1588(天正16年)年に蒲生氏郷が築城したもので、当時は3層の天守閣があったらしく、堀の総延長は2kmに及ぶ堅固な城だったようです。今では石垣しか残っていません。しかしその石垣は大変すばらしいもので、つみ方は「野面積み」を主体に、隅の部分は「切り込みはぎ」「算木積み」という工法が使われているらしく、これらの工法は「穴太衆」と呼ばれる近江国の石工集団が、安土城で今までの日本には無かった新しい築城方法を発案したそうです。そして穴太衆を中心に地元の農民をかり出し石垣をくみ上げていきました。石材の多くは近くの河原から集められた石が使われましたが、天守台などには古墳に埋葬された石棺の蓋まで使用されたようです。現在松阪の公園として整備されて、サクラ・フジ・ツツジの名所ともなっています。 |
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