラブラしている」様に見えるのは当然かもしれません。
しかし、あくまでも「お父さんにはそう見える」ということでしかありません。
子供の「感じている心」の側に立ってみると「学校にいかねばならないと頭では思うの
だが、お腹が痛くなる、足が棒状になる等、身体が動かない。今日は学校に行かなくて
良いとなると、ようやく身体が動き出す」身体が動き出したからといって、昼間、外に
出歩いたら近所の人からどんな眼でみられ、何を言われるか、そう思うと、外にも出れ
ない。学校にも行けない、外にも出れない、しかたなく家に居るしかない、1番寂しく
辛い気持ちでいるわけです。
それを、お父さんにみえる世界で、絶対視して「決めつけられ」てしまい「働け」と
無理に動かそうとされたので、子供は「切れて」しまったのです。
「働け」これは主語がないです。主語は「あなた」です。これは「あなたメッセージ」
です。相手を決めつけたり、押しつけたりしながら、動かそうとするのは全て「あなた
メッセージ」です。メッセージである以上、必ず受け手が居ます。
親子の間で、親が「あなたメッセージ」の発信者であった場合、受信者にはどの様に、
受け取られるでしょうか?
「君はこうしなさい」の発信は、受信者である子供には、選択の余地はありません。
「そうするしかない」分けです。そうしようとして、そうできなかった時、
「君はこうしなさい」の「あなたメッセージ」は受信者である子供にとって、
「私はダメな子」と言うメッセージに変わって受信されます。
それ故「あなたメッセージ」とは別名「ダメメッセージ」「やっつけメッセージ」と
言います。
先程の例を「私メッセージ」を使って、こんな風に言えば良かったと思います。
「学校に行かないで、家に居るおまえの姿を見ていると、お父さんには、ブラブラしてい
るように見えて、たまらないのだが、どうなんだ?」と。 
「学校に行かないで、家に居るおまえの姿を見ていると」ここまでが「事実」です。
「お父さんには、ブラブラしているように見えて、たまらないのだがどうなんだ。」これ
は「お父さんには」と言う「私メッセージ」で「お父さんの感じ」を伝えているわけで
す。決して子供を責めてはいけません。

町田順司先生著『発達心理課題から観たかかわりかたを考える』から一部抜粋

親の見栄や世間体を気にして、また親の心配を解消するために言うのは改めた方がよい。
その子の人生の中で大切なこと、譲れないことは毅然とした態度で言えば分かる。
子供は、我が子を無条件で愛してやってきた親の言動は、子供も全身で感じているはず。