1999.1.31

ちょっと疲れてたんで・・・


暫く休みました。
今日はポンタ村上の"Welcome to My Life"というCDを買って聴きました。
Nokkoのマイケル・ジャクソン並の歌唱力と、泉谷しげるの歌う「よいとまけの歌」に聞き惚れました。
ジャコパスメドレーも良いし、山下達郎のI'v got you under my skinもなかなかで、楽しめました。
極上のバイキング料理という感じかな。
喰って損はない税込み3,045円っす。

昨日のTVでもありませんが、音楽には気持ちを支えられます、やっぱり。

"林檎の種"の方は、SONYがらみの話題などで、ちょっと多めに更新しました。暇だったら読んでやって下さいませ。
いよいよ明日から2月ですね。
1999.1.26
景観論議についてふと考えた

数年前に使ったフロッピーを見つけて使おうとしたら、マウントはするけれど、なぜかそれを開こうとすると、システムごとハングアップさせてくれる凄いフロッピーディスクがあるのを発見しました。
手持ちの複数の機種でその特殊機能を確認しています。
コレをアタシは「爆弾フロッピー」と命名しました。
これって知らんぷりしてだれかにあげたら、キラワレルでしょうねー。

ところで景観形成ってなんでしょうね?"そのまちのらしさ"ってなんなんでしょうね?

職業柄、景観を議論する場に出くわすことや、それ自体を考えなければならない機会があるわけですが、景観を口にした途端に、環境保護、開発抑制、伝統重視の立場の発言だけが正論という雰囲気は安易に過ぎ、可能性を否定し、思考を停止しているとしか思えませんね。

景観は保全するだけのものではなく、むしろ積極的に創造して行くもの、あるいは、人類の文明社会の宿命としてせざるを得ないものだと思います。
もちろんそこに周囲への調和の配慮が不可欠なのは当然ですが。

ただ、現状は目立つもの、つまり彩度の高い色、高い建物、奇抜なデザインはそれだけで悪の烙印を押されているような気がして、新しい景観を創造するという観点での議論や検討が、あまりにも少な過ぎると思います。

黒や灰色の屋根で統一したから景観に配慮したってレベルが身近に溢れすぎ、実はだれも真剣に考えてはいないと思う訳です。

そもそも、今の街並み景観だって、元はといえば自然の景観を壊して人為的に作り上げたものなんですから。
次の世代にどんな景観を残して行くかは、その時代の必然性の基で決められ、時の経過によって淘汰されて行くものではないのかとアタシは考えています。
そして、必然性の拠り所が何処に有るのかこそが深く議論されるべきだと思います。

例えば、開運橋から駅方面を見た時に、去年出来たマリオスの高層ビルがにょっきっと見えることが盛岡らしさをスポイルしているという評価があるのです。
ところが、日頃盛岡らしさの認識に落差を感じている元々よそ者のアタシにとっては、それがどう景観を壊しているのか、実は今でも謎なのです。

たとえ高層ビルの姿が見えなくても、べたっとした駅舎を中心にしたあの無秩序な既存の建築群が形成する景観のどこに盛岡らしい良さが有るのかもさっぱり解らないし、開運橋付近の川沿いの景観はアタシなりに盛岡らしさの雰囲気を醸し出しているとは思いますが、それをマリオスの姿がぶち壊しているとも思えない。

このような評価は、「らしさ」という曖昧さを盾にした、単なる個人的原体験に基づく美意識の押しつけとなる危険性もはらんでいるのではないでしょうか。
ましてや、それなりの権威のある人の発言であればなおさらです。

アタシとしては、マリオスはそれ自体は決して美しいとは思わないけれど、新しい盛岡のまちづくりのランドマークとして、存在感と意義を個人的には感じています。
ということで、身近になった景観の議論というのは、実はまだまだ入り口のレベルだなーと感じているところであります。

いつか触れてみたいと思っていたのですが、過日たまたまそんな議論の場に出くわしたもので、他に更新ネタも無いので、ついとりとめもなく書いてしまいました。
1999.1.25
時代の必然性

昨日の、雲一つ無いスッコンと晴れ渡ったお天気から一転、どんよりと曇った冬空の今日ですが、アタシはなんとなく風邪に捕まりそうな気配を引きずりながらの月曜日です。

昨日は久しぶりに新しいCDを2枚手にいれて真空管のアンプでじっくりと楽しみました。

一枚は去年出た新譜でハンコックがガーシュインナンバーをやったやつ。
もう一枚は既に持ってるLPのCDでの買い直しで、マイルスの"Some Day My Prince Will Come" という60年代前半(だったかな?たしか)の懐かしい盤。
最近はLP盤の買い直しが多いです。
心情アナログ派を自称していたアタシも、すっかりCDの簡便さに流されきっております。

これには過日組み立てた真空管アンプのせいも多分にあって、これで聴くCDってちょっと良い。
澄み切った高音域が適度に艶があって、かさつきぎみの先入観を持つCDの音とは別格の、音楽としての気配に浸れる音なのでありますな。
真空管アンプを普及させる会でも起こすかなー。

買ったマイルスの盤の方は、かつてよりお気に入りのディスクだったのですが、ここ数年、いや十数年レコード針を換えられなくて、聴きたくても聴けなかったのが、ようやく久しぶりの再会を楽しむことができました。やっぱり名盤。
もう一枚のハンコックのは、有り余る才能を見せつけるような良盤ではありましたが、Jazzの世界に限って言えば、60年代以前の旧譜を越える新譜はもう現れることは無いのかもしれませんねー。

クラシック以外の音楽は、時代の必然性という背景が有って初めて輝くものかも知れません。

話し変わって、先週コーヒーを飲ませられて通信不能となっていたPHSのデータカードでしたが、週末家で試して復活を確認し、今日は職場で再度通信を試してみたところちゃんと繋がりました。

早速メールを受信したら、昨年の9月一杯でアタシらの同業者で有ることを辞めて、ワーキングホリデー制度を使ってニュージーランドに旅立つた浅沼君からのメールが届いてました。

彼は正月に近況を、かつての職場のメール仲間等にCCで送ったらしいのですが、彼の離日後にアタシがプロバイダを替えていたため、 アタシ宛の分がUser-Unknownとなっていたらしいことを、同じくメールを受けていた刈谷君に教えてもらったので、改めてアカウント変更のメールをNZの彼に送った後での返事でした。(うーん、まどろっこしいなー)

数々のトラブルに遭遇しながら、孤軍奮闘、一生懸命に人生を開拓している小柄な彼の姿が目に浮かぶような暮らしぶりのメールでした。
「がんばれよー!」と遠い南半球のNZに向けて改めて応援のエールを送りたい気持ちです。
1999.1.22
褐色の水害

書類の山の雪崩のとばっちりだったのか、いつの間にか机の端から転がっていたたっぷりとコーヒーの入った茶碗は、ご丁寧にも机の下であんぐり口を開けて待ち受けていたLLBeanの通勤用デイパックにすっぽりと転げ落ちただけでなく、当の本人がその事を気づかずにのんびりとトイレに行って帰って来るまで、バッグの中にじっくりとコーヒーを染み込ませてくれたって訳です。

おかげで、ちゃんとケースに入っていて、さらにビニールケースに包まれてバッグの中に仕舞われていたPHSデータカードまでが、その間隙を縫ってコーヒをちょっぴりご馳走になっていたみたい。
ありゃりゃ、と気付いてふき取って、一応確認のつもりで繋いでみたら、おいおい嘘だろー、そんなにビッショリ濡れた訳でも無いのに繋がんないぜー。
ほんのちょっと程度のコーヒーの液が、コネクタケーブルとの接点を汚してしまったせいなのか、繋いだPHSがデータ通信に反応しなくなってしまいました。

よりによって、ずいぶんと周到に偶然が重なってしまったとしかいいようがありません。
ここまでくると、意図的な見えない力すら感じてしまいますねー。
こういう事ってありませんか?、オレが何したってんだよーまったく。
これをトホホと言わないで、なんといったらいいんでしょうかね。ぐすっ!

FDDの次がディスプレイで、今度は職場からの通信命綱のデータカードときたもんだ、トラブル連鎖状態です。
なんだか、更新ネタが枯れるとそのためのトラブルが起きてるって気もしないでもないなー。
呪われたホームページか。あなおそろしや、おそろしや・・・。

ところで、いつものようにネットを覗いてみたら、昨日当たりからあっちこっちのsitが風邪でdownしてるようです。
アタシの職場を見回しても、既に数人がやられているようで、今日なんか臨職の子が風邪で入院したそうです。 今流行っている風邪は、かなり高熱が続いて、節々が痛くなって2〜3日寝込まないと直らないそうです。

風邪のウイルスも各種の薬で鍛えられた強力なのが生まれてきているようなので、たかが風邪といって馬鹿に出来くなってますね。
今度の風邪も罹ると結構大変そうなので、皆様もくれぐれも用心して下さいませ。
気が緩んだ時がアブナイみたいです。
でも、なんだか風邪引いて数日寝込みたい気分もあるんだけどさ。

追伸
データカードは、暫く放置されていたファミコンカセットを復活させようと、この間トイザラスで買った「マリオdeダッシュ」というガス噴射式お掃除スプレーを使って、家で再度シュッシュッシューとおまじないをしたら、なんと復活しました。
最悪の場合、PHSの買い換えまで考えましたが、とりあえず安堵。
しかし、カードも鞄もみーんなコーヒー臭いぞ、とほほ。
1999.1.18
遅ればせながら

すっかり忘れていて、通勤途中の今朝、歩きながらようやく思いだしましたぜ。なんてこった。

おかげさまで、一昨日の土曜日の16日をもちまして、このsitは目出たくまる1年を経過して2年目に突入いたしました。ぱちぱちぱち。

当日は、ディスプレイの故障でそれどころでなかった、って訳でもなくて、単に忘却していただけ。更新ネタねーなー、更新休んじゃえ、って感じだったんですわ。

一年を経過して、このsitのそれなりの性格付けも収まるところに収まってきたようです。
総括して考えるに、「業界系私生活露出sit」ってとこですかね。やれやれ

今年になってから、刈谷師匠のご指導を仰ぎながら挑戦していたMP3でありますが、夕べは目出たく村松健のCDの曲を我がシステムのテーマ・BGMとしてHDDにインストールできました。
気分転換に気に入った曲が、クリック一発、手軽に良い音で聴けるのはいとウレシです。

旨くいった後での話しは「簡単でした。」なんだけど、そこはそれ、この世界の話しなんで実は途中いろいろトラブルもありましてね、師匠推薦の定番エンコーダーソフトを使って、数十分も掛けてようやくできあがったMP3ファイル(のつもり)が、デコーダーで受け付けてくれなくて、それをなんども試行錯誤しながら繰り返して、やっぱり動かなくて原因も解らない。
おまけに、前日同じ条件で実験的にやった時は旨く行ってるってのがよけい不思議。

原因の解らないトラブルって、この世界での付き物なんだけど、その状況に陥ると結構イラつくし、悔しいんですね。
たいていは、一カ所チェックを忘れていた、なんてのが後で解る原因なんですよね。

結局原因は不明、「mp3 encorder」という別のフリーソフトをsitで見つけてきて、変えてやってみたら旨くいきましたけど。

この技術、これからどう発展していくんでしょうかねー。
面白い技術ではありながらコンピュータのHDに音楽ソース入れるだけってのも芸がねーなー。
そういえば、ZIPを音楽メディアとして利用するってのは既に実現されていて、そのためのMP3ソフトがZIPにはバンドルされてるんだった。

それはそうと、百聞は一聴にしかず、皆様もMP3試してみればー。です

年賀状、宛名softを使って慌てて出したら、昨年大変お世話になった肝心の方に出してなかったのを今日になって気が付いた。時既に遅し、覆水盆に帰らずか。とほっ
1999.1.17
故障続き

阪神・淡路大震災から今日で4年目ですね。
今思い出しても、壮絶な災害でした。
個人的には、仕事の上でその後の色んな経験を得るきっかけとなった出来事で、それが多くの方の不幸の上で成り立っている現実に対して複雑な思いを感じています。
時が過ぎても、それによって得た色々な教訓だけは忘れずに活かし続けたいものです。

一昨日はiMac用の外付けFDDがイカれてしまって新品交換、昨日はメイン機の17inchディスプレイがまたしても!いやまたまた!!壊れてしまった。

症状はいつもと同じで、電源が入らなくなるやつ。買って2年も経ってないのにこれで3回目だよーっ!
っつて、またsonyのサービスへ持っていきました。
気分的にはすっかり顔なじみになってしまった感じ。

「ちゃんと直るの?モーっ」て聞いたら、今度はちゃんとしっかり徹底して直します。と受付のおっサンが言ってました。
受付のおっちゃんに当たっても仕方がないんだけどねー。

正直もう言い加減愛想がつきたのですが、Mac貧乏状態の今は買い換えなんかとんでもない、なんたってこれで諦めれば泣き寝入りになってしまうしね。
次の故障は何ヶ月後だ、ととことんやってやるぞー、とまあ、まだ直って来てもいないのに開き直ってます。

当たりが悪かったとはいえ、ここまで悪いのに当たったのは初めて。
前回の修理から2ヶ月後、3ヶ月以内なのでどうやら無償修理扱いにはなるらしいですが、次は絶対sonyは選ばないだろーな。

と言うことで、今はサブ機から外した15inchを繋いで凌いでいますが、やっぱり狭いなー。
年が改まっても、身の回りの人も物も相変わらず故障だらけの状態が続くようです。

3連休も今日まで(実はアタシ今回4連休してしまったんですが)、明日からは気合いを入れて、負けずに年度末を目指してがんばるぞーっ!!